わたしはあなたの病気です

辻 信行

 

 

1歳2か月のとき、熱を出した。母に連れられ近所の小児科に行くと、「たぶん風邪でしょう」と言われた。しかし処方された解熱剤を飲んでも、夜になると40度まで発熱する。翌日もその翌日も熱は続いた。心配した母は別の病院に連れて行く。しかしそこでも「風邪ですよ。心配いりません」。処方された薬を飲んでも熱は下がらない。10日以上、大小さまざまな病院を行脚し、最後に振り出しに戻りもう一度近所の小児科を受診すると、「ハシカですね」と診断された。

 

そして間もなく、ぼくの熱は引いた。しかしどういうわけだか、この病の前後で性格が一変してしまったらしい。ハシカになる前は、陸上選手のようなスタート姿勢で勢いよく歩き始めようとしていたのに、ハシカから回復すると、そのように果敢なことは一切しなくなった。用心に用心を重ねるようになったのだ。歩く練習をするにしても、自分の眼前に杖替わりになる物がなければ立ち上がろうとすらしない。外出するときも、必ずベビーカーの支柱をぎゅっと握りしめるようになった。

 

それから20年が経ち、珍しく果敢にもインドで一人旅をしていたぼくは、バラナシで腹を壊し、熱を出した。デリーに戻り、日本から持ってきた解熱剤を飲んでも、夜になると発熱する。ぼくは自分の記憶の最も古い層にぼんやりと残存するあのハシカの日々を思い出していた。平熱を取り戻している昼間、オールド・デリーの混沌とした街中を歩きながら、ぼくは思った。自分が細菌に侵されているのではなく、自分が細菌なのではないかと。インドという巨大な身体のなかで、ぼくは異質な微生物に過ぎず、いまこの瞬間、インドの免疫機能によって苦しめられているのではないだろうかと。(詳しくはEFG第5号の寄稿文を参照されたい)

オールド・デリー(撮影:筆者)
オールド・デリー(撮影:筆者)

ゆえに、新型コロナウイルスのパンデミックにおいて、「ウイルスとの戦い」という表現がなされることには抵抗感が強く、「ウイルスとの共生」という表現にさえ、物足りなさを感じる。生物学者の福岡伸一さんは、ウイルスを「高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したもの」と指摘し、「ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、またどこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ」と語る。ウイルスは私たちの身体に戻ることで「進化を加速」させ、「ウイルスが病気や死をもたらすことでさえ利他的な行為」なのだと(引用はいずれも朝日新聞2020年4月3日付朝刊)。これは納得のいく見解であった。

 

そしてここから、寺山修司の「わたしはあなたの病気です」という言葉を思い出した。これは寺山の実験劇『疫病流行記』の中で繰り返しセリフとして発せられる。物語はこんな感じだ。

 

植民地キャバレー「商船パゴパゴ」で、ナンバーワン・ホステス、風疹マヨが今日もゆっくりと歯を磨いている。チャイナタウンから始まった疫病の流行は、この店にとっても他人事ではない。疫病患者が出たら、営業禁止になってしまう。ホステスたちは桃色衛星博覧会を開催し、歯の磨き方を特訓しようと画策する。このキャバレー、じつは陸軍野戦病院の跡地にできた。いまは地獄風呂の釜炊き回想録の卵男として生きている元陸軍上等兵によれば、30年前にこの病院で、疫病に関する忌わしい事件が起きたという。その全貌を探偵が解き明かしてゆく。捕虜に疫病菌を注射して疫病患者を量産し、それを町に放出することで爆弾以上の効果を出す作戦の途中で終戦になり、何が起こったのか。一兵卒に恨まれて注射を打たれた上官と、上官に注射を打たれた一兵卒の愛人の少女はどうなったのか。

 

この実験劇で寺山は、「伝染」とは「反復」の同義語であり、「疫病」とは「記憶」の一形態であると言わんとする。それを念頭に置いたとき、劇中で繰り返されるアフォリズム、「わたしはあなたの病気です」の真意が見えてくる。『疫病流行記』は、呪術的幻想の伝染性に満ちていると同時に、釘づけにされた密室の内部で純粋培養された「もう一つ」の疫病そのものである。金槌で釘を打つ呪術的行為によって、言語の始原性に近付こうとする本作は、ヨーロッパ各地で凱旋公演されることにより、「西洋の没落」と「日本の没落」の通底口がまさぐられた。それはすなわち、蘭学による疾病の治療が日本に近代の夜明けをもたらしたことと、それから150年後に「疫病」に関する本作がオランダをはじめヨーロッパ中の話題をさらったこととの暗合に見て取れる。

 

そしていま、演劇の感化力がイマジネーションを通して伝染してゆくという作品の意図を超え、「わたしはあなたの病気です」というアフォリズムが、肯定的な意味合いで共感をもたらす世界に突入したと、私たちは気付くことだろう。それはつまり、私たちの生がウイルスとの共生で成り立っていること以上に、私たちの存在そのものが、ウイルスであるということなのだ。

 

寺山修司『疫病流行記』の台本
寺山修司『疫病流行記』の台本


先日、美術文明史家の鶴岡真弓先生に、いまぼくの頭の中で寺山の「わたしはあなたの病気です」という言葉がぐるぐる回っていると話をした。すると鶴岡先生はこの言葉を「とても温かく感じる」と言った。たしかにそうなのだ。このアフォリズムは、私たちが相互に影響(感染)を与え続けながら生きていることを肯定的に言い表しているとも受け取れる。

 

鶴岡先生と話したのは、学問をする人のポータルサイト「トイビト」の取材のためである。「病を鎮める生命デザイン」をテーマに、コロナ時代を生きる智慧についてお話を伺った。パンデミックと民主主義の類似性に始まり、「鎮める」という言葉の本来の意味、クラゲとアマビエが発光する理由、ユーロ=アジアの諸民族が象る「太陽の鳥」、そして人類は戦争による人工の死を重視し、自然界の微生物やウイルスのもたらした死を軽視してきたこと。とくに結論で語られた次の言葉は、一人でも多くの方に届くことを切に祈りたい。

 

「地球の主人公」は人間ではありません。それは生きとし生けるものたちと、「鎮死者」のように行き倒れ、累々と堆積されてきた死者たちの総体なのです。私たちは、一人の<個>ではなく、人類という<種>として生きることで、この地球の生命循環を脈々とつないでゆく一員になれるのです。

 

(出典:「トイビト」。全文は以下のサイトをご覧ください) https://www.toibito.com/column/humanities/ethnology/2594

 

新型コロナウイルスによって国を超えた人の移動が制限され、各国でナショナリズムが高まり、アメリカを中心に人種差別の問題が激化している。ぼくはマルコムXと同じ誕生日に生まれた身として、高校時代に彼の半生を調べ、マルコムXが急進的なブラック・ムスリムであったと知ってから、「黒人」と一括りで捉えるのは誤りで、その中の多様性にも眼差しを向ける必要性を痛感した。

 

マルコムXが米国内で大々的に活動を展開し始めた頃、日本では映画『キクとイサム』(今井正監督・1959年)が公開された。これは、アメリカ占領軍の黒人と日本人の母との間に生まれた姉弟が、会津の山村でさまざまな偏見にさらされながら明るく生きていこうとする物語だ。主人公のキクとイサムには、同じ出自を持つ高橋恵美子と奥の山ジョージが抜擢された。「混血児」が「恥ずべき」存在とみなされ、映画の主人公には到底なれなかった時代。よくぞ制作できたと思う。そしてこの映画で描かれている偏見や差別が、それから60年以上が経ったいま、どれほど解消されたかと思うと心もとない。

映画『キクとイサム』のポスター
映画『キクとイサム』のポスター

難民問題に携わっている友人から、「共生」も「多様性」も見てくれの良い言葉に過ぎず、実際の現場ではそのような理想主義ではとても解決できない人間の根深い業に直面すると、数年前に諭されたことがあった。「コロナ時代」が幕を開け、その言葉が苦みを伴って思い起こされる。しかし、「わたしはあなたの病気です」に代表される、底はかとない想像力を喚起する言葉もまた、現実のもう一つの側面を創造する大いなる可能性を秘めているのだと信じたい。

 

 

 

辻 信行/つじ のぶゆき

 

東京自由大学理事・運営委員長。横浜生まれ。汽笛の聞こえる里山の近くで育つ。現在、中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程。法政大学沖縄文化研究所奨励研究員。宗教学・民俗学・比較文学をふまえ、離れ小島や都市の喧噪、カビ臭い本の中でフィールドワークを重ねつつ、様々な「境界」を研究している。主な論文に、「他界観のイメージ画にみる境界―喜界島における調査を中心に―」、「生と死をめぐる風景―喜界島の祭祀儀礼より―」、「寺山修司の身心変容―不完全な死体への質問状」など。