アースフリーグリーン革命あるいは生態智を求めて その9   

鎌田東二

 

 

 

14、東北被災地を巡る夏合宿とその後の異変

 

くれないに燃え果てるまで生き通し

  常世の境 越えてゆくらむ

 

うつしみの身はひとひらの蝶と化し

  闇夜の空をこえわたりゆく

 

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水の音とともにかすれゆく記憶

天にはふたまたの大烏がいて

象の肺腑を覗き込んでいる

 

沁み込んでいく入日を受ける

朝日の食卓に並べられた色鮮やかな蓴菜

今日の記憶を辿ろうとしても

<忘れようとしても想い出せない>日々

 

哀しみのトレモロ

着の身のままでまっすぐに生きて来た人びとともに潮風に吹かれ

この世にあるひとときを

凪の海を見て過ごす

 

けれどもすぐにまた

荒れ狂う風乱の神々

額づいて唱える乱声の祝詞さえも

千々に途切れて微声となって止む

<光陰矢の如し>

 

旅人に還る所はない

故郷を失くした流浪者は

はたして旅人といえるのだろうか

 

地下水脈の行方に耳を澄ましながら

明日が生まれてくる産声の予兆を聴く

 

しかし

何ものも生ぜず

何ものも滅することもない

 

不生不滅

不増不減

定常宇宙

 

エントロピーさえも風と共に去りぬ、か

 

やがて静かに起き出してくるモノたち

眠れる獅子どもの首に数珠つなぎになったヒト細胞群の飛散する蒼穹は

星雲の彼方からの呼び声に応じて木霊する

 

SOS

SOS

 

スピリット・オープン・スペース

スピリット・オーポン・スペース

 

モールス信号のようにまたたく太陽の眸

 

もうこれ以上の願いを語ることは

許されぬとしても

許されぬ闇の希望とともにある

 

往ける者

逝けるモノよ

 

この世にはもはや

持ち運びできる塵一つない

 

落剝されたる時間と空間の不定の渚に

ただ

泡の如く浮かび

 

  を待つ

待ち 望む

     

 

【入院中の作】

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821日から2日まで、PO法人東京自由大学の夏合宿で(1)、福島県の浪江町から岩手県宮古市や遠野市や花巻市まで、東北被災地を巡っているうちに、目の異変に気づいた。左目の右半分近くがブラックアウトしたのである。

 

京都に戻って町の眼科医に診てもらうと、「網膜剥離」とのことで、その場で京大病院に電話され、着の身着のままで緊急入院、翌日手術となった。

 

たぶん「網膜剥離」の原因は、加齢による老化と繰り返された打撲と激しい運動や活動なのであろう。「想定外」の「異変」だったが、左目の半分近くまで網膜が剥がれていたので、危うく視力を失いかけて寸前での緊急手術だった。

その日から、患者としては最優等性で、医師や看護士さんに褒められる始末。ひたすら早く「娑婆」に戻りたい一心で、24時間の内、23時間うつ伏せ状態を維持した。山伏ならぬうつ伏せ行者の五体投地の修行。確かにきつかったが、こんな「修行」はしようと思ってもできないと思ってやりぬいた。

退院した今もガスが抜けきるまで、しばらくこのうつ伏せ状態が続く。

退院後外に出て、眩しい光の中、秋風が吹き過ぎて行くのを感じ、あまりの爽やかさに涙した。だが、2週間寝たきりだったために、体はふらふら、真っ直ぐ見ようとすると頭くらくら、バランスが取れず、転びそうだった。最も感動したのは秋の気配の立ち込めた「風」だった。

入院中の2週間の間に、石牟礼道子の『苦海浄土』第一部と第二部と第三部の一部を毎日妻に読んでもらった。600頁余の石牟礼道子全集のほぼ2巻分がしっかり耳に入った。

床伏せしたまま、石牟礼道子の作品を聴きながら、これは「草木言語う」凄絶で美しく哀しく祈りと呪詛の籠った作品だと深く深く感じ入った。

 

今日、914日(日)、これから同志社大学に赴き、日本宗教学会第73回学術大会で、棚次正和京都府立医科大学教授や鶴岡賀雄東京大学教授や津城寛文筑波大学教授や井上ウィマラ高野山大学教授たちと「宗教研究として『身心変容技法』が問いかけるもの」というパネル発表を行なう。「網膜剥離」という「身心変容」を体験した自分には相応しい初社会復帰のイベントだ(2)。

 

そして、来週、918日から20日まで、3日間熊本に赴き、病中の石牟礼道子氏(87歳)に「こころの未来」第14号のための巻頭インタビューをする。たぶんお会いして直接話の出来る生涯唯一の機会になるだろう。心して臨みたい。

 

1時間の網膜剥離の手術は、部分麻酔だったために、眼球にブスリと麻酔注射するのがよくわかった。動いてはいけない、ミリ・ミクロン単位の手術なので、思わずクシャミをしないかとかと緊張したが、不動の姿勢を保った。目にメスが入った時だろうか、スタンリーキューブリックの『2001年宇宙の旅』のラストシーンの木製重力圏に引き込まれていく際のサイケデリックな光と色彩の洪水のような状態を体験した。光りの拡散と変化。そして、赤の爆発(おそらく血が出たのでしょう)と変容。3つめは、ゴヤの人間群像のような集合紋様。そんな視覚変化があった。

2週間の床伏し行では、手術をしていない方の目が腫れに腫れ、「線香花火が燃え尽きて落ちる寸前」の「お岩さん顔」に「身心変容」した。

ほとんど目をつむったままの2週間の間、極彩色の夢を見続けた。最初に見た極彩色の夢は次のような夢だった。

 

 

――虚空に巨大なフラフープの風船のようなものが浮かんでいた。その二重の風船の上に不安定に足をかけて、男は隣の女の腰を抱いた。

 女はにっこり微笑んで「しわあせね」と言った。

 下を見ると、赤茶けた火山の噴火口と真っ青な海が広がっていた。

 よく見ると、距離が伸び縮みするようで、目がくらくらした。

 男は、「これは、夢だろうか?」と女に問うた。

 女は、「ええ、夢よ。なぜなら、遠くのものが近くに、近くのものが遠くに見えるから。」と答えた。

 男は、「夢なら、ここから一緒に墜ちていこう」と女を誘った。

 女が「それはできません。」と断ると、忽ちそこは地面の上となった。

 男は安定した地面の上で女を抱き寄せた。

 女はにっこり微笑んでそれに応え、二人はやさしく口づけた。

 

 

ルネサンスを代表する絵画、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を想起するような夢だった。

そして、最後の夜に見たのが次のような夢であった。

 

 

――知人の写真家の若き女性が講堂のようなところで「美と霊性」について講義をし、理路整然と静かに講義をし終えた。

と思う間もなく、突然、講師の隣にあった大きな書棚を見上げて、突然、そこにある書物を全部、荒々しく投げ散らした。その棚の置物もすべて床に叩きつけて壊した。

最後に一番大きな置物を叩き壊そうとした時、経営者とも責任者とも理事長さんとも見える老人が「やめろ!」と止めようとしたが、後の祭りだった。それは激しく床に叩きつけられ、壊れて勢いよく転がった。

よく見ると、それは巨大な人間の頭であった。若き女性はその壊れた頭の脳みそを思いっきり蹴り飛ばした。脳みそがコロコロと音を立てて転がった。それを見ていたわたしは、

「なるほど、そうなのか。魂というものは、霊性というものは、『無限定』なものなのだ。」

と呟き、深く、納得していた。

 

虚空に「無限定」という言葉が鳴り響いていた・・・・

 

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種明かしをすれば、この最後の夢に出てきた「知人の写真家の若き女性」というのが、EFGの管理者の高橋あいさんだった。もしかして、EFGの原稿なんぞ、かっとばせ~、というメッセージだったのかも!!???

 

(1)821日から26日までNPO法人東京自由大学の夏合宿があった。

夏合宿 「東北被災地を巡る鎮魂の旅 2
一昨年2012年に東北大震災被災地を参拝しつつ巡りましたが、その後2年経過し現況の確認と現地で邂逅した方々と再会し語り合うため、ほぼ同じコースを辿る合宿を実施します。
旅程で大きく変化したのは、第1日目に福島に行き、浪江町、南相馬市、相馬市を訪れ、福島の実情を体感し、より深く現実を直視し問題を共有することにしたことです。
帰還困難区域の方々、仮設住宅の暮らし、復興・除染の状況、農業、漁業問題など 山積している問題が長年続き、地域への信頼、安心を失い、幸せな笑顔が消えていく 現状から如何に転回し、地域の真の豊かさや幸せを構築していくか考えあい、より良い将来を子子孫孫に受け渡していく責任があると感じます。

日程: 821日(木)~25日(月)(45日)
訪問地: 福島駅集合~福島県浪江町、南相馬市、相馬市、宮城県塩釜市、石巻市、気仙沼市、岩手県釜石市、遠野市~新花巻駅解散

詳細日程
1
日目 821日(木)
午前10時半頃、福島駅集合(貸し切りバス乗車)
浪江町・清水寺参拝
南相馬市(鹿島御子神社と多珂神社参拝)
相馬市(中村神社と子負嶺神社を参拝)
モンタナリゾート岩沼(泊)
福島県双葉郡浪江町にある熊野山蓮華院清水寺(真言宗豊山派)の林心澄住職にお話を伺う。

2
日目 822日(金)
名取市閖上地区富主姫神社・閖上湊神社参拝、同地供養塔にて鎮魂の祈り
浪分神社参拝・荒浜供養塔にて鎮魂の祈り
七ヶ浜町:七ヶ浜地区・鼻節神社(延喜式内社・祭神:猿田彦大神)参拝
塩釜市:塩竈神社・志波彦神社(延喜式内社)参拝
松島見学
女川:熊野神社参拝。鎮魂の祈り
石巻市北上町:釣石神社参拝・鎮魂の祈り
石巻市雄勝町:葉山神社参拝・鎮魂の祈り
石巻市雄勝町の亀山旅館(泊)
「心の相談室」事務局長の鈴木岩弓東北大学教授および伊藤博夫雄勝法印神楽保存会会長・千葉秀司葉山神社宮司のお話を伺う。

3
日目 823日(土)
早朝、朝食前に有志のみ:葉山神社の奥宮の石(いその)神社(延喜式内社)参拝
朝食後、半島を巡り、海と町が一望できる南三陸町高台公園(神社あり)で鎮魂の祈り
気仙沼市陸前階上:陸中国立公園岩井崎・伊勢浜見学
琴平神社
地福寺参拝・鎮魂の祈り
気仙沼市内:紫神社・金光教教会・五十鈴神社参拝、鎮魂の祈り
フェリー大島汽船・大島に渡り、竜舞崎見学
大島神社参拝
大島汽船
ホテル観洋(泊)
片山秀光地福寺(臨済宗妙心寺派)住職のお話を伺う。

4
日目 824日(日)
岩手県陸前高田市和田地区:慈恩寺(臨済宗妙心寺派)参拝・鎮魂の祈り
岩手県山田町荒神社参拝・弁天島遥拝
岩手県釜石市:鉄神社 尾崎神社参拝、鎮魂の祈り。小川地区サポートセンターで職員の方からお話をうかがう
岩手県大槌町第9仮設住宅訪問・交流
宮古市の海の見える浄土ヶ浜パークホテルに移動(泊)
吉田律子NPO法人岩手サンガの会理事長のお話を伺う。

5
日目 825日(月)
遠野に向かう。遠野博物館、河童ヶ淵など『遠野物語』の伝承地を見学
遠野ふるさと村で昼食後、花巻市の宮沢賢治記念館見学
15
時頃、新花巻駅から新幹線で東京に帰京する組と大償い神楽を見学する組とに分かれる。

夜、神楽の館で大償神楽見学。

 

826日(火)

大償神社正式参拝。諸文化施設見学。

 

 

 

(2)914日に同志社大学で発表した「身心変容技法研究」の要旨。

「身心変容技法」とは身体と心の状態を当事者にとってよりよいと考えられる理想的な状態に切り替え変容・転換させる諸技法をいう。古来、宗教・芸術・芸能・武道・スポーツ・教育などの諸領域で様々な「技法」が 編み出され、伝承され、実践されてきた。本パネルでは、そうした「身心変容技法」の研究が「宗教研究」に何を問いかけるかを、総論と各論を通して検討する。

まずその問いは、研究方法(手法)と研究対象(内容)に分けられる。研究方法としては、「身心変容技法」に関する文献研究・フィールド研究・臨床研究・実験研究がある。とりわけオウム真理教事件後の宗教研究にとって、本研究はフィールド研究と臨床研究において現代的意義と批判的応用的価値を持つものである。また、昨今隆盛の脳神経科学的な実験研究と関連する問題としても可能性と批判的反省の意義を持つ。

研究対象としては、祈り・祭り・元服・洗礼・灌頂などの伝統的宗教儀礼、種々の瞑想・イニシエーションや武道・武術・体術などの修行やスポーツのトレーニング、歌・合唱・ 舞踊などの芸術や芸能、治療・セラピー・ケア、教育プログラムなどの諸領域があり、またその起源・諸相・構造・本質・意義・応用性・未来性を問うことができる。宗教研究としては、身体論や身体技法論、修行論、変性意識状態・神秘体験(宗教体験)・回心・心直し研究などに総合的な知見と基準をもたらすものと期待できる。

そこで鍵となるもっとも一般的な身心変容技法は、「調身・調息・調心」という言い方に見られるように「呼吸法」である。また日本の芸能や芸道・武道においては「重心」(腹や腰の入れ方・あり方)も重要となる。それとの関連において、スーフィーダンスのような回転やジャンプ(跳躍)、足踏み・首振りなども問題となる。

可視化できる身体の領域から、目には見えないが感受できる心の領域、そして目にも見えず感受も不確かではあるが種々の宗教体験や宗教思想の中でリアリティを持つ霊の領域までをつなぐ「ワザ」として諸種の「身心変容技法」を挙げることができるが、日本における最初の「身心変容技法」の文献記述として、『古事記』におけるアメノウズメノミコトの「神懸り」を取り上げてみたい。この「神懸り」は、『日本書紀』では「俳優(ワザヲギ)」と言い換えられているが、それは単に演劇的な変身という意味以上に、「人に非ず優れたるモノと成る(化す)超越のワザ」である。それが神楽・鎮魂などの日本の芸能の起源伝承の一つであり、能や歌舞伎や各種の民俗芸能とも連なっていく。

人が神と成り、動物や植物や鉱物や物と成り、身心変容していく超越ないし変態(変身)のワザ。こうして、宗教研究にとって、もっとも重要な課題の一つとしての自己変容や関係変容の問題をこの「身心変容技法研究」は総合的・総体的・方法的に追求することのできる領域となる。同時に今後、霊長類研究や進化生物学にとっても、「乱世」おける身心再生の方策としても、未来的な示唆を含み与える課題となるであろう。

「体は嘘をつかないが、心は嘘をつく。そして、魂(霊性)は嘘をつけない」というのが、「身心霊」三層関係に対するわが持論である。それゆえにこそ、「心」に対する洞察と方法的対峙が重要となる。その課題に「身心変容技法研究」は真っ直ぐに応えるものである。

 

 

 

鎌田 東二/かまた とうじ

1951 年徳島県阿南市生まれ。國學院大學文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科神道学専攻博士課程単位取得退学。岡山大学大学院医歯学総合研究科社会環境生命科 学専攻単位取得退学。武蔵丘短期大学助教授、京都造形芸術大学教授を経て、現在、京都大学こころの未来研究センター教授。NPO法人東京自由大学理事長。文学博士。宗教哲学・民俗学・日本思想史・比較文明学などを専攻。神道ソングライター。神仏習合フリーランス神主。石笛・横笛・法螺貝奏者。著書に『神界のフィールドワーク』(ちくま学芸文庫)『翁童論』(新曜社)4部作、『宗教と霊性』『神と仏の出逢う国』『古事記ワンダーランド』(角川選書)『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』(岩波現代文庫)『超訳古事記』(ミシマ社)『神と仏の精神史』『現代神道論霊性と生態智の探究』(春秋社)『「呪い」を解く』(文春文庫)など。鎌田東二オフィシャルサイト