ポケットに燕石を
第3章 寺山修司論① 言葉を超える
辻 信行
劇場に入ると、係員から小さなカードを渡される。カードにはこう書いてある。「私は、観客を演じている俳優です」。こうしてぼくは、観客として観るはずだった『観客席』という舞台で、観客を演じる俳優になってしまった。
高校生のときから、美輪明宏の影響で寺山修司の芝居に通うようになった。『毛皮のマリー』を皮切りに、『中国の不思議な役人』『身毒丸』『アダムとイブ、私の犯罪学』『疫病流行記』『盲人書簡・上海篇』『青ひげ公の城』『阿呆船』『邪宗門』『奴婢訓』『怪人フー・マンチュー』『星の王子さま』『千一夜物語・新宿版』『くるみ割り人形』『人力飛行機ソロモン』『花札伝綺』『醒めて歌え』『青少年のための無人島入門』『書を捨てよ、町へ出よう』『レミング~壁抜け男』を観てきた。
その中でも『観客席』の印象は強烈だ。なにしろ舞台と観客席の関係性が転覆し、俳優が観客に、観客が俳優になってしまうのである。具体的には、観客が舞台上で制作されているサスペンス映画に出演して殺されたり、小さな箱に監禁されて一日中劇場の外を連れ回されたり、隣に座っている見ず知らずの異性に向かって「今夜、わたしと寝ませんか?」と言って手を握ったりしなければならず、その様子を俳優たちがニコニコ観ているのである。
しかし『観客席』は、巷にあふれるワークショップや、青臭い実験作品ではない。なぜなら、現実を転覆させる確かな力を持った言葉たちが、観客である俳優から発せられるためである。たとえばこんなだ。
「エー、皆さん。わたしは、職業観客です。つまり、プロの観客ですな。以前は、NHK、つまり日本拍手協会に属して、日当をもらって拍手しに劇場へ通っていました。ラストシーンの拍手一回二十円です。拍手のほかに、笑い声というのもありまして、これが一回五十円。だから喜劇の方が仕事になるんです。特に、演出の下手な喜劇がお得意さんです。誰も笑ってくれない。大分ダレてきたところで、一声、ハハハハハ……とやる。心やさしさが肝心です。つい思わず出したように、こんな具合ですな、ハハハハハ。すると、まわりもツラれて笑う。これで、俳優に多少の自信が出る。たとえば「熱海殺人事件」。木村伝兵衛が「汚ねえ手で俺の背広に、俺に触るんじゃねえ。このゲス野郎」(蹴りつける)ハハハハハ。
大体、プロというのは身代わりのことでありまして、プロの俳優は、観客の身代わりをやってるだけにすぎない。ひと頃流行った東映のやくざ映画。菅原文太や高倉健が大暴れしたあとで、映画館出てくる観客は、みんな肩をこうハスに構えて、目がスワっている。まるで自分が五、六人叩き斬ったと思ってるんですな。もっとも、このカッコよさもせいぜい二十分しか保たない。あとは、夜風で、終電車で、アパートで、インスタントラーメンで、ひとり寝の子守唄。
ま、こうした観客の欲求不満を解消してやるのがプロ俳優なら、人気のない俳優の欲求不満を解消してやるのがプロの観客です。今日もいる筈ですよ。(客席に)拍手して頂戴!(と呼びかける。反応なし)ギャラ、安かったかな。
どうせ、一人よがりで、自分のためだけに熱演している俳優さん達にとっちゃ、観客の本心なんかどうでもいい。「反応」があればいい訳ですからね。
新劇はネスカフェじゃない。「違いがわかる」訳なんかないんです。
だれでも観客の資格がもらえる。――運動神経もいらなければ、専門知識もいらない。
大体、観客資格検定試験てえのはどこにもないんです。仕方なしに、わたしは俳優か、批評家になるほかはない……と思うようになりました」
そしてラストシーン、この元NHK(日本拍手協会)の男は、自分が書いた劇評を読み上げたあとで、次のように語る。
「実は私は、芝居の本番を観ないで、この劇評を書いてしまいました。しかし、はじめに筋を紹介し、演出を一寸くさして脇役をほめる。脇役がだめなら、装置をほめる、という現在の劇評程度のものなら、私にでも書ける。大体、(と、自分の書いた劇評を示し)こんな劇は、上演されなかった。実在しなかった劇です。実在しない劇でも劇評が書けるんだから、当然、上演されなかった劇の観客にもなれる訳ですな。
そして、それ位の愉しみ方を覚えない限り、プロの観客とは言えません。ほんとです。さて、では上演されない劇でも見るとするかな」
いかがだろうか。諧謔によって装飾された言葉たちが、この世界の「常識」を180度ひっくり返す。しかし、新たに立ち現われたあべこべの世界は、ひどく現実そのものであるように思えてくるのだ。
このような寺山ワールドの言葉は、演劇、映画、テレビ、詩、短歌、エッセイなどあらゆる媒体を通して散布され、多くの人々のなかで萌芽し、育まれた。同時代人なら谷川俊太郎、山田太一、美輪明宏、岸田理生、もっと若い世代なら園子温、穂村弘、田口ランディといった人々の存在がある。しかしその一人に鎌田東二がいることは、あまり知られていない。鎌田は次のように書いている。
「最初、寺山修司が選者を務める雑誌に投稿し、そこで寺山修司が思いもがけず面白がって取り上げてくれたことが、言葉や書くことに対するこだわりのある一面を強化することになったと私は思っている。ある意味で、寺山修司は私の言葉の育ての親のような人であった。それに対しては、いくら感謝しても感謝しすぎることはない。
1969年12月、大阪の梅田で上演された寺山修司演出の芝居「A列車で行こう」に私は参加した。音楽監督は、寺山修司の友人で、大阪出身のグループ、リンド・アンド・リンダーズのリーダー、加藤ヒロシであった。元リンド・アンド・リンダーズのヴォーカル、加賀鉄也もこの芝居に一枚噛んでいた。
この芝居の練習の過程で寺山修司とソリの合わなくなった私は、劇団を抜け、芝居をつぶすという名目で変則的に芝居にかかわった。今考えると赤面の限りだが、愚直な私は、初日、すべての演技が終わったあとで、こんな芝居はみんな嘘っぱちだと叫んで、ジャックスの「からっぽの世界」をテープレコーダーから流しながら自作の詩(のごときもの)を朗読したのである。何て恥ずかしいことをやってしまったんだろうといつも思う。その後の私の人生は、そうした恥のひたすらのくりかえしである。
二日目に同じことをやろうとしたら、いきなり照明係の男が飛びかかってきて殴り合いになった。どれほど殴り合い、その場がどのようにおさまったのか記憶は定かではない。はっきりと覚えているのは、こうした芝居との変則的なかかわりの中で、加賀鉄也が私に向かって言い放った次の言葉である。彼は言った。「おまえは言葉だけだよ!」と」
― 鎌田東二『記号と言霊』より
「おまえは言葉だけだよ!」という言葉を表面的に受け取れば、「おまえには心がない!」とか、「おまえには身体性がない!」ということになるだろう。しかし寺山が「私の墓は、私のことばであれば、十分」と言って死んでいったことを踏まえると、加藤鉄也の言葉は別の意味に聞こえてくる。それはつまり、「おまえの言葉は言葉だけだよ!」という意味だ。
寺山の言葉は、言葉を超えるのである。それは現実を徹底的に破壊する武器であり、もう一つの世界へ導く夢であり、どんな鳥より高く飛ぶことのできる想像力そのものであった。それを「言霊」とか「呪術」と呼ぶのは簡単だが、あえてそのような既成の概念を当てはめて片づけることはしたくない。
21歳の夏休み、ぼくは寺山の言葉の秘密を探るため、上野発の夜行列車に乗り込んだ。
辻 信行/つじ のぶゆき
東京自由大学理事・運営委員長。横浜生まれ。汽笛の聞こえる里山の近くで育つ。現在、中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程在学中。法政大学沖縄文化研究所奨励研究員。宗教学・民俗学をふまえ、離島でフィールドワークを重ねつつ、様々な「境界」を研究している。主な論文に「他界観のイメージ画にみる境界‐喜界島における調査を中心に‐」など。