気功エッセイ 

6回 精神世界のバブル崩壊、その後に見つけたもの

~「宗教を考える学校」という宝石箱~

鳥飼美和子

 

 

 

その小さな事件は19963月、「宗教を考える学校」の第3回目に起こった。講師は現在も東京自由大学のゼミでお世話になっている宗教学の島薗進先生。テーマは「宗教と社会~新宗教および新霊性運動の輪郭と問題点」だった。

伝統の宗教では飽き足らない人たちが興味を寄せる新宗教、新霊性運動、新・新宗教。その歴史や特性、プラス面とマイナス面、オウムに至る精神史である。その講義の雰囲気は穏やかだが、テーマを総括的に捉えた内容豊かな考察だった。司会の鎌田先生からのコメントがあり、そのあと会場の意見を求めた。

そもそも「宗教学」とは何か、学問と人間の実存的な関係に話が及んでいった。そのとき、ある女性が「島薗先生は学問の枠から出ない、それは死んでいるようなものだ」と発言した。一瞬会場が静まりかえった。私もフリーズした。質問や意見という範疇を逸脱した発言ではないか…。それは講座内容に対するものと言うより、個人に対する誹謗のようなものではないか…。この発言に対して、先生が席を蹴って出て行くこともありえるような…。

 

しかしその後起こったことは、席を蹴って出て行く、というのとは正反対の出来事だった。島薗先生はその発言をした人に向かって穏やかに、お名前は、と聞いて、「○○さんの言われたことは、よくわかります。」と話し始めた。

「自分は学問をする人間であり、学問を通して世界を理解しようと、そこで勝負している人間です。それは狭い世界であることも、時に学問の言葉が何かを押さえつけているようなものになることも分かっている。しかし、自分は〈出会いたい〉と思っている。身体で感じたりする、直接的なものと、理論とが響き合うものでありたい。だから、ある部分は死んでいるけれど、こういう風に考えたり、たまにそんな表情が出てくるときは生きてるわ、とそんなことですね。」

と柔らかく応答された。それを受けて、司会の鎌田先生は「うまいね~、返し方が」と笑い、宗教を考える学校が、切実な思い、実存的な問いを交わし合うために生れたことを話された。

 

「死んでいる」という表現は極端であるが、そのように発言してしまう質問者の思いの切実さを島薗先生も鎌田先生もしっかり受け取っていた。そのあと、さらに参加者からの発言がつぎつぎと起こった。講師とのやり取りを超えて、受講者同士が意見をやり取りし合い、自由な発言空間となっていった。

宗教を考える学校の第一回目は、鎌田先生の「今、なぜ“宗教を考える学校”をつくるのか―宗教・霊性・意識の未来」で、次々と展開される鎌田先生の熱い語りに圧倒され、第二回目は天河神社の柿坂神酒之祐宮司を迎えたことで、神道家や霊能者のような方々が参加されて、テンションの高いものとなっていた。

 

島薗先生を迎えてのこの三回目が、はじめて落ちついた講座だったともいえよう。そこでおこった小さな事件、それによって、この学校が初めて、宗教を考える人間同士が出会う場所となった、とも言える。島薗先生の講義には、いつも静かだが実存的な問いがある。その時は、若い時、ご自身がもった問いを正直に語っておられた。日常的な空間のなかで人と出会う、そして人の拠り所とするものは、どこか宗教的なるものである、という事、そこから宗教を深めて行くという島薗先生の方法。静かに進むことによって、より遠くまで、深くまで行けるのかもしれない。このとき、自分にぶつけられた非礼な言葉のその奥にある衝動を受け取って、御自身を等身大に語って、その場全体を開いてくれたように。

島薗先生の言葉は、バブルではない。ゆえに宗教的なものに刺激を求める者たちからは、ものたりないと思うかもしれない。しかし、だからこそ、宗教が陥る「極端」の問題点を的確に見通すことが出来るのではないだろうか。常に誠実な姿勢で、学問を貫いてこられた島薗先生が現在、福島の原発問題に徹底して取り組んでおられるのは、実存的な出会いを大切にし、そこに学問が生きることを希求されてきたことの証ではないだろうか。

 

「シマゾノセンセイ」という言葉を私は幼いころから聞いていた。家庭でも演説するように話していた亡き父。その恩師が「シマゾノセンセイ」だ。明治生れの父の話は、私にとっては神話に近く、出てくる名前はカミガミの名前のようで、「オガタクン」というのが緒方洪庵の孫だったり、「オノダクン」というのがルバング島からの帰還兵小野田寛郎氏のお兄さんだったり、「アヤチャン」というのが、香川栄養学園の創始者だったりしたのを後に知ることになるのだが、「シマゾノセンセイ」というのがそのなかで一番気高いカミの名であることは、子供の私も感じてはいた。大学生の頃、川端康成の研究で日記に出てくる東大の「島薗内科」というのは、父の言っていた「シマゾノセンセイ」なんだと、興味を持ったりもした。

そして、天河曼荼羅という活動で、鎌田先生の口から「島薗先生」という名前が出て、その島薗先生が、父の「シマゾノセンセイ」のお孫さんであることを知って、不思議なものを感じた。

お孫さんは医者ではなく、宗教学者であることも…。

 

初めて島薗先生にお会いした「宗教を考える学校」から18年経った。

東京自由大学では今年も恒例の島薗ゼミがある。事のテーマは「国家神道を捉えなおす(6/67/47/25)」だ。

父が「シマゾノセンセイ」に学んでいたのは、80年以上前になるのだろうか。母に聞いたところによると、「シマゾノセンセイ」は穏やかな方だったそうだ。直情径行で、激しい人間だった父が一番尊敬していたのは、静かで穏やかだった「シマゾノセンセイ」だったのだ。


 

 

鳥飼 美和子/とりかい みわこ
気功家・長野県諏訪市出身。立教大学文学部卒。NHK教育テレビ「気功専科Ⅱ」インストラクター、関西気功協会理事を経て、現在NPO法人東京自由大学理事、峨眉功法普及会・関東世話人。日常の健康のための気功クラスの他に、精神神経科のデイケアクラスなどでも気功を指導する。
幼いころ庭石の上で踊っていたのが“気功”のはじめかもしれない。長じて前衛舞踏の活動を経て気功の世界へ。気功は文科系体育、気功はアート、気功は哲学、気功は内なる神仏との出会い、あるいは魔鬼との葛藤?? 身息心の曼荼羅への参入技法にして、天人合一への道程。
著書『きれいになる気功~激動の時代をしなやかに生きる』ちくま文庫(2013年)、『気功エクササイズ』成美堂出版(2005年・絶版)、『気功心法』瑞昇文化事業股份有限公司(2005年・台湾)