伝承音楽研究所という旗をあげました
三上敏視
このたび「伝承音楽研究所」という旗を立てることにした。これまでも名刺に書いていたし神楽研究の主たる対象はそこで行われる音楽だったから、すでに始めてはいたのだが、改めて開始宣言をして取り組みたいと思っているのである。
東日本大震災の後、注目を集めたもののひとつに、
その自然の中に神を感じ、神を崇め、神にまつろうところから「まつり」は生まれ、民俗芸能はそのまつりのなかで行われてきたのである。
被災して、多くのものを失いながら生き残った人達は、不自由な生活の中から、無理をしてでも祭や芸能を少しでも取り戻そうという気持ちが強かった。
道具を失った芸能には、寄付や助成金が集まったところもあり、すでにその年の夏には各地で祭が行われ、民俗芸能を演じ、見て楽しむことで人々は共同体のつながりを実感することが出来たのである。
上からの押し付けの「絆」でなく、すでにあった「そこに生きる境地の共有による絆」が自然に働いたのだ。
その境地を知らない都会では政治家が花見をやめろと言ったり、祭を自粛したりしていたが。
これは象徴的な出来事だが、日本全国を見渡してみても神楽に対する注目はここ数年高まってきており、メディアで紹介されることも多くなってきた。しかし、神楽を保存、維持している当事者にとっては続けていくことは決して簡単なことではなく、都市化による生活スタイルの変化や過疎地での後継者不足など、ほとんどの神楽が継承困難な状況にあると言えるだろう。また芸能それ自体が省略されたり変化することを余儀なくされている傾向もある。
かつては変化することは自然のことだったが、その根底には土着の強い信仰心、人々の暮らしから生まれた境地があり、それが消えてしまうような形での変化は、少なくとも神事芸能である神楽では避けたいところである。
このたび伝承音楽研究所を名乗ることにして、私は音楽家として、神楽の民俗学的、文化人類学的、常民史学的など人文学的な価値の他に、民衆が伝えてきた民俗音楽としての価値を見出し、この列島のルーツミュージックとして神楽の中に存在する日本人の豊かな音楽感性を発見し、その価値を神楽そのものの価値と共に広く知ってもらおうとする活動をしたいと思っている。
「伝承音楽」という切り口にしたのは、げんざい日本の「伝統音楽」と呼ばれるものはすでに権威が付けられていたり、民謡も含め家元制度的な利権の構造を持っているものもあるので、もともとの自由な存在としての民衆の音楽を調べて行きたいという思いからである。これはなかなか、というむちゃくちゃ多様な音楽を相手にするので収集するだけで終わるかもしれないが、それだけでも価値はあると思っている。
まずは最初のプロジェクトとして6月下旬に宮崎を訪れる予定である。夜神楽とは反対の季節に訪れるのは地元でゆっくり話が聞きたいからである。冬場のまつりの時はみなさん忙しいからちょっと挨拶して雑談くらいしか出来ないのだ。
そして何が聞きたいのかというと宮崎の神楽で盛んな「せり歌」である。これは場所によっては「ぜぎ歌」とか「神楽歌」と呼ばれるもので、神楽を見ている観客が歌う歌なのだ。神楽には「神歌」という歌が神楽衆や太夫などと呼ばれる神楽をする人たちにより歌われ、神歌がないと神楽は呼べないというくらい重要なもので、民俗音楽としても興味深いものが多い。神歌は舞やお囃子とともに神楽を「保存継承」する対象になっているのだが、「せり歌」の方は観客が歌うものなので保存の対象にはなりにくい。
かつては神楽とせり歌が一体となって盛り上がっていたが、今はせり歌が聞かれなくなって寂しいという話をよく聞くし、自分もせり歌で盛り上がった場にいた回数は極めて少ない。
だから、知っている人、歌える人がいるうちに、どのような場面でどんな歌を歌うのか確認したいし、実際に歌ってもらって録音も出来ればと思っている。かつては歌垣のように神楽舞台を挟んで神楽をダシにして男女が恋の歌を掛け合うようなものもあったと聞くとなおさらだ。
渡辺伸夫氏はじめ、研究者の人達によってテキストとしてはせり歌は記録されているけれど、どんなメロディー、どんな歌い方なのかということは、文字や五線譜では記録できないのである。
民俗学は「聞き取り」から始まるわけだが、文字化出来ず写真にも撮れない音楽は民俗学では扱いきれなかったので今のうちに録音、録画しておくしかないのである。
今回は高千穂、椎葉、諸塚、村所、尾八重を回りたいと思っているが、諸塚の南川神楽に連絡したら、歌をよく知っている長老が二人、最近亡くなられたそうだ。
もう時間がないのである。
もし、「やはりせり歌がないと寂しいなあ、若い連中に覚えてもらいたいもんだ」というような状況になった時に役立つような記録を録っておきたいのである。
文化庁に勤める神楽仲間にこのようなアプローチの調査記録の例はあるかと訊いてみた。誰かがすでにやっていればやらなくていいからである。でも「ないと思う、自分も時間があったら一緒に行きたい」という返事だった。舞台芸能化した民謡と比べたら神楽神歌やせり歌は「古謡」と同じくらい、いや、もっと古い民俗伝承音楽と言えるだろう。神事に関わる芸能は変化しにくいと考えられているからだ。だからこの極めて貴重な歌たちをこの列島からなくしたくないのである。
ただ、自分は学問の世界にいないし若くもないので助成金を受けることは不可能で、どこまで続けられるかわからない。報告会のような活動を支援してもらえれば幸いである。
2013年6月9日 三上敏視
三上 敏視/みかみ としみ
音楽家、神楽・伝承音楽研究家。1953年 愛知県半田市生まれ、武蔵野育ち。93年に別冊宝島EX「アイヌの本」を企画編集。95年より奉納即興演奏グループである細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニットに参加。
日本のルーツミュージックとネイティブカルチャーを探していて里神楽に出会い、その多彩さと深さに衝撃を受け、これを広く知ってもらいたいと01年9月に別冊太陽『お神楽』としてまとめる。その後も辺境の神楽を中心にフィールドワークを続け、09年10月に単行本『神楽と出会う本』(アルテスパブリッシング)を出版、初の神楽ガイドブックとして各方面から注目を集める。神楽の国内外公演のコーディネイトも多い。映像を使って神楽を紹介する「神楽ビデオジョッキー」の活動も全国各地で行っている。現在は神楽太鼓の繊細で呪術的な響きを大切にしたモダンルーツ音楽を中心に多様な音楽を制作、ライブ活動も奉納演奏からソロ、ユニット活動まで多岐にわたる。また気功音楽家として『気舞』『香功』などの作品もあり、気功・ヨガ愛好者にBGMとしてひろく使われている。多摩美術大学美術学部非常勤講師、同大芸術人類学研究所(鶴岡真弓所長)特別研究員。