境界をめぐる冒険
Ⅵ 変容の山への道
辻 信行
その人がやってくる前夜、こんな夢を見た。
ぼくは寺社が立ち並ぶ古い街並みを歩いている。とつぜん向かい風が吹いてきて、辺りが薄暗くなる。それでも前に進んでゆく。左の方に、寺の山門が見える。入ってみようと思う。すると、閃光とともに大地を揺るがす雷鳴がとどろく。「これ以上、行ってはならない」。次の瞬間、場面が転換する。
ぼくは床も壁も天井も、真っ白な部屋の中に一人でいる。部屋の中にはなにも無い。いや、うしろの壁に備えつけの白い電話が掛かっている。突然、その電話がけたたましく鳴る。ぼくは恐る恐る受話器を取る。
「もしもし」
「もしもし、準備ができました。これからお迎えに参ります」低い男の声がそう告げる。次の瞬間、また場面が転換する。
ぼくは眠っている。眠っている自分を天井から見下ろしている。そしてぞっとする。ぼくの背中には、痩せ細った老婆が一人、張りついている。どういうことだろう。まるでぼくは憑依されているみたいだ。
そして目覚める。じっとりと背中に汗をかいている。急いで立ち上がる。突然吐き気が込み上げる。歩き出す。ますます吐き気が強くなる。
「それで、どうして気分が悪くなったんだと思う?」と彼女は尋ねる。
「分かりません。だけど霊能力者に会うまえに、憑依されている人は体調がおかしくなるって聞いたことがあります。霊が嫌がるから」
「なるほど。つまり私は霊能力者で、きみは憑依されている人ってわけだ」
「違うんですか?」
「半分は違わない。もっとも私は自分のことを『霊能力者』だなんて自称することはないけれど、世間でそう言われてる人たちと同じような能力はあると思う。でももう半分は違うんだな。きみは憑依なんかされてない。夢で見た老婆は、きみに憑りついているのではない。守護霊だよ。あるいはきみのメタファーと言ってもいい」
「ぼくは、痩せ細った老婆みたいだってことですか」
「極言すればね。13歳のいまのきみは」
「よく分からないんですが」
「構わないよ。さて、そろそろ本題に入ろうか。なぜ私がイギリスから一時帰国して、きみに会いに来たのか」
彼女が教えてくれたその理由を、ぼくはまだ語ることができない。もしかしたら、それを語れる日はやって来ないのかもしれない。彼女はぼくが瞬間瞬間に考えていること、感じている体の感覚などを正確に言い当て、ぼくの過去世、これからの運命、ぼくの人生に大きな影響を与える人の特徴、それらの人がいつ現れ、どのような運命をたどるか、なども語った。
「でもね、私が言ったきみの未来に関わる部分は、くれぐれも『可能性の一つ』として受け止めて欲しいんだ。きみはレールの上を走る電車ではないんだよ」
そう言い残すと、彼女は風のように去って行った。
あれから長い年月が経つが、この体験はぼくに計り知れなく大きなインパクトを与え続けている。なぜなら、彼女の言った通りの道、言った通りの人物が、ぼくのまえに出現しているのだから。
あの人が現れた2年後、ぼくは修学旅行で京都に行った。
オカルト好きの担任に連れられて、クラス全員と東山にある「六道の辻」を歩くことになる。ぼくは、なんだか気が進まなかった。
六波羅蜜寺から北へ進んでゆく。この道は歩いたことがある、と思う。
そうだ、あの道だ。あの人と会うまえに見た夢の道だ。
ぼくは引き返したくなった。行きたくない行きたくない。
ここでぼくの記憶は途絶えている。友人によると、ぼくは真っ青な顔で六道珍皇寺を参拝し、「きみ、何か感じますか?」とニタニタ問いかけた担任に、「黙れ、クソジジイ」と言い放ったらしい。ふだん温厚なぼくがそんなことを言うのは意外で、担任は面喰って絶句したそうだ。
六道珍光寺の向かいにある「幽霊子育て飴」で有名な飴屋にいるあたりから、ぼくの記憶は戻る。修学旅行から帰ってくると、体重は8kg減っており、その後も体調の優れない日が続いた。
翌年の夏、高校生になったぼくは突然思い立ち、身延山の久遠寺を参拝する。なぜ身延山に行きたいと思ったかは分からない。うちは浄土宗だし、これまで身延山とは全く無縁だった。しかし、「身延山に行かなくてはならない」と思ったのだ。
バスを降りて薄曇りの空を見上げながら歩いていくと、久遠寺の総門が見えてくる。ここをくぐると、悟りの第一歩が開けると信じられてきた。さらに進むと、菩提梯と名付けられた、本堂へ繋がる287段の急な石段が目の前に立ち現われる。高さ104mに及ぶこの石段は、「南無妙法蓮華経」の7文字になぞらえて、7区間に分けられている。のぼるしかない。頂上を見上げるとひっくり返りそうになるが、めげずに淡々と踏みしめてゆく。長年の風化によって石段はいたみ、気を付けないと踏み外してしまいそうだ。ようやく本堂についたときは、全身から滝のように汗が流れ、膝が軋んだ。けれど周りの空気は一変し、ここがまごうことなき「聖域」であると感じさせる。本堂・祖師堂・御真骨堂を参拝し、ここから先はロープウェイで奥の院を目指す。
富士川を見下ろしながら、7分で山頂駅に到着。向こうから純白の装束をまとった100人規模の一行が、「南無妙法蓮華経」とメロディーに乗せて歌いながら下りてくる。彼らとすれ違いながら、ぼくは涙を流していた。
質素な木造建築の奥の院は、ほのかな檜の香りがした。そこに立ったとき、「ああ、これで救われたんだ」とぼくは思った。一体どれほどの間、その場に佇んでいたのだろう。「あの兄ちゃんは、信心深いねえ」と言うおばあさんたちの声を聞いて、我に返った。
身延山から下りてくると、ようやく平穏な日が訪れた。京都で8kg減った体重は徐々に戻り、ずっと続いていた全身の倦怠感もとれていった。それに加え、ぼくはあんなに好きだったオカルトや霊能力に関する本や雑誌、テレビ番組に対し、以前のような興味を示さなくなった。うさん臭く感じるようになったのだ。だからそういう世界が好きな友人からは「冷めた奴になったね」と言われ、しかしその一方で、科学的な態度をとる友人からは、なぜか「益々オカルトな奴になったね」と言われた。ぼくは、身延山でなんらかの変容を遂げたようだ。
一連の体験を通して、ぼくは再びこのような世界と関わりを持つまえに、自らに理性的な「型」が必要であると思った。この世界に無手勝流で臨んでも、簡単に呑みこまれてしまう。いつかはその「型」すら破らないといけないだろうけど、まずは身に付けておかなくてはならない。それを体得する場所こそ、インドで見た「峠のむこうの夢」の舞台になるとは、思ってもみなかった。
<つづく>
辻 信行/つじ のぶゆき
東京自由大学理事。横浜生まれ。汽笛の聞こえる里山の近くで育つ。現在、中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程在学中。法政大学沖縄文化研究所奨励研究員。宗教学・民俗学・比較文学をふまえつつ、様々な「境界」を研究している。