気功エッセイ 第7回 

「世直し」ってなんだ? ~東京自由大学的「世直し」の試み~

鳥飼美和子

 

 

 

東京自由大学で20144月から「世直し講座」が始まった。

世直し!!

この言葉を私は「好き」とは言えないと、その講座のときに話した。

なぜなら、世直しといって世が直ったことなんかない、と思っていたからだ。

私が生まれてからおこった「世直し」的な社会運動、その一つが60年代から70年代にかけての学生たちの体制に対する闘争だった。

差別に対する、不当に対する、腐敗に対する、帝国主義に対する闘争。それは正しいものを求めての運動であったはずだ。

高校だったころ、友人は部落解放運動の組織に入った。さらに成田空港反対闘争にも行った。私は行けなかった。彼女の話や、その仲間の在り様を見て、世の中を正そうとしているのだ、と理解しつつも、その中に脅迫的なものを感じてしまった。そんな自分は臆病で勇気が無いのだ、とも思った。

  

19722月は忘れられない。

過激派と呼ばれた若者たち・連合赤軍の起こした「あさま山荘事件」は、映画にもなっているが、彼らと警察との10日間におよぶ市街戦のような様子を日本中がテレビで観た。しかし私にとってそれより衝撃だったのは後に明らかになった山岳ベース事件と呼ばれる集団リンチによる大量殺人だった。

理想的な社会をもとめて、「正義」を求めて学生運動を始めた人間の行きついた果てがこれなのか、衝撃は深かった。独裁者とそれを取り巻く人間の個人的感情、心の底に潜んでいる恨み、ねたみ、悲しみが怪物となって現れて人を支配する。時には強い力をもった言葉として、まるで正しいことのように、逆らえない雰囲気をまとって。

そんな組織の中で自分が窮地に落ちそうになれば、人は残虐になれる、論理も哲学も思想も、いくらでも変形してしまう。人間ってどんなに社会の理想を語っても、追いつめられればこんなところにまで至ってしまうのか・・・。

高校2年だったわたしは、自分は社会的な人間ではない、ごく個人的な感性と思考によって生きる、と決めた。その後かなりの間、極私的、という言葉に魅かれていた。

人を「正義」の名によって脅迫、恫喝しない生き方、極私的であることが潔い、人を支配しない、という感覚だった。連合赤軍事件とオウム真理教、組織、集団が独裁と閉塞の状況に入ることによって陥るところは同じ、オウムは個人の悟りを求めて、集団の闇に落ちた。連合赤軍と逆コースだが同根なのではないかと思った。

 

極私的という言葉に魅かれて生きていたはずの私が、表現の世界から脱落し、仏教や気功に魅かれて行くにつれて、他者や社会に向き合わざるを得なくなっていった。欲望の変化、他者の喜びを自分の喜びとできるか、というのが仏教や気功によって私のテーマになったのだから。その道がまさに東京自由大学での今の活動に繋がっているのだ。

 

1960年代に新しい共同体と生き方を求めて既存の社会にアンチを唱えて世界的な広がりをみせたヒッピームーブメントもひとつの世直しだったと言えよう。その終焉に共同体の変質が見て取れる。日本におけるヒッピームーブメント「部族」の中心的存在であった山尾三省氏の『ジョーがくれた石』(地湧社)によれば、自由な共同体のなかに子供が生まれ、家族が生まれたことが、その新たな人間の在り方を求めた「部族」の活動の消滅の一番の原因だったと書いている。

平和と愛を求め、所有から離れる生き方を求めた人々の共同体が、家族の結びつきによって崩壊するということ。これは権力欲による支配と裏表の人間の本質でもある。

山尾三省氏は部族的共同体から、そこに住む人々とその営み、さらに自然とが織りなす「里」づくりへ、「コミューンからコミュニティへ」とその生き方を変容させていった。

彼の遺した三つの遺言の最後に彼は次のように記している。「市民運動も悪くないけど、もっともっと豊かな個人運動があることを、ぼくたちは知ってるよね。その個人運動のひとつの形としてぼくは死んでいくわけですから。 」と。

死さえも、世界を愛し、よりよい世界の実現への豊かな個人運動である、という境地へ山尾三省氏の歩みは深化していったのだ。

私の「極私的に生きる」と山尾三省氏の「個人運動」には、愛の深さにおいて、豊かさにおいて雲泥の差がある。どこまで三省氏の「個人運動」に近づけるだろうか・・・。

 

東京自由大学での「世直し講座」では、「個人運動」を豊かに展開している講師が登場している。「震災解読事典」においては、まさに目前の大問題にそれぞれの立場から真摯な「個人活動」の実践が語られている。私たちはそれに如何に応える事が出来るかが問われている。

もちろん個人運動にも問題がある。大きな動きになりえない、時間がかかる、大きな力の前では何の効力もない、などの限界がある。

「震災解読事典第八章 震災とメディア」 において講師の森達也氏が、連帯という言葉、絆と言う言葉は同調圧力があって良くないが、東京自由大学とは緩やかに連帯してゆこう、と言ってくれたことに、個人運動の限界を脱する一つのヒントがある。

さらに、震災解読事典第二章「震災と民俗」の赤坂憲雄氏は先日、震災の復興をどう捉えるかという先日TV番組で、勝たなくても良いから負けない戦いを粘り強くしよう。誰か一人の力に頼らず、一人ひとりが声を上げ、それをお互いに聴きあって納得して進んでゆこう、と語っていた。戦いとは、大きな矛盾に対するチャレンジだとも言えよう。

彼らの言葉は、「小さくても、一人でも、声を上げよう、そしてお互いの声を聞きあおう。マイノリティでも信頼できるものがネットワークしてゆこう。時間がかかっても、諦めずに、世の中を少しでも良くしようよ」と呼びかけているようだ。東京自由大学の活動はそれに応える小さな試みだ。

鎌田理事長の言葉を加えれば、そこにユーモアと笑いが必要だということになる。さて、それでは東京自由大学のドンキホーテ的??!!歩みを進めて行こう。


 

 

鳥飼 美和子/とりかい みわこ
気功家・長野県諏訪市出身。立教大学文学部卒。NHK教育テレビ「気功専科Ⅱ」インストラクター、関西気功協会理事を経て、現在NPO法人東京自由大学理事、峨眉功法普及会・関東世話人。日常の健康のための気功クラスの他に、精神神経科のデイケアクラスなどでも気功を指導する。
幼いころ庭石の上で踊っていたのが“気功”のはじめかもしれない。長じて前衛舞踏の活動を経て気功の世界へ。気功は文科系体育、気功はアート、気功は哲学、気功は内なる神仏との出会い、あるいは魔鬼との葛藤?? 身息心の曼荼羅への参入技法にして、天人合一への道程。
著書『きれいになる気功~激動の時代をしなやかに生きる』ちくま文庫(2013年)、『気功エクササイズ』成美堂出版(2005年・絶版)、『気功心法』瑞昇文化事業股份有限公司(2005年・台湾)