三人の天使
高橋慈正
長野県の尼僧寺に来て、もうすぐ半年になろうとしていた昨年九月上旬の夕刻、住職が「わからない」と言い、翌日の朝になっても言いたい言葉が出てこない様子に一過性健忘症を疑いながら病院に付き添って行くと脳梗塞が左前頭葉で起きているという診断でした。身体の麻痺も痛みはなく、ただ、言葉を忘れてしまっているのでした。聞くことも理解することも出来るけれど、話すことや書くことが以前のようにすらすらいかないのです。「脳」という一括りの塊の中に、様々な神経細胞があることははうっすらわかっているつもりでしたが、「言葉」を話すこと、聞くこと、読むこと、書くこと、それぞれの神経細胞が私たちの意識の上らないところで働いてくれているのだと、改めて生命のお働きを感じています。
青山俊董老師は、ご自身が去年一昨年と脳梗塞と心筋梗塞に罹った経験を通して「南無病気大菩薩」病気を財産に切りかえていこう、と私たちに諭します。しかし、私はというと、若さと健康という奢りのもと、老病と対峙している方々と同悲同慈を行ずることはとても難しいこととしてあります。
悪性腫瘍のため32歳という若さで亡くなった医師・井村和清さんの詩が、生まれたばかりの長女と、まだおなかの中にいた次女に宛てた遺稿は「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」というタイトルで映画やドラマ化されているため知られています。
『あたりまえ』
こんなすばらしいことを、
みんなはなぜよろこばないのでしょう。
あたりまえであることを。
お父さんがいる。
お母さんがいる。
手が二本あって、足が二本ある。
行きたいところへ自分で歩いて行ける。
手を伸ばせばなんでもとれる。
音が聞こえて声が出る。
こんなしあわせはあるでしょうか。
しかし、だれもそれをよろこばない。
あたりまえだ、と笑ってすます。
食事がたべられる。
夜になるとちゃんと眠れ、そして、また、朝が来る。
空気を胸いっぱいにすえる。
笑える、泣ける、叫ぶこともできる。
走り回れる、みんなあたりまえのこと。
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない。
そのありがたさを知っているのは、それをなくした人たちだけ。
なぜでしょう。
あたりまえ。
遺稿には、「あたりまえ」という詩のほかに、「三つの悲しみ」という言葉があります。
私の心には三つの悲しいことがあります。一つめは,どうしても治らない患者さんに何もしてあげられない悲しさです。二つめは,お金のない貧しい患者さんが,病気のことだけでなく,お金のことまでも心配しなければならないという悲しさです。三つめは,病気をしている人の気持ちになって医療をしていたつもりでも,本当には病気をしている人の気持ちにはなれないという悲しさです。ですから,私は皆さんに,患者さんに対してはできる限りの努力を一生懸命していただきたいのです。
「本当には病気をしている人の気持ちにはなれないという悲しさ」。それは、私がこのお寺に来て、足の痛みを常に抱えている88歳の老僧と80歳の副住職、脳梗塞で言葉が出ない住職の、その3人への悲しさでもあるのです。私も年をとったり、病に罹るというそのときがくればわかるのでしょうが、そうなる前に病や悲しみに寄り添うとはどのようなことか、頭を巡らせているのです。「そのありがたさを知っているのは、それをなくした人たちだけ。」なのでしょう。だからこそ、健康な身体と若さに感謝をし、出来る限りの努力をと思うのです。
大正大蔵経という仏典に、次のような説話がある。ある年老いた男性が死んで閻魔大王の前に呼び出された。閻魔大王は「お前、なぜここに呼ばれたかわかるか」と聞くと、男は「いや、悪いことはしていないし、なぜ私が地獄の閻魔様にお会いしなければならないかわかりません」と答える。「お前は、存命の間に、三人の天使に出会わなかったのか」と訊かれると、「天使ですか?閻魔様、天使なんて、あった覚えがありません」。すると閻魔様はもっとはっきりと言う。「生きている間に、老人、病人、死人をみたことがないのか」と尋ねる。「老人、病人、死人ならいくらでも見たことがありますよ」と、男性が答えると、「それが人間にとって、天のメッセージを伝える死者であるということがわからなかったから、この地獄で試練を受けねばならないのだ」と告げられ、裁かれた。
引用「愛する者は死なない」カールベッカー著 晃洋書房
高橋 慈正/たかはし じしょう
曹洞宗僧侶。2002年より元副理事長・大重潤一郎監督と知り合い、「久高オデッセイ第三部」まで、映画制作の助手を行い、東京自由大学においても「大重潤一郎監督連続上映会」の企画を行ってきた。また、このウェブマガジンの発案者である。ホームページ