白い道
木村はるみ
夏合宿に参加していろいろあった発見のひとつに、星影のワルツ「南無阿弥陀仏」が東京自由大学の第2校歌らしいということがある。東野でごはんを食べる前にみんなで歌ったのだが、その時に鎌田理事長が話していた。えー、校歌があるの? と驚き、この星影のワルツ「南無阿弥陀仏」を味わうようになった。聞くのは2度目である。一度は神田の教室で突然に井上さんが立って歌った。その時も何か、唐突ではあったが忘れがたいものを感じた。鎌田先生が力説する「反復の力」かもしれないと勝手に分析し、井上さんのセンスであると思っていたが、校歌だったのか。
私にとって「南無阿弥陀仏」はあまり身近ではない。仏教儀礼で僧侶が唱えるものとして距離を置き、大事にしていたとも敬遠していたとも思える。我が家は厳格であまり楽しい家ではなかった。仏教儀礼には親戚一同慣習的にまじめに関わる天台宗の檀家であった。
その家族的・宗教的ヒエラルキアに幼いながらいつもうんざりしながら、しかし平安や安泰を感じてもいた。習字やお茶もお寺で習った。いわゆる寺子屋みたいなもので叔母は書道と茶道の先生だった。世の変化とともに日本のこうした宗教的血縁共同体が崩れていった。自由になりそして平安を失った。もとの形にはもどりたくないが、無くしたくないものがそこにはあった。何だろう。
話はかわるが、先日、キリスト者共同体の司祭の話を聞きに行って、どこかで聞いた話というのがある。テーマは放射能という物質的変容とパンとワインの変容という、対極の変容論であったが、その話はさておき、話の中でワニが沢山いる川を渡る話があったのだ。橋を渡って向こう岸に行きたいのだが、橋の両側には沢山のワニが大きな口をあけてざわざわと噛みつこうとしている。恐怖でガタガタ震えて足が竦む、とっても渡れない、さてどうするか、という話である。この話は、仏教の「二河白道」とかなり類似している。仏画や美術品などで見たことのある人もいるかもしれないが、一応、以下は奈良国立博物館所蔵の絵画の説明である。他にも沢山あるらしい。
http://www.narahaku.go.jp/collection/d-948-0-1.html
中国・唐の善導(613~681)が著した『観無量寿経』の註釈書である『観無量寿仏経疏』(『観経疏』)巻第四で、この二河白道の譬喩が説かれている。わが国では法然(1133~1212)や親鸞(1173~1262)がその著書で引用・言及してから浄土教諸派で絵画化されるようになる。 現世で群賊や悪獣(悪や誘惑の譬え)に襲われようとする衆生が、西(極楽浄土の方向)に向かって走ると目前に火河と水河(自身の「いかり・憎しみ」と「こだわり・むさぼり」の心の象徴)が現れる。その間にわずかに白道(極楽往生を願う清浄な心)が対岸に向かってのびる。衆生は一心に阿弥陀を念ずることによって迷うことなく白道をわたり極楽往生をとげるという。二河白道図は『観経疏』の二河譬を典拠とした絵画化にあわせて、娑婆世界の多くの景物情景が描き込まれるのが特徴である。図は上左方が阿弥陀の極楽浄土で、宝池の中に化生人物を、また白道の彼岸(西岸)には迎接の阿弥陀三尊を表している。銀泥や截金で装飾した洲浜形を象り、宝樹や花卉、霊鳥などを美しく配している。下段(東岸)は現世を表し、悪獣や襲いかかろうとする武士、悪に誘惑しようとする人物などを細かく描いている。本図の細密画的な精緻な表現はきわめて特徴あるものだが、これは京都・知恩寺本や奈良国立博物館本をはじめとする同時代の観経序分義図などの当麻曼荼羅派生図の表現に近いことが興味深い。なお、香雪美術館本には韋提希(いだいけ)夫人を明らかに描いていて、二河白道図と序分義図との密接な関係を想像させる。
他にもインターネット上には沢山の説明がでてきたり、画像や動画もある。
実に興味深い。善導は絵画で説法したらしい。我らはいつも向こう岸に手招きしてる阿弥陀様とこちら(娑婆)で行きなさいと言って下さる阿弥陀様に励まされながら、火と水の襲いかかる細い一本の白い道を一人で歩いて行かなければならない、その時「南無阿弥陀仏」と唱えながら旅人は歩むのである。
ワニの大きな口に恐れずに行くためには、小さきキリストの兄弟にこころを向けるのである。小さなことにこころを向ける、そんな簡単でつまらないことが実は橋を渡る秘儀であった。
井上さんの直立で歌う姿は、神々しかったのでした。どこかしっかりと向かって歌っていました。東野での歌声も食事の前の合唱は、旅の成功をもたらしました。星影のワルツにのって一心に「南無阿弥陀仏」を唱えれば白い道も楽しく歩いて行けるかもしれない。
でも、鎌田先生は何故突然にその歌を歌ったのでしょう。かなりお疲れで畳にドタッと仰向けになっていた姿もあって心配していたのですが、やはりごはんの時には明るく元気なスピリットがやってきたのでしょうか。みんなに嬉しそうに説明していました。
木村 はるみ/きむら はるみ
1957年日本生。やぎ座。東京自由大学会員。筑波大学大学院博士課程体育科学研究科満期退学。現在、国立大学法人山梨大学大学院教育学研究科身体文化コース准教授。舞踊・舞踊教育学・体育哲学。1991ロンドン大学付設ラバンセンター在外研究員、Notation法を学ぶ。1996東京大学大学院総合文化研究科内地研究員、2012年度京都大学こころの未来研究センター内地研究員。2013・14年度同連携研究員。受入教員の鎌田東二教授を通して東京自由大学のことを知る。驚く。設立趣旨に感動し入会。もっと早く知りたかったですが、今からでも遅くはないですよね。神道ソングと法螺貝が大好き。日本の宗教と芸能の関係を研究中。現在、舞踊作品創作にも取組中。ご興味のある方ご連絡ください。