屋根について考えた

松本 裕和

 

 

最近、知れば知るほど自分が知らないことがわかり、知識が増えるほどにいかに自分ができていないか、ではどうすればよいのか分からず、迷い自分に自信がなくなっていた。

インプットとアウトプットのバランスがとれていない時に、これまでにも何度かこんな状態に陥ってきた。インプットが多すぎて、それに対して何も出来ていない矛盾に悶々としていた。

思案の末に、これとない道が見つかった。竹細工をするということだ。

竹は日本全国ほとんどの地域に生えているし、十数点の手道具だけで様々な生活道具を作り出すことができる。常々、日本の伝統を引き継ぐ仕事、一生続けることのできる仕事がしたいと思っていた。それも環境負荷がなく、持続可能な仕事を。

 

大分県別府市に日本で唯一の公共の竹工芸の職業訓練学校がある。正式名称は大分県竹工芸・訓練支援センター。失業保険の受給資格者であれば訓練期間中は失業保険を支給される。昨年度より2年制になり定員も10名、年齢制限39歳以下とさらに狭き門となったが、竹工芸を目指す人の登竜門のような学校であり、全国から竹工芸家、竹細工職人を目指す人が集まってくる。

 

実は僕は昨年度この学校を受験し落選していた。試験は年1回、未練はあったが一年後また受験することは考えず、農的暮らしを実践する別の道を模索しようと思った。

しかし、1年過ごしたその結果、やはり答えは竹細工をやるという選択だった。2年半の農場勤務で農業だけで生活していくには、不安定要素が多すぎて厳しいと感じ、半農半X的生き方をしたいと思っていた。

それも、昔の日本人がそうであったであろう半農半工のスタイルで。なるべく不安定要素が少なく、やりがい、将来性のある仕事と考えたら竹細工しか考えられなくなってしまった。よし、今年度も受験しよう!昨年度の落選からよくよく考えての再受験なので、もし今回も落選したら途方にくれると、まさに背水の陣だった。

 

結果は合格、この4月から竹細工職人としての長い道のりの第一歩を踏み出すことができた。合格して一安心でなく、訓練が始まってまだ3週間だが、これからが大変なんだと実感している。

料理人と竹細工職人は包丁1本で仕事ができる、と言われ包丁を持って全国を渡り歩く職人もいるようだが、包丁1本で仕事ができるというのは、それだけその職人に高い技術力、腕が必要だということである。知識だけでなく、五感をフル活用した判断力が必要なのだ。それは教科書から学べるものでなく、感覚を磨くには経験を重ねるしかないのだと思う、そして自分でよく考え、感じること。頭だけでなく五感で!

竹の割れる音を聞き、竹の厚さを指で感じながら、均等に割れているか目で判断し、調整しながら竹を割っていく。早速その難しさを竹割り包丁1本で作る、竹ヒゴ作りの行程で痛感している。

 

農場で2年半、筍を取るために竹林管理をしていた経験から、特別に施肥をしなくても毎年ポコポコ生え、農場の野菜が台風や寒暖、渇水の被害を受ける一方、ほとんど被害のない竹をほぼ永続的な資源ではないかと思っていた。しかし、その考えは素人の思い違いであったことが、訓練が始まってすぐの学科の授業でわかった。竹が数十年単位で開花し種をつけ、枯死することは知っていたが、竹林は日本中いたるところにあるので、たいした問題ではないと思っていた。しかし実際に竹細工の材料として使われている真竹の開花が数十年前にあった時は大変だったらしい。なぜなら、真竹の開花が全国で一斉に始まってしまい日本中の竹林が枯死しだし、竹細工の材料確保にとても苦労したとのことだった。竹が開花して種子をつけても発芽率はとても低いらしく、竹林が再生するのか心配だったが、枯死した竹林も1割ほどは地下茎が生きているらしく2、3年で竹林も再生したとのことだった。真竹の開花は120年に一度と言われ、次の開花は100年近く先のこととは思うが、いずれにせよこのような事態は再び起こるのである。自分の考えの浅はかさを痛感した。これから2年間、自分の浅はかな固定観念は捨て、先生の指導に素直に反応し訓練校の学びをすべて自分のものに出来るように頑張りたいと思う。

 

 

前振りが長くなってしまったが、冒頭のお題である屋根について考えたいと思う。どういうことかというと、竹工芸の訓練校に通うため大分県に引越したのだが、その引越し先が雨漏りする家だったのである。

 

『環境問題という暮らし方の問題』、なるべく環境負荷のない暮らしを実践していきたいと思い一軒家を探し移住することにした。インターネットで見つけた家は、10年ほど空き家になっていたとのことで、最初に家の中に入って見た時、雨漏りで天井板が破れ穴になっている箇所が2箇所あり、他にも雨漏りの影響で天井に雨染みができ、床もへこみ、カビている畳が何枚かあった。

仲介の不動産屋に聞くと、雨漏りは屋根瓦の塗装が落ちたのが原因ではないかという話だった。瓦屋根なのだが、セメント製のセメント瓦であり、粘土瓦と違い何年かごとに塗装しないと塗装が剥がれ、防水性が落ちるとのことだった。

無知な僕は、瓦にセメント製の物があるのも其の時に始めて知り、屋根に上がって見ることもせずに、10年間空き家になっていたらそういうものなのか、塗装で雨漏りが直るなら僕でもなんとかなるだろうと雨漏り承知でその家に引っ越すことに決めてしまった。

 

訓練が始まるまでまだ10日間ある、それまでには終わるだろうと屋根に上がってびっくりした。屋根は塗装できるような状態ではなかった。雨漏りする屋根はブルーシートで覆い、木材や瓦で重石をして応急処置している状態だったのだ。L字型の平屋の屋根はそれぞれ3つの違う形の屋根が合わさって出来ていた。それぞれの重なり部分の仕舞が実に悪く、雨漏りしている箇所はそれぞれその重なりの谷の部分だった。これは根本的に変えなければダメだと分かった。

 

結局瓦の塗装で済むと思っていたのが、屋根から瓦をすべて下ろし、屋根の下地にベニヤ板を張り、谷の部分に板金をいれ雨が流れるようにし、ルーフィングというアスファルト製の屋根用防水シートを敷き、その上に再び瓦を敷きなおすという大工事になってしまった。訓練校が始まる前の10日間で終わらせることはできず、訓練開始後の土日を使ってやっと終わらせることができた。瓦がダメでも、ルーフィングだけでも雨を防ぐ効果があるとのこと。雨漏りも止まったので瓦の塗装は省略して雨漏り工事は終わらせようと思う。

なにせ他にもやることが山積みなのだ。引越しの荷物の整理もしなければだし(雨漏りのせいで荷物も出せなかった)、庭木も荒れ放題、草もボウボウ。自給自足的生活の為には、庭を整備して野菜を作りたい。早く種も播かなければならない。

塗装の落ちたセメント瓦は、雨によって磨耗してきていた。セメント瓦の耐用年数は20年前後だという。いずれにせよ、屋根を葺き替えなければならないが下地の防水シートを張り替えたので、あと5年は大丈夫だろうとの素人算段。その間に屋根をどうするか考えようと思う。

 

いざ自分が雨漏り屋根の当事者になってみると、それまで気にも留めてなかった屋根がとても気になりだした。通学の電車でも沿線の家の屋根にばかり目がいき、あの家の屋根はいい形だな、谷の部分はどういう処置をしているのかな?あの屋根はセメント瓦で、塗装が完全に落ち苔が生えているな、などと屋根ウォッチングが趣味になってしまった。

 

屋根の素材も、粘土瓦、セメント瓦、スレート瓦、板金屋根、屋上がありセメント床だけの屋根と様々だ。そんな屋根を眺めては、僕は5年後にどんな屋根にしようか妄想している。もっとも経済的で長持ちする屋根にしたいと思う。

 

粘土瓦とセメント瓦を比較してみると、セメント瓦の方が安く、値段は粘土瓦の三分の一ほど。低予算で屋根を施工したい人がセメント瓦を選んだようだ。しかし、実際セメント瓦は施工時は安くても、数年毎に瓦の塗替えをしなければならず、耐用年数も粘土瓦に比べたらずっと短い。粘土瓦の寿命は200年~300年といわれ、メンテナンスもほとんど不要であるらしい。さらにセメント瓦は廃棄するときは産業廃棄物として扱われ、高い廃棄料がかかるとのこと(粘土瓦の廃棄の場合は知らないが)。セメント瓦を選ぶことは、まさに『安物買いの銭失い』になってしまうのではないだろか。

 

耐用年数が過ぎゴミになった時もコストがかかるとは盲点だった。経済性を考えるならトータルに長い目で考えなければならない。施工時にかかる価格だけでなく、耐用年数、廃棄にかかるコストも考えて屋根材は選ばなければならない。僕は経済性を追求することは環境負荷を減らすことに繋がると思っている。なるべくお金のかからない暮らしをすることが、環境にも負荷がかからないと。エコノミーはエコロジー。

 

それではいったいどんな屋根がいいのか?改めて日本の伝統的家屋の屋根である茅葺屋根のことを調べて、その利便性に驚いた。現代のあらゆる建築材料と技術をもってしても茅葺きのもつ断熱性、保温性、雨仕舞、通気性、吸音性を兼ね備えた屋根をつくりあげることは並大抵ではないらしい(一方最大の弱点は火事に弱いこと)。

耐用年数についても、茅葺の材料によって大きく違い、ススキ&葦が一番長く持ち、麦わらだとその三分の一、稲わらだとさらにその三分の一の耐用年数になり、同じ材料でも屋根の形、勾配、茅葺の厚さ、葺き方、囲炉裏の有無、土地の気候や地形などの立地条件で屋根の寿命は異なってくるとのことだ。

毎日囲炉裏に火をくべて煙で茅葺屋根を燻していた家では、60年葺き替えなくても大丈夫だったなんて話もあった。

寿命となり屋根から下ろされた茅葺も、ゴミとして処理しなくても、畑や山野があればそこに堆肥としてまき、いずれ土に還っていくのだと思う。

また茅葺の材料も本来は生活の身近にあったもので、集める手間はかかってもお金はほとんどかからなかったと思う。

 

 

現在社会は昔に比べ進歩していると思われているが、エコロジー&エコノミーな生活に関しては日本の伝統的社会のほうがよっぽど優れていたのではないか。現代社会のエコロジー&エコノミーはまやかしだと思う。

しかし、茅葺屋根が優れているといっても、現代社会の住宅地で葺き替えようとすれば、昔と違い材料も人賃にもすべてお金がかかり、高くついてしまうと思う。やはり自然、地域社会などの環境があってこそのエコロジー&エコノミーなんだと思う。

 

5年後は無理でも、いつか茅葺屋根に住みたいと思う。茅葺屋根が葺ける自然環境、地域社会の再興を高い目標に、日々の小さな暮らしから始めていきたいと思う。

 

 

 

松本 裕和/まつもと ひろかず

静岡県焼津市出身。三重県在住。現職、愛農学園農業高等学校農場助手。 地元焼津の普通高校卒業後、大阪の仏教系の大学に入学。が勉学に挫折し2年で中退。半年間の闇期(ひきこもり)を経てフリーターから水産加工工場の化学調味料製造部門で2年半勤務。退職後ピースボートの地球1周の船旅へ。その旅で水と平和はタダでないことを実感、日本の平和の現場に興味を持ち航空自衛隊に任期制隊員で入隊。一任期の3年を勤め退職、地元焼津に戻り家業の建築設備工事の保温工事の仕事へ。しかし、その仕事も諸事情により3年でドロップアウト。2回目のピースボート地球一周の船旅へ。その旅で農業と教育の大切さを実感。農的暮らしを目指し模索していたところ、農業と教育の両方を働きながら学べる現場、日本で唯一の私立の農業高校であり、有機農業を教えている愛農学園農業高等学校の農場助手の仕事に巡り合う。現在愛農での3年目の勤めに突入!が目標の自給自足生活に向け思いをはせる今日この頃です。