追悼 阿部珠理先生

渡村マイ

 

 

 

2019 年の 3 月 11 日、

東日本大震災について色々思いを巡らせて考えさせられていた矢先、

翌日の 12 日に入ってきた訃報。

 

阿部珠理先生は、

私が琉球大学から進学した、

立教大学院文学研究科比較文明学専攻で アメリカ先住民の聖地の開発問題と精神世界について研究していた際に師事した教授でした。

 

2018 年の 6 月に、余命宣告をされていて、

その余命宣告の日が、2019 年の 3 月。

 

最後にあったのは退任祝賀会。

 

そのパーティーにも、たくさんの教え子たちが足をか運び、お祝いをしていました。

 

私にとっては

女性シャーマンのような存在で、

人間味があって、

力強くて、

結構ハチャメチャなところもあるんだけど

意外なところで乙女な阿部先生は。

 

とにかく、生徒にも、男性にも、女性にも

「モテる人」 でした。

それは、肩書きよりも人とのつながりや関係性を大切にしていたから、

生徒とも、一人の人として向き合って接していたからだと感じています。

 

言いたいことは、はっきり言う

教授という枠にとらわれず、

生徒たちにたくさんの愛情を注いでいました。

ここまで生徒からも愛される先生ってなかなかいない

というくらい。

 

そんな枠を超えて、大学という枠さえもをはみ出しながら活躍し、突き進んでいた阿部先生が、

 

まさか、退任後にこんなに早く此の世を去るとは。

想像もつきませんでした。

 

そして、医師の予告通りに此の世を去ることも、

受け入れられず、不思議な気さえしました。

 

治療中も、電話で話した感じは、驚くほど以前と変わりなかった先生。

 

でもその張り詰めた声の裏に、

不安や葛藤を感じていなかったわけではありません。

 

先生の死をきっかけに、

たくさんの想いや考えが私の中に渦巻いていました。

 

 

誰でも平等にやってくる、「老い」と「死」

 

それと向かい合ったときに、人は何を感じ考えるのでしょう、

 

「死」それは決して終わりではなく、

はじまりでもあり、

次の世界に移動するだけ。

 

魂は永遠。

 

そう分かっていても、

この人生で築き上げたものと、

あらゆる関係性と自分自身を

手放すタイミングが近づいてきているという

実感のさなか、

 

人間は何を思うのでしょう。

 

もしかしたら、その時には

自分の人生の登場人物や

大切なものや出来事を振り返ること以上に

 

恐ろしいくらいシビアに、まっすぐに、

「自分自身と向き合う」のかもしれません、

 

自分は必要とされているのか

何を残したのか

何をやり遂げたのか

 

その真価を、自分自身で自分自身に問うのかもしれません。

 

 

オマエハナニヲシテキタノカ

 

 

その答えは、自分自身にしかわからないのかもしれません。

 

ただ、その一方で、

 

自分自信では、わからないのかもしれません。

実は、その「ナニヲシテキタノカ」の証は、

 

この世に残され、その人と関係したすべての人の中にあるとも言えるのです。

 

 

たとえ本人にフィードバックされていなくても、

生まれて死ぬまでに関係したすべての人の中に、

その人は生きていて、

そしてその生きた証を残しているのです。

 

時に 強く、深く、人の人生を左右するほどの存在でもあったかもしれず、

 

時に 優しくささやかに、さりげなくサポートをする存在であったかもしれません。

 

人に死期が近づいた時に

できるだけ、感謝とその思い出話をしながら

その人とコンタクトを取る

 

という昔ながら行われてきた風習的なことが

想像以上に大切なフィードバックで

 

次の世界に送り出す、祝辞になるのだと、

私は、今更ながら気がつきました。

 

 

阿部先生とは、

治療中に何度も電話して、話をしました。

 

なぜ病気になったのか

それは自分自身の決めたこと

それを乗り越えるためにある

生き方を変える必要がある

そんなサインなんだ。

 

だから、治療して

これから歩みたい人生をイメージしましょう

 

その時先生は、

難病を治す財団を立ち上げたいと言っていたけど

何か、曖昧さもあり

 

治療後の人生の目的を探していたような気もしました。

 

私は必死で、体に良いものを勧め、

ガンを治すための方法や情報を伝え、

治ったらやりたいことを聞くことで

現状を変えていこうと、必死でした。

 

でも、

 

今思えば、なぜその時に、

先生にひたすら感謝を伝えなかったのだろう。

 

どれだけ私の人生に大きな存在であって

先生と出会ったことで、

今の私があること 今も伝えきれない感謝があるということを

なぜ切々と伝えなかったんだろう。

 

だから生きてください。と

なぜ言えなかったんだろう。

 

それはきっと、私自身が 先生の宣告通りの死を受け入れたくない

受け入れてはいけない という怖れを持っていたからだったと思う。

怖れていたのは、私の方だったんだ。

 

現実を受け入れて、

気持ちに寄り添えてなかったのは

私だった。

 

先生が旅立ってから1年半、

落ち着いて振り返ると

 

今は言える、

怖れから行動するのではなく、

光に向かって動くからこそ

相手に光を生じさせられるのではないかと。

 

 

阿部先生、

 

同じ星に、同じ時代に生まれて、出会えて、

 

そして短い間ですが

先生に師事することができたことは、

私の人生の中でのとても幸せで素晴らしい出来事でした。

 

先生には、

生きる上で、本当にたくさんのことを教えてもらいました。

 

それまで教師や教員という職種が苦手だった私にとって

女性としての憧れと

社会的に活躍する姿への尊敬

人間的な魅力への共感を持つことができたのが阿部先生でした。

 

沖縄の大学にいた時から繋がっていたこと

 

遠くサウスダコタの街角のドラムショップで、まさか偶然にばったり出会ったこと

 

ゼミのサポートで久高島に案内させてもらったこと

 

研究室でこっそり一緒にタバコを吸っていたこと

 

先生らしい濃いえんじ色のシガレットケースを「あげるわよ」とくれたこと

 

論文の相談で怒鳴られて泣いたこと

 

学校帰りに一緒に岩盤浴に行ったこと

 

先生のモテ話と武勇伝で盛り上がったこと

 

私の憧れる女性として先生を紹介した特集記事をとても喜んで、大切に持ってくれていたこと

 

2年間という短い間でしたが、些細なことが今は本当に楽しい思い出です

 

卒業の時にもらった先生自作の「贈る言葉」の本、先生の生き方と教えが詰まっていました

 

治療生活に入ってからは、

ガン治療の最前線で関わってきた医師が

「人の意志の力」が病気に最も影響を与えるとしている話や

 

ガンを治して延命した方々からのメッセージや著作の内容、

「希望」を見出してそこに向かって生きることなど

 

先生と一緒に、私自身も、学ばせてもらうことがたくさんありました。

 

 

この世界では

いのちはみんな平等に

生まれて、生きて、死にます。

 

その「一瞬」とも言える、「一生」と言うものの間に、

 

感じたことや、成長したこと、

心に影響を与えたことは

 

魂に刻まれる永遠の「記憶」になると信じています。

 

 

だけど「構造」的な、

肉体とか、モノとか、環境とか、持っていけないから

価値がなくなるものもあるんですが、

 

でも、

 

だからこそ、

 

生きている間に愛おしく思うんですね。

 

当たり前のことなんですが、 改めて、この時代に、この環境で 1 日 1 日を生きることの大切さをひしひしと感じました。

 

明日は同じようにルーティーンで来るんじゃなくて、 毎日は、はじまり、終わる。

 

新しく生まれて、死んでいく

 

毎日、違う螺旋を描きながら進んでいる

 

「毎日」は

他でもない自分自身が創造しているもの。

 

自分が日々、選択して創ってきたものが自分の人生。

 

そしてそれは、

 

一度終わりを迎え、手放すタイミングが来るもの。

「こっちの世界」の終わり

「あっちの世界」のはじまり。

 

「あっち」と「こっち」は

どっちが「こっち」で、どっちが「あっち」なのかはわからない。

 

阿部先生、

 

「こっちの世界」で直接会えないのは寂しいですが、

「あっちの世界」で元気にしているでしょうか。

 

また、会えるのを楽しみにしています。

 

 

たくさんの学びと、気付きと

思い出をありがとうございます。

 

 

心からの

 

心からの感謝と愛を込めて

 

 

 

渡村 マイ/とむら まい

静岡県藤枝市在住。琉球大学で八重山芸能研究会で活動を行う一方、沖縄映像文化研究所の活動に関わる。立教大学院文学研究科比較文明学専攻にて、アメリカ先住民の文化を学んだ後、故郷である静岡県藤枝市に帰郷。ドキュメンタリー映画上映会などの活動を開始。2009年より地元観光協会に在籍、地域を紹介する「たびいく」冊子を取材・編集。地域素材の魅力発信、地域人に出会う「ローカルツーリズム」を提唱。一般社団法人SACLABO代表として、「人と自然の共生」オーガニックや地産地消、小さな循環をテーマに、マーケットの運営やリノベーションまちづくり、飲食経営や複合施設運営を行っている。