大重潤一郎という光の原石
Sugee
人生には節目節目で強烈な出会いがいくつかあるのだろう。
人間は誰しも人との関係性の中で自らを見出していく。人生の目標という意味でも反面教師という意味でも、大重潤一郎との出会いほど僕にとって鮮烈なものはない。
映画監督としてはおそらく無名のまま世を送り無名のまま物故した。
この先彼の名前と存在が世を賑わすことはないだろう。
奔放とも取れる言動は時に周りに少なからぬ混乱を招いた。
にも関わらず没後7年を経過した今でもこれほど多くの人々に愛され話題に上る男を僕は他に知らない。
あの人懐こい笑顔と他人への心憎いまでの気遣い、男でありながらも太陽のような暖かい母性。そして、自らの意思を貫く不屈の闘志と生命力。
そう、まさに彼は生命の軍隊そのものだった。
脳性麻痺からくる半身不随の身になりながらも、彼はイザイホー以降の久高島の祭祀を追い続けシマンチュのリアリティに迫った。
現代社会の問題の根本はヒトと自然との繋がりの不在にある、それは先祖とのつながりを確かめ合う祭の不在に他ならない。久高にはその祭の原点が今だに守られ継承されている。オレは命をかけてその祭の「今」を撮る。
彼のその思いが分かる人は皆、自分が持っているものを惜しみなく差し出したのだろう。
皆それぞれが大重潤一郎の中に自らを投影し、彼を通して久高島を、地球を、そして現代社会を見ようと必死だったのだ。
我々はこの地球でこれからも生きて行く。幸せに豊かに生きていくためには他のすべての生命と、この空と、大地と、そして海と仲良く共生することなしには生きられない。
この単純なことが分かるまで僕らはどれほどの犠牲を払ったか、大重潤一郎は今も僕ら全員に優しく厳しい笑顔で語りかける。
SUGEE / スギ
沖縄、東南アジア、中南米、キューバ、西アフリカ等を旅し各地のシャーマンとの交流の中から、自らのスピリチュアリティ(霊性)とクリエイティビティ(創造性)に目覚める。 帰国後はボーカル&ジェンベ奏者としてFUJI ROCK FESTIVALをはじめ様々なフェスやイベントに出演。