神楽囃子のリズムに見られるカオスとコスモスは、

原初的な”神感覚"から生まれた 

三上敏視

 

 

今回が「EFG」の最終号ということで、今まで書いたものを振り返ってみたんだけど、テーマはやはり神楽のことばかりだった。

役に立ったかどうかわからないけど、神楽のことを書かせてくれるメディアがなかなか他になかったからとてもありがたかった。ありがとうございました。

 

東京自由大学では神楽の講座をやらせてもらったり、細野さんの講座の補佐をしたりしたが、ここへの執筆依頼が来たのはやはり鎌田東二さんとの付き合いがいろいろあったからだろうか。

 

鎌田さんと最初に出会ったのは関西気功協会の活動の中で、鳥飼美和子さんとも最初は協会での気功をつうじての出会いだった。

昨年亡くなった関西気功協会の代表の津村喬さんからの依頼で「アイヌ自然医学探訪ツアー」を制作。その中で多くのアイヌの人達と出会い、とりわけシャーマンの青木愛子フチの存在は大きく、わずかなお世話もしたけれどその何倍もお世話になり助けられ導かれた。そしてアイヌの文化運動を手伝う中で各国の先住民とその文化にも出会い、とくに縄文文化に近いアボリジニとは濃厚な付き合いとなり、託されたディジュリドゥーを吹くようになって、関西気功協会の天川合宿のあと、大台ケ原などで鎌田さんと二人で奉納演奏をするようになったのである。

 

95年の阪神淡路大震災のあとに、被災者を励ますためのイベント「アートパワー展」が横尾忠則さんと細野晴臣さんのプロデュースで神戸で開催された時にアイヌとアボリジニの招聘のコーディネイトをして、アボリジニと一緒にディジュリドゥーを吹いていたら細野さんに誘われ一緒に演奏するようになり、それが「細野晴臣と環太平洋モンゴロイドユニット」の活動につながっていった。

 

そして96年には関西気功協会の「チベット観気ツアー」に参加、鎌田さんとは上海、成都、ラサ、シガツェ、ギャンツェとずっと相部屋だった。

 

そして97年には鎌田さんと細野さんとそれぞれから声をかけられ、伊勢・猿田彦神社の「おひらきまつり」に参加。沖縄・久高島から霧島、高千穂、出雲、伊勢と奉納演奏の巡行祭をして、その後二人が世話人代表となった「猿田彦大神フォーラム」でも12年間一緒に活動したのである。

 

80年代半ばからの気功、気の舞、アイヌ、縄文、先住民文化、奉納演奏、古神道、神道、仏教、修験道、シャーマニズム。アニミズム、土着の祭り、呪術、古謡などの様々な要素の縁がつながって、けっきょく「神楽」にまとまってきたわけである。

2011年の3.11東日本大震災のあとの5月に北海道新聞に寄稿したのだが、それは神楽を始めとする祭りに根ざした民俗芸能が人々の「本当の絆」を確認するメディアであり、祭りの復興なくして災害からの復興はありえないというようなことを書いた。先住民文化のような自然には勝てないということを肝に銘じた文明を取り戻さなければならなかった。

そしてそれは残念ながら今でも変わらない。殆どの神楽が中止となったコロナ禍からの復興も祭りの復活なくしてありえない。

 

さて、このEFGで神楽のことはまだまだ書きたかったことはあるが、今回は第8号で書いた「カオスからコスモス」のことについての追加を。

 

神楽囃子の無拍子で太鼓をドロドロとランダムに叩いたりするカオスの部分には銀河系が生まれる前の混沌とした宇宙の状態がイメージされるが、それは祭りでは「神を呼ぶ」行為になっている場合が多い。

祭りで最も長く続いていると言われる奈良の「春日若宮おん祭」では深夜、闇の中での警蹕の声と多数の笛の乱れ吹きの「乱声(らんじょう)」によるカオス状態で神を呼び、それがだんだん調和の整ったコスモスの一定のリズムの囃子に変わり、神が渡御する。芸能は変化していて近世のものが多いがここの部分は最初からあるだろう。

長野県の「新野の雪まつり」ではやはり深夜に大勢が棒で壁を叩く「乱声」があり、これも神の降臨を促す行為だ。神楽の舞や囃子の構成でもそのように見えるものが多い。

 

ではなんでカオスの「乱声」が神を呼ぶ行為となるのだろうか。それは雷にあるとぼくは考えている。

自然界で生まれる音で最も大きい音が落雷の瞬間の音、そしてそれが伝わるゴロゴロという音である。これより大きいとなると火山の噴火があるだろうが、それはきわめて稀だ。

太古の人々はその音の強烈さに恐怖を覚えただろうが、それはまた雨が降る前触れでもあり、雨が恵みとなる場合は「神が来てくれた」という実感をしたのだろう。おそらく雨乞いの儀式では太鼓をドロドロと打ち鳴らし、そのカオスの音を通じて神が共振し応えてくれるのを願ったのだと思う。

 

そしてコスモスにおける一定のリズムだが、これも自然界では心臓の音しかない。もちろん雨だれの音とか虫のカネタタキの音とか皆無ではないが常にあるのは心臓の音だ。太鼓をドロドロと打ち鳴らし神を呼び、神人が一体となったところで祭りは成立する。一定のリズムにより祭り空間が生まれ、脈打って生きているということを表現しているに違いない。

祭りにおける「カオスとコスモス」には人間が自然から感じた「神感覚」が見事に表現されていると思う。

 

もっと早くこれに気がつけばよかった。

2011年の震災後に真魚長明さんと言う、当時「アニミズム・オンライン」というサイトを作っていた人が、これからの生き方を考え直そうというミーティングを南房総の山の中で開催し、そこに呼ばれて神楽ビデオジョッキーとミニライブをした。正式なタイトルは忘れてしまったが、僕の他に北山耕平さん、宇梶静江さん、清田益章さん、バンドのラビラビ、そして大重潤一郎監督も参加していた。大重監督はお疲れのようでぼくのビデオジョッキーの時は二階で休まれていたが、ちょっと覗いたりしてくれたのかな「音は聞こえたよ」と言ってくれた。

 

大重監督とは伊勢・猿田彦神社の「おひらきまつり」ですでにお目にかかっていたが、まだ生きておられたらこの「カオスとコスモス」の話をしてみたかった。