水の樹
桑原 真知子
 
戦後間もない原爆ドームを臨む/今年亡くなった叔母と従姉
戦後間もない原爆ドームを臨む/今年亡くなった叔母と従姉
 
  
気温が上がった昼下がり、時が葉の上にとまって、まどろんでいます。庭木の手入れを自分でするようになって、雑草の顔ぶれが、毎年すこしずつ違うことに気づきました。
今年の顔ぶれは、 ナズナ、ヨモギ、ドクダミ、ハハコグサ、タンポポ、クサイ、オオバコ、カヤツリグサ、ゼニゴケ、ヒメシバ、コメヒシバ、ウラジロチチコグサ、スベリヒユ、スズメノカタビラ、オヒシバ、ヤエムグラ、ムラサキカタバミ、オキザリス、ワラビ。 
それはまるで土の中で、根っこ同士が話しあって、「私は来年でることにするから、あなたは今年でることにしたらいかがですか」って、順番を決めてるようです。こんなにも多様な植生がある中で、喧嘩をさけて<棲み分け>ながら共存する方法を知っている植物は、人間よりもはるかに民主主義?を実践しているようです。雑草も好きなので、通り道に生えてるものだけ、ぬくようにしています。
 
 
昨年のはじめ、被爆建物の旧日銀広島支店で【フクシマとヒロシマ】を考える講演会がありました。そのお話の中で、「ヒロシマに落ちた原爆はウラン型原子爆弾です。ナガサキに落ちたのはプルトニュウム型原子爆弾で、今回のフクシマの原発事故と同じ型です。問題はこのプルトニュウム型でウラン型は大したことはない」と講師の方が仰って、思わず涙があふれました。「この旧日銀広島支店でも、亡くなった方が大勢いらっしゃるのに」と心が動いたのでした。放射線に関する知らないデーターや統計をたくさん教えていただいて、分かりやすく説明していただいたのですが。この建物からは、未だに微量ながら放射能が感知されています。人体に影響のない程度の。
 
 
太陽の一瞬のまばたきのようにピカドンが広島に投下され、多くの尊い命がうばわれ、様々な偏見を耐えぬいてきた被爆したヒロシマの人たち。私の亡くなった母も含めて。原爆を投下した人たちに望むのは、「むごいことをしてごめんなさい」という、シンプルな一言だと思うのです。(代弁してるようで生意気ですが)
 
 
人は、水の樹でもあるから、やさしい言葉の雨が降りそそがなければ、枯れてしまいます。40年間草木も生えないといわれた広島で、草木の命の連鎖は今もつづいています。
 
 
 
        生きる力は
        透き通った手で
        すくいあげる
        未来の一滴
        明日を信じる力
 
 
 

桑原 真知子/くわはら まちこ

広島県生、空見人。多摩美術大学絵画科油画課卒業。広島大学文学部考古学科研究生修了。草戸千軒町遺跡にて、遺物の漆椀の図柄の模写や土器の復元を行う。シナジェティクス研究所にてCG担当とモジュール作成などを経て、現在は魂を宙に通わせながら作家活動を行っている。