新しい若い風

大重 潤一郎

 

 

3月10日から24日まで、久しぶりに久高島と知念半島の長期ロケを行った。今回は、堀田泰寛カメラマンと助監督の比嘉真人くんと、車を手配してくれた河野泰輔くんの助けのもと、朝から晩まで頑張り通した。真夏の暑さがないことが救いであり、気力充実していた。なによりも長年の付き合いがある堀田カメラマンが居てくれたことは、昔からのコンビネーションが発露した時間であった。

412日は「友よ!大重潤一郎 魂の旅」の初上映会が東京自由大学にて行われた。映画制作者である四宮鉄男さんと森田惠子さんが会場に足を運んで下さり、映画制作に至った経緯をもアフタートークとして話して下さった。自由大学関係者と中心になった高橋あいさんとヨネくん、牧君、古橋さんと岡野恵美子さんには心より感謝している。今年度の上映会もうまくいってほしいと沖縄から願うしかない。

自分はというと、相変わらず一人暮らしで痛みと戦っている。5月上旬には癌の再検診がある。

 

ご多分にもれず、皆同じだと思うけれど、人間というのは生病老死を中年過ぎると考えるものだ。一人で生活していても、身体が自由であれば考えなくても済むかもしれないが、生憎不自由なことが多いので、考える時間も多い。実質的には、映画人としての役割、日常の生活者の他に、病人としての私が一番の苦労の種である。中でも、一番大変なのが入院のための沖縄から東京の移動である。飛行場で飛行機に乗るまで、羽田からホテルまで、車椅子と荷物の心配はいつものことである。ロケ期間中を除いて、那覇では動くことは稀であるが、東京では検診とその日の食料調達、面会などでハードになる。だから緻密に頭が働く。

人間は頭で考えると落ち込む要因が多くなる。幸い、お手伝いしてくれる旧知の友や若い仲間、映画に対してカンパを下さっている方々に励まされ、その理知的な落ち込みとバランスを取ることが出来ている。人とのご縁、家族の支えでここまでおれています。

 

 

そんな私の日常にはお構いなくして、世間の変化はとても激しいと感じている。映画フィルムがなくなるとは、映画を始めた当初思いもよらなかった。なじみのものが消え、新しいものへの代替えが起きている。

私は、ほとんど自然の成り行きを大切にし、自然そのものが呼び起こしてくれる命の有様の原型を映画の中でまさぐっていた。しかし、高度成長期を経て、コンピュータ文明などの磁気嵐に見舞われている。伝統文化の半分は失われているように思う。

けれど、春夏秋冬、生活文化の世界は変わらない。日本人は縄文以来、季節の恵みを目印にして生きてきた。文明部分は変わっていくが、文化部分は変わらないだろう。そう願いたい。

 

最近は、若い世代が国境を裕に越えて、交流をしている姿をテレビなどで見かける。数年前には大きな段差と感じられた国境をものともせず、のびのびと交信していることに驚き、また、安堵する。そこにもまた未来の希望を見ることができる。素直な気持ちでコミュニケーションをしている姿からは、戦争などが未来起きることは思い浮かばない。彼らから新しい兆しを光として見つめたい。やがて、気候風土の中で文化も見直されることだろう。それでも世界は簡単には行かないのは常なることだ。自らが生命の限り頑張るしかないのだ。

 

 

 

大重 潤一郎/おおしげ じゅんいちろう

映画監督・沖縄映像文化研究所所長。NPO法人東京自由大学副理事長。
山本薩夫監督の助監督を経て、1970年「黒神」で監督第一作。以後、自然や伝統文化をテーマとし、現在は2002年から12年の歳月をかけ黒潮の流れを見つめながら沖縄県久高島の暮らしと祭祀の記録映画「久高オデッセイ」全三章を制作中。久高オデッセイ風章ホームページ