セネガル旅行記

髙橋あい

 

 

1、初めての国・初めての光り・初めての人々

 

2016年4月8日から、18日間セネガル共和国へ 。アフリカは元より、先進国に比較をされて途上国と呼ばれる国へ行くのは初めてのこと。治安や伝染病などの衛生面についてインターネットで検索しても出てこない。セネガル大使館は電話に応じず、チケットを買った会社からも「ここでははっきりとしたことはわかりません」と言われるばかり。出国の三日前まで確かな情報を得ることが出来ず、そのことが私の不安を高まらせた。京都大学在籍のセネガル人・Pesseus Sarrさんに「アフリカの情勢は時期や地域によって異なる。今、セネガルの治安は大丈夫」と言ってもらって、やっとトランクの鍵をしっかりと閉じ、玄関の扉を力強く開けることに至った。

いざ出国したもののはじめの国を前にして、やはり安心はしていない。日本から同じ飛行機でセネガルまでご一緒だったのは、JICAの保健担当職員の男性のみ。気軽に話せる様子もなく、エチオピアでの乗換では、遅延となったセネガル行きの飛行機を1人ぽつねんと14時間待つばかり。初めてフランスに1人旅行をした時、「レストランに入るときは、奥の料理場を確認しなさい。黒人が働いているようだったら入らないように」と、現地に暮らす日本人から忠告された記憶があったため、黒人しかいない空港で食事を摂ることに躊躇してしまった。今思えば、なんてひどい人種差別だと自分の振る舞いに呆れてしまう。セキュリティーゲートへの列では、背の高い男性たち、恰幅の良い女性たちが、真っ白い歯で陽気に話しかけてくる。パスポートを見せ合いながら、聞いたこともないアフリカの国名も耳にする。アフリカは実に56ヶ国もあるのだ。一人ひとりと笑顔を交わし、黒い肌にもこんなにバリエーションがあることにも驚く。エチオピアからダカールまでの飛行機では、隣にまだ1歳にもなっていない赤ちゃんを抱えた女性が座った。女性は私よりも若いのだろうか。哀しそうな面持ちの中に柔らかい優しさを孕んでいた。

 

 

日本を出国してから約2日後の4月10日朝7時、ダカール空港へ到着。空港を一歩出るとタクシーの客引きばかり。その客引きの中から、今回インターンとして働く先の日本人に出会うことが出来た。1人だったら、タクシーの客引きを前に不安で泣き出していたかもしれないくらい、不安に包まれていた。

今回のインターンとしての仕事は、日本人向け・セネガルのガイドブックのための取材をすること。企画者の山田さんは、「セネガルには、イスラム教に根付いたおもてなしの心がある。治安も伝染病の心配も他国に比べて少ない。元フランス領故に、フランスの観光客は多いから観光地としての環境も整い、豊かな自然資源もある。アフリカへの観光を考えている日本人にセネガルを紹介したい」という考えだった。写真であれば協力できるかもしれない、いう思いからお手伝いを買って出たのであったけれど、私がこんなに不安がっていたら、薦めることなど出来ないのは確か。いま、ここにある私の不安が取り除けたら、観光地として薦めることへの成功になるのだろう。

ドミトリーに到着し、昼食を摂りに町に出る。空港で感じた空気と一転して、暖かい太陽の光りと風が身を包んだ。次第と緊張がほぐれていく。仕事は明日からというので、その日の午後はカメラを下げて町に出た。道路の大半はアスファルトになっているものの、町が出来る前は砂漠だったその土地は、アスファルトの上に砂が運ばれているので、スタスタとは足を運べない。目に入るもの全てが真新しく、ゆっくりと歩く。セネガルも季節は春。木々には新芽が芽吹き、満開のブーゲンビリアが家を飾っていた。迷子になる不安を楽しみに変え、心の向く方向に足を進めていた。

イスラム教教祖の像が壁に描かれている。あるところでカメラのファインダーを覗いていると、画面の中に1人の黒人が現れて、こちらに話しかけてきた。英語で絵の説明を一通りしてくれたのち、今日の午後は暇だから、海まで案内するよ、という。現地のウォルフ語とフランス語を公用語として話されているが、両方ともできない私には英語はとても助かった。旅は道連れ。初めての土地だし、悪そうな人ではなさそうだから、お願いをすることにした。「僕、お昼ご飯がまだだから、姉貴夫婦の家に食べに行く。その後、海へ行こう」と言われ、そこからすぐのマンションへ同行する。お昼を食べたばかりの私にも、チェブジェン(最もポピュラーなセネガル料理。ウォルフ語で「チェブ」はお米、「ジェン」は魚を意味する)を差し出してくれた。お姉さん夫婦の家から海までの道中でも、「飯食っていかないか。カフェ・トゥーバ(珈琲)飲んでいかないか」と、彼の友だちから声が掛かる。ここでは食事を分け与える習慣があるため、お金がなくても食べることには困らないのだ。町の中には、車が駐車しているように、違和感なく馬が家の脇に佇んでいる。人や物資を運ぶために、馬車は今でも使われている。


岬に位置する首都・ダカールは、どこからも海が近い。初めての大西洋を眺める。日本とは地球のほぼ反対側に位置するけれど、この海は遥か遠い日本まで続いている。もしも私が魚だったら、海流に乗って日本まで行けるのだろうか。

小高い崖の上に見える灯台まで登りたいと同行をお願いして灯台へ。且つては、アフリカ大陸の最西端に位置するセネガルから南米まで、この大西洋を渡って大勢の黒人が移民として送り出される船の玄関口であった。海の幸に恵まれたこの土地では、漁業も盛んだ。この灯台は、人が住み始めた頃と同じ位の歴史があるのだろう。

灯台に着くと、時刻は既に夕方の6時。ずっと真上にいた太陽も、地平線へ向ける視界に収まる位置まで移動していた。今朝7時に着いたとは思えないほどの親近感を得て、これから2週間暮らす町の周辺を一巡りしたことになる。 夕日が地平線の下へ姿を消すまで見届けると、初めての夜が訪れた。遅くまで案内してくれた彼と別れてから家までの道も、 昼間出会った人々から優しさを知ったせいか夜風に身を任せて安心している。時は8時。昼間に二食分食べたお腹もすっかり減っていた。近くのモスケ(イスラム教寺院)から、アザーン(お祈り)が始まる前のアナウンスが響いている。朝に抱えていた不安は、すっかりと消えていた。 翌日もあの太陽と出会えることを楽しみに、蚊帳の中で眠りに就いた。

つづく

 

 

 

高橋 あい/たかはし あい

写真家。多摩美術大学情報デザイン学科卒業。東京芸術大学修士課程修了。ポーラ美術振興財団の助成を受け、2012年9月から1年間、アメリカ合衆国・インディアナ大学にて写真作品制作と研究を行い、2013年10月に帰国。現在は飛騨古川を拠点としている。東京自由大学では、主に 「大重潤一郎監督連続上映会」の企画を行ってきた。また、このウェブマガジンの発案者である。ホームページ