コロナ禍と神楽の呪術性

三上敏視

 

 

 

1.神楽の呪術性についての概説

 

日本の神楽は基本的に集落の祭りであり、ほぼ今行われているような形が定着したのは17世紀と考えられ、現在も全国に5000はあると考えられている。民俗学で「民俗芸能」として研究対象になっているが、正確な定義や分類はいまだに確定していないという多様さを持っている日本文化のひとつの「核」である。

 

その神楽は太古からの自然信仰、アニミズム、シャーマニズム、祖先崇拝をベースにしていると考えられる。日本列島には南方からの黒潮に乗って渡来した文化、中国から直接渡来した文化(その中にはより西方のシルクロード経由の文化なども考えられる)、また朝鮮半島を経由して渡来した中国文化や北方シベリア文化、カムチャッカ半島経由で渡来した北方文化など、様々なルートからの文化流入が考えられる。当然信仰や祭祀文化も入ってきて、その呪術的祭祀文化の影響を受けながら独自に発達した呪術的神事芸能と言えるだろう。これには『日本書紀』に612年に百済人味摩之が伝えたと書かれている伎楽をはじめ、舞楽、散楽などの中国由来の芸能も大きく関わっていた。

 

神楽に影響を与えた渡来の信仰としては仏教(密教)、道教、陰陽五行思想などが考えられる。これらと日本列島にあったシャーマニズムや後に神道となる信仰が融合した中から陰陽道(おんみょうどう)が生まれた。さらにそこから独自の修験道(しゅげんどう)が発達、修験道の修験者(しゅげんじゃ)、山伏(やまぶし)が布教のために各地の祭りに関与、芸能を含む儀礼を編集して現存する「里(さと)の神楽」が発達してきたと考えられる。

神楽には宮中で執り行われてきた「御神楽(みかぐら)」があり、現在も非公開で行われているが、ここで解説する神楽は民間の「里神楽」と呼ばれている祭りである。

 

修験道は呪術性の強い宗教であり、開祖とされる「役小角(えんのおづぬ)=役の行者(えんのぎょうじゃ)」は7世紀の実在の人物だが、伝説上は空を飛ぶ能力があったとされるほどである。

明治政府による強引な神仏分離政策までは日本の宗教の実質的姿は神道と仏教の両方を採用した「神仏習合」「神仏混交」で、明治維新まで大きな勢力を持っていた。これも修験道の普及によるところが大きい。

修験道は多様な呪術のメソッドを持ってきたので、神楽を見ると最初から最後まで呪術が繰り返され、それは唱えごとの「祝詞」「祭文」など、歌謡の「神歌」「神楽歌」など、奏楽の「神楽囃子」、身体呪術の「舞」や「手印」など、ビジュアルの呪術である「祭壇」や「注連縄」「天蓋」「御幣」などとして存在する。そしてかつては「神懸かり」による「神託」を得ることが大きな目的だった。

 

2.日本列島の祭りの姿

 

今の神楽は大きく二つのあり方があり、一つは東日本・北日本に多い、地域の神社の例大祭の次第の一つとしてで奉納される神楽。もう一つは西日本の冬場に多い、集落の氏神を祀る神社の例大祭の次第の最初から最後までのほとんどを芸能を伴って行われる神楽である。これは霜月祭(しもつきまつり)系とも呼ばれ、太陽が最も衰えてから復活する冬至の日に人間の魂や生命力の復活を重ねて古代から行われてきた「死と再生」の冬至祭りがベースにあると考えられる。

 

九州山間部、中国地方山間部、三遠南信地域などに存在する、現在も古式が残る、冬至祭りが起源と考えられる鎮魂祭系の神楽は当然冬場に行われる。冬は農閑期でもあり、丁寧な祭りをするのにふさわしい時期でもあった。

夏は農繁期なので丁寧な祭りをする余裕がなかったろうから、日本では夏至祭りの数はきわめて少ない。そして昔の人々にとっては冬を越すよりも夏を越すほうが命がけだっただろう。

夏場には干魃、飢饉もあれば洪水もあり、台風があり、そして食中毒の危険や伝染性の疫病もあった。だから神楽ではなく、無事を祈る祈願の臨時の祭りは行われていただろう。今も夏の祭りは怨霊とか疫病などの退散祈願のものが多い。全国の神社で行われる6月末日の「夏越(なごし)の大祓(おおはらい)」の茅の輪(ちのわ)くぐりは茅の葉を編んで作られた輪の中を人々がくぐる呪いで、一年の前半の穢れを浄めて災厄を祓う「厄落とし」や「家内安全」ための神事と説明されているが、「夏越」という名前がついていることで無事に夏を越せるようにという願いが根源に見られるので夏を越すことが大変だったことがわかる。そしてこの呪いの元となったと言われる蘇民将来の説話には疫病神の性格も持つ日本神話の素戔嗚命(すさのおのみこと)が関係しているから疫病をもっとも恐れていたことがわかる。

 

コロナ禍のこの夏は全国各地にある疫病退散系の祭りも中止になったところが多く、「それでは祭りの効果がないことを白状しているようなものではないか」という批判もあったが、それは祭りを知らない人の感想で、実際の祭りの中心である呪術的神事は行われていた。いわゆるお祭り騒ぎのような人が密集する風流的な部分を止めただけである。

 

3.神楽と疫病の関係の実際

 

さて、神楽の中でも山口県の三作神楽(みつくりかぐら)などのように、疫病が流行っていたので祭りをして祈祷をしたら収まったので神に感謝し、その御礼として神楽を始めたところがある。また疫病退散を祈願して始められた、という説明のある神楽もいくつかある。

神楽は全体が祓い清めの呪術の性格を持つので、演目の中で具体的に疫病退散を意味するものはあまり多くないが、「恵みを与えてくれるが災いももたらす」という「鬼」と「神」の両義性を持った「鬼神」「荒神」が登場する神楽が古式が残る祭りに多く、そこに悪霊や疫病退散の要素が含まれると考えられる。

「鬼」と「神」の両義性は自然の姿そのものであり、鬼神、荒神は人間と対立する存在として山から現れる自然神の性格を持つ。彼らは自然の理や祭りの意味などを説き、やがて人間と和解したり契約したりして宝を置いて山に帰る。これは過酷な自然環境に生きてきた人々が「人の力の及ばない自然」といかに折り合いをつけて暮らすかという境地から生まれたストーリーと考えられ。現代のような医学がなかった時代は人々はただ「祈る」しかなかったが、祭りを行うことによって神の力を実感できたのだろう。

神楽によくある言い伝えは、祭りを休んだ年に疫病や飢饉があったのでまた再開したというものである。祭りを行うには多くの人手や物が必要で生活が安定しないと催行は困難だが、それを人々は続けてきたのである。

 

疫病に関わる神としてもっとも知られているのが釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされている外来の神で疫病神でもある「牛頭天王(ごずてんのう)」である。7月に行われる有名な京都の「祇園祭(ぎおんまつり)」は牛頭天王を祭神にしている八坂神社の祭りだ。牛頭天王は朝鮮半島との関連など解釈に諸説あるが神仏習合の立場では仏として薬師如来と考えられている。薬師如来もまた医薬の仏だ。また神話の神、素戔嗚命(すさのおのみこと)とも考えられていて、このあたりは先ほど紹介した「茅の輪くぐり」の信仰と重なる。

「祇園祭」は夏場の疫病を鎮め退散させる祈願の祭りで、神楽ではないが華やかな山鉾や神輿が町内を巡行して練り歩く大掛かりな祭りで、毎年多くの観光客が集まるが、今年は中止され、一部の重要な神事だけ行われた。

 

宮崎県諸塚村の南川神楽、戸下神楽では珍しく「牛頭天(ごずてん)」という疫神の演目がある。舞は直面の四人舞で牛頭天王が面形で出てくるわけではない。舞っているうちに「歳の神」と呼ばれるキャラクターが大きな男根を付けて出てくる。これは毎年工夫をこらして何人も登場、笑いを呼んで盛り上がる演目だが、これには牛頭天王が舞うことによって疫病がなくなったから安心して子作りに励める、という解釈があるのだ。

 

4. コロナ禍での神楽の状況

 

神楽もまた人が集まる祭りなので今年の春からほとんどの神楽は中止されたが、岩手県の大乗(だいじょう)神楽は「薬師舞」を疫病退散の祈願のために奉納した。大乗神楽はもともと仏教の寺で奉納されてきた神楽で岩手県の北上市を中心にいくつかの団体があるがその中の「和賀(わが)大乗神楽」、「村崎野(むらさきの)大乗神楽」、「宿(しゅく)大乗神楽」がそれぞれ4月に「薬師舞」だけを無観客で奉納。和賀大乗神楽はお囃子もソーシャルディスタンスを取り笛以外はマスクをしての奉納だった。

大乗神楽以外でも権現舞(ごんげんまい)と呼ばれる獅子舞だけを奉納した神楽がいくつかあったし、神楽以外の「鬼剣舞(おにけんばい)」「鹿踊り(ししおどり)」という民俗芸能も疫病退散祈願の舞や踊りを奉納した。これは昔からの「非常時に臨時の祭りを開催して対応する」という伝統的に姿が生きているものだ。

 

11月から霜月祭系の神楽のシーズンが始まったが、例年と同じように行うところは少なく、11月7日から8日にかけての秋田県の「保呂羽山霜月神楽(ほろわさんしもつきかぐら)」、12月13日~14日の長野県の「遠山霜月祭(とおやましもつきまつり)」の下栗地区などは一般の観客は入れずに地元の関係者だけで行うが、愛知県の「奥三河の花祭(おくみかわのはなまつり)」は東栄町の10ヶ所全てが中止になった。花祭は狭い場所で多くの人が歌ったり舞ったりするが、東京や名古屋などの都市部から来るファンも多いので慎重を期したのだと考える。

神楽の数が最も多い宮崎県でも、例年の神楽は中止にして神事だけ、あるいはそれに加えて「式三番」などと呼ばれる種類の「神事舞」だけ行ったところがほとんどだが、こういう事態だからこそやるべきだということで集落の人達だけで開催した地区もあり、銀鏡神楽は神楽三十三番のうち12月14日から15日にかけての三十二番を複数のデレビカメラを使い、スイッチングしながらリアルタイムでネット配信した。また高千穂神楽ではネットでのご祝儀を受け付け、御幣などの記念品をお返しにするというネット配信をした地区もあった。

他では広島県の比婆荒神神楽も無観客で神事舞と猿田彦舞などの重要な演目をネット配信した。

例年の場合は仕事のために都市部に出ていった村人が帰ってきて手伝うことによってなんとか続けてきた神楽が多いので、都市部からの感染者が来ることを防ぐためには親族でも帰ってくることはできないので困難な神楽が多かったのではないだろうか。

 

私はこの新型コロナウィルスによって神楽を中止したり例年と違う形で開催されることは神楽の継続にとっては大きな痛手になると考えているが、本来の「集落だけでの祭り」で行われたことにより、あらためて祭りの意義を再認識するいい機会になっっただろうし、外の者にとっての神楽の価値、氏子にとっての神楽の価値の違いをもあらためて認識し、それをすり合わせることによってこれからの神楽が見えてくるのではないかと思う。ネット配信という形を経験したことにも民俗芸能が生き残るヒントがあったと思われる。

 

神楽だけでなく祭りや民俗芸能は人が集まり密に交流し、祭り空間を共有することがもっとも重要なので、このコロナ禍での感染対策ではまっさきに忌避されるものとなり、これによって存続が危うくなるところも多いと聞くが、これをなんとか防ぐためには「共同体文化や意識が薄くなった都市部の人達による祭りや民俗芸能のへの本当の理解と支援で現地とつながる」「一方通行のマスメディアではなく、ネットなどのメディアを草の根的に有効利用すること」が欠かせないと考えている。

 

リアルタイムでYoutube配信された銀鏡神楽の「宿神三宝荒神」。観客席は関係者しかおらずガラガラである。通常は照明を極力減らして昔ながらの環境に近くして行われるが、この日はテレビ撮影のために照明で明るくしていて、本来の姿ではないが、ある意味貴重な記録になっている

 

 

 

※この原稿は昨年10月22日に行われた韓国・晋州仮面劇フェスティバルのオンライン学術セミナー「伝統仮面劇の呪術性と辟邪の機能」のための資料を現時点のものに書き換えたものです。

 

 

 

三上 敏視/みかみ としみ

音楽家、神楽・伝承音楽研究家。1953年 愛知県半田市生まれ、武蔵野育ち。93年に別冊宝島EX「アイヌの本」を企画編集。95年より奉納即興演奏グループである細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニットに参加。

日 本のルーツミュージックとネイティブカルチャーを探していて里神楽に出会い、その多彩さと深さに衝撃を受け、これを広く知ってもらいたいと01年9月に別 冊太陽『お神楽』としてまとめる。その後も辺境の神楽を中心にフィールドワークを続け、09年10月に単行本『神楽と出会う本』(アルテスパブリッシン グ)を出版、初の神楽ガイドブックとして各方面から注目を集める。神楽の国内外公演のコーディネイトも多い。映像を使って神楽を紹介する「神楽ビデオ ジョッキー」の活動も全国各地で行っている。現在は神楽太鼓の繊細で呪術的な響きを大切にしたモダンルーツ音楽を中心に多様な音楽を制作、ライブ活動も奉 納演奏からソロ、ユニット活動まで多岐にわたる。また気功音楽家として『気舞』『香功』などの作品もあり、気功・ヨガ愛好者にBGMとしてひろく使われて いる。多摩美術大学美術学部非常勤講師。