天地悠久の真理

高橋慈正

 

 

大聖大慈大悲心

大慈大悲大恩徳いつの劫にか報ずべき。

ねがわくはこの功徳をあまねき一切に及ぼして

十界百界もろともに同じく仏道成就せん。

一人成仏すれば

三千大千世界山川草木虫魚禽獣みなともに成仏だ。

「あたまの底のさびしい歌」宮沢賢治

 

 

私ごとですが、4月から曹洞宗の僧堂生活が始まりました。

大体の日々の差定(スケジュール)は以下のようです。

朝4時前に起床、坐禅、朝課、作務(掃除)、粥(朝食)、授業、斎座(昼食)、授業、おやつ、晩課、作務、薬石(夕食)、夜坐、21時に開枕(就寝)。

その他に、日々交代でやらなければならない鐘などの鳴らしものや料理当番などが割り当てられ、流れを覚えることで必死の毎日。仏教用語にも右往左往し、ただただ、覚えることと目の前のことに集中をしていくだけで時間は過ぎていきます。

はじめの100日間は、「禁足(きんそく)」と呼ばれ、

・外出禁止(病院などどうしても出なければならないときは同伴を必要とする)

・電話禁止(修行道場内は私物の携帯電話は持ち込み禁止、100日禁足後も電話をかける場合は公衆電話のみ)

・新聞禁止

・来客者との会話禁止(参禅者との会話禁止)

であり、唯一手紙のやりとりのみが許される日々でした。

7月15日に100日禁足が終わり、7月25日から夏休みに入り、この記事を書いている今は、わずかな夏休みのひととき。自由大学の動きはもちろん、世の中で起きていることは全く知らずに、外国よりも遠い場所にいるようです。それは、今、お世話になっている道場の堂長・青山俊董老師の言葉を借りれば、天地悠久の真理の世界に身を置く時間だと思います。忙しいながらも、ふとしたときに目にする光がとても美しく感じ、かつて写真機を持ち歩いていた私にとってのシャッターチャンスは、私の脳裏にのみ刻み込まれています。

 

私の師匠、奥村正博老師は、大阪府茨木市で生まれ育ち、高度成長期真っ只中で青年期を過ごしました。高校時代に大阪万博が開催され、自然か破壊され、日本全体が「maney making machine」になっていることに疑問を持っている中で内山興正老師の著書「自己」を読み、「いずれこの人の弟子になりたい」と発心したのが仏道との出合いだったと言います。

私が奥村老師と出会ったのは、奥村老師のお寺が在るアメリカ、インディアナ州でした。作品制作のためにインディアナ大学に在籍したものの、その当時の作品の制作方法やギャラリーとのやりとりに疑問を持ち、揺れていました。大学の合い間に通うお寺では、英語で行われるご提唱が100%わからないながらも共感をし、いつの間にかこの老師のように坐禅に導かれるような生き方としたい思いはじめていました。帰国する間際に受戒をし、「時期がきたら老師の元で出家をさせて下さい」と告げたのでした。

大学時代から宮本常一の本を読み、失われていく日本の文化を目の当たりにし、写真作品の制作を通して考えていた最中に東日本大震災が起きました。過去の大震災とは異なる、当たり前のように使っていた「復興」という文字を使えない風景に立ち向かい、そういったことも、私が「時期がきたら老師の元で出家をさせて下さい」と申し出た流れのひとつだったように思います。

 

100日禁足が終わり、こうしてインターネットを開くと、7月あたまに台風による多数の土砂災害があり、東日本大震災や私が「杜の園芸(代表・矢野智徳さん)」で働いていたときに調査にいった伊豆大島での豪雨災害(死者40名)、広島県安芸北区の土砂災害(死者・77名)とそっくりな写真が溢れ、それらの映像から逃げることが出来ませんでした。約一か月経った今でも、40度近くなる真夏日の中、復興の目処が立っていない現場を想像すると胸が痛み、皆さんの安全を祈らずにはいられません。

 

日本の山の採石場から掘り起こされた石灰石がコンクリートに変わり、太古であれば人が住む場所ではないところに家を建て、上流では山を削ってダムを造り、下流では防波堤がそびえ立ち、アスファルトで道路が張り巡らされ、人間の体で例えたらいつ、脳梗塞になってもおかしくないほどに、大地は窒息死できる条件を満たしているように感じます。

 

「天地宇宙はこうなっている。その中で人の命はこのように生かされている・その天地宇宙の真理、その生かされている命の真理に気づいた。その生かされている命の姿にふさわしい、いまここの生き方をしようじゃないか」

と、お釈迦さまは人間の言葉を借りてお説きくださった。そこに教えが生まれる。それが「仏教」となる。

原点は「仏法」。天地の道理です。気づく気づかないにかかわらず行われている天地の姿。つぎに、それに気付いて「こうなっているんだ。だから、それに随って、こう生きて行こうじゃないか」と、人間の言葉を借りて、そこに教えを説かれた。それが「仏教」となり、さらにそれが、今ここでの実践の道だから、「仏道」となる。

「今ここをおいてどこへ行こうとするのか」青山俊董

 

 

大重監督が、大阪の土地開発の中制作した「能勢」や「かたつむりはどこへいった」などの映画を撮りながら「命の未来を考えていた」ことの答えを、青山老師が語る「天地の道理」から見出せる気がしています。

大重監督が亡くなって三年が経ちました。今年の命日は、奈良県天河神社にて「久高オデッセイ」と「水の心」の上映会が行われました。その様子は、鎌田東二さんと鳥飼美和子さんの記事をご高覧下さいませ。

 

次回の更新は来年の年明けを予定しております。自由大学の講座の最新情報は、公式サイトやFaceBookをご覧下さい。

 

 

 

 

高橋 慈正/たかはし じしょう

曹洞宗僧侶。愛知専門尼僧堂にて修行中。東京自由大学では、広報を担当している。2002年より元副理事長・大重潤一郎監督と知り合い、「久高オデッセイ第三部」まで、映画制作の助手を行い、東京自由大学においても「大重潤一郎監督連続上映会」の企画を行ってきた。また、このウェブマガジンの発案者である。ホームページ