闇から光へ

高橋慈正

 

 

過ぎた3月20日、修行道場での生活が終わりました。その期間が長かったか、短かったか、何かと比較をして測ることができませんが、37年間わがままに生きてきてしまった私には長く感じる2年間でした。

修行道場を後にし、一人で坐禅参禅しながら托鉢やアルバイトをして生きていくことも選択肢に有りながら、択んだ道は、長野県の尼僧寺のお手伝いでした。住職、副住職、老僧と私には大先輩の尼僧様3名が暮らすそのお寺は、檀家が少なく、お茶とお花のお稽古のお月謝を主な収入源とし、畑を耕しながらの自給自足、質素な生活をしています。

参学師である青山俊董老師が、「特別な修行(滝業や修験道などの一過性の修行)」をするよりも、「毎日の生活をきちんとこなしていくこと、つまり普段の生活のほうが難しくて大切だ」と諭します。夏休みや冬休み毎にお手伝いできていたこのお寺の仕事はとても丁寧で、私の法系の曾祖父にあたる澤木興道老師の言葉、「生活即禅」を実践しているお寺だと感じていました。煩悩であふれる私が居させていただいても反って仕事を増やしてしまうのが現実ですが、それでも自分の足りない部分を補う場として択びました。「出来るだけ厳しい場所を択びなさい」と青山老師からの言葉を頂き、一人で生きていく上では学べないことを常に教えていただくばかりの日々です。

 

僧堂での最後の日の一炷、一年でこの日だけ行われる青山老師の口宣と連策が行われました。昨年度に脳梗塞と心筋梗塞に罹り、いつ亡くなってもおかしくないと医者から宣告を受けている青山老師が、そのようにして僧堂にいらっしゃるということだけでも有り難いことでした。口宣の一つは、「褒められてものぼせず、呵られても落ち込まず、何があってもガタガタしない」という言葉でした。これはお釈迦様の「自灯明法灯明」という言葉に通じます。法系の祖父・内山興正老師は、最新刊「念自己抄」(大法輪閣)で「今、ここ正気の沙汰で見直し、見直し、人生運転してゆけばこそ、初めていきいき生きる」と記します。失敗や誰かからの批判で落ち込むとき、自分を見失うことの多くありますが、そういうときは坐禅をし、自己のいのちの中味内容に出会うことを実践するばかりです。もう一つの口宣は「ほれぼれするようなお釈迦様や祖師方の教えの根源には、ドロドロとした人間学があることをきちんと見据えなさい。理想的な人間ばかりであれば、仏法は解く必要はありませんが、2500年説いても説ききれないということは、人間には救いようもない欲の深さがあるのです。ドロドロしか見えなければ振り回されるだけです。」という言葉でした。「我が身かわいい」故に、愛憎損得勝敗等が生まれますが、他人の邪を見ずに我が身の実存をきちんと生きる、そして「我が身かわいい」ということは、例外なく全ての人の思いと知れば、自分と同じように他者を大事に思うようになる、努力してするのではなく、しなくてはすまなくなる、ということなのでしょう。青山老師から「徹底的に真と偽を、是と非を見分け、択び分けた末に、間違いなしにそこに落ち着く、澄み浄まることである。冷厳な知慧を裏打ちとしての信であることを忘れてはならない」と、そして、そのためにはきちんと勉強することの大切さを諭され、ガタガタせずに精進するのみだと背筋をのばしております。

 

僧堂での最後の晩には、一緒に参禅弁道をしてくださった大衆と先生方が予餞会を開いて下さいました。そして、最後にはろうそくに火を灯し、蛍の光りを合唱したあとに、「闇は消すものではなく、そこに火を灯しさえすれば闇は消える」と青山老師から手向けの言葉を頂きました。闇があるからこそ、光りがある。そして、師匠や老師、先輩方から頂くその光りを灯し続け、また次の方へ渡していく、それが仏弟子の役割なのでしょう。

 

例年、自然災害や戦争、事件が絶え間ない現代社会、自ら命を絶つ人も年々増えている生きづらい社会。心が闇になっている人が多い中、光りの存在を強く信じ、私自身の誓願を悔い改めています。

 

自然と人間社会

自己の生きる 大自然的人間のいのちには

思いとその表現の言葉が賦与されており

この言葉で人間同士通じる社会形成

いのちを生き死にするは大自然地盤

愛憎損得勝敗等をいうのは社会地盤

内山興正老師

 

まだまだ、大自然地盤よりも社会地盤がものをいう社会で、どのように生きるか、ピンチをチャンスと捉える確かなタイミングなのです。

 

東京自由大学では、狭い会場での感染症予防のため、会場での開催は見送っておりますが、みなさまと同じ時代を生きる知恵を探るべくインターネットで配信を行っていきますので、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

みなさまとお互い元気な姿で再開出来ます日を願っております。どうぞお大事にお過ごしくださいませ。

 

 

高橋慈正合掌

2020年8月7日更新 

 

 

 

高橋 慈正/たかはし じしょう

曹洞宗僧侶。2002年より元副理事長・大重潤一郎監督と知り合い、「久高オデッセイ第三部」まで、映画制作の助手を行い、東京自由大学においても「大重潤一郎監督連続上映会」の企画を行ってきた。また、このウェブマガジンの発案者である。ホームページ