まりも祭

郷右近 富貴子

 

 

 

 
中央:子ども時代の筆者と筆者の祖母
中央:子ども時代の筆者と筆者の祖母

 

 

 

今朝外に出ると、秋の匂いがした。


空が高く雲は棚引いて
風がスーッとぬけていった。

この季節になると、何だかワクワクソワソワして来て、
再会と出会いに思い馳せてしまう。

10月9~10日
今年で、64回を迎えるまりも祭り。
毎年全道全国各地からアイヌウタリの皆さんが阿寒湖に集う、
阿寒湖の夏季シーズンを締めくくる、大きなお祭り。

まりも祭りの二、三日前から、
アイヌコタン(村)の両サイドにはタクサ(柳の木棒の上部に、笹と松の枝を括り付けたもので、魔除けとして使われた)が立てられ、

温泉街には緑色の提灯が吊りさがり、
阿寒の森の木々は、秋色に染まり始める。

コタンにタクサが立ち始めると、
何だかコタンの空気感がちょっと変わるような気がする。
それは例えば、神社などの鳥居をくぐり抜けた時のあの空気感にちょっと似ているかな。

子供の頃から、何となくそんな感覚を感じていたけど、
もしかしたら、阿寒のカムイ(神)達、そして、まりも祭りを支え続けた、今はリクンカントモシリ(天国)におられるであろうエカシ(長老)やフチ(お婆さん)達が、コタンに集まっているのかもしれないな…などと、風に揺れるタクサを見つつ、思い耽ったりして。

その昔、私が小学生の頃は
長い髭を蓄えたエカシも沢山いて、素晴らしいウポポ(うた)を歌うフチも大勢、阿寒湖へ集っていた。

九日の夜、マリモを迎える儀式の後には、花火大会が盛大に行われ、お婆ちゃん子だった私は、大きな音と共に夜空に広がる花火を、ばぁちゃんの着物の中に隠れながら見ていた。
やがて、松明行進が始まると、全道全国から集まるアイヌウタリの様々な衣装が松明と共に列をなし、阿寒のフチの歌が先導となって、行列はアイヌコタンを目指した。

ばぁちゃんの着物の裾にしがみつきながら、沢山のアイヌウタリと共に温泉街を歩き、沢山の観光客の歓声を受けながら歩く…
とても、幼い頃の記憶だけど、子供ながらに誇りに満ち足りた気分だった。何たって、その時ばかりは、婆ちゃんがすごくカッコ良く思えていたからだ。

列をなした松明は、アイヌコタンの中央に集められ、その火を囲んで、各地の古式舞踊の競演が始まる。


沢山のアイヌウタリの前で踊るという事は、観光客の前で踊る時とは、また違ったモチベーションになっていた。

そんな中、阿寒の代表的な踊りとして、「エムシリムセ剣の舞)」を父が踊っていた。そんなときは、「私のお父さんですー!」と、叫びたいくらいの気持ちで、父の勇姿を見ていたっけ。


アイヌコタンでの踊りの競演が終わると、コタン裏手にあった観光センター二階大広間での大宴会が始まる。

それはもう賑やかなもので、会場に埋め尽くされた各地のウタリ達の踊り披露から始まり、其処彼処では、ウコウク(何人かが輪になって輪唱で唄う、アイヌ独特の歌唱法)が始まったり、遂には、床が抜け落ちるんじゃないかと思うくらいに跳ね回ってのポロリムセ(そこにいる人達みんなで踊る踊りの事)が始まったり…

 


子供達は、彼方此方で遊んでいたけど、二階の尋常じゃないほどの床を踏みつける音に誘われて二階に行ってみれば、夢中で踊る大人達の楽しい顔が沢山溢れていた。

この時ばかりは、「もう寝なさい!!」と、いつも怒っていた母も、とっても忙しい中でも、楽しそうに踊っていたりしていたので、何だか得をしたような、無礼講のたまらない夜だった。

明けた次の日は、マリモを送る儀式の日。

阿寒の長老が持つマリモを先頭に、阿寒湖岸ボッケ(阿寒湖の景勝地のひとつ)までのアイヌ行列。夜の松明の灯りの中で見るアイヌ衣装もイイけれど、秋晴れの元で見る、色とりどりのアイヌ衣装の行列、これもまた美しいもの。


ゆっくりと阿寒湖の街を進み、お昼前にボッケへ到着。

湖に向け建てられた、ヌサ(神棚)の前での、カムイノミ(神々への祈りの儀式)が終わると、各地のアイヌウタリの奉納舞踊が始まる。


ここが阿寒湖の子供たちの晴れ舞台だった。

すり鉢状になったその場所にいる沢山の人達の前で、阿寒湖とピンネシリ(雄阿寒岳)に向かっておどる。

なんとも、気持ち良く、誇りに満ち溢れる瞬間だった。
そして、大人達の真剣に、時には楽しく踊る姿を夢中で見ていた。

やがて、ボッケの桟橋に貸し切り遊覧船が着くと、最後の儀式、マリモを送る儀式が始まる。

丸木舟にマリモを持った長老と共に2人の男が乗り、湖にたゆたいながら、マリモを静かに湖に返してゆく。

「マリモ ホープニナ ホク トゥンケ ヘ チュイ」

湖岸で見守る沢山のアイヌウタリの歌が、男性のウココセ(男の掛け声)が、ホロロセ(女性の舌を転がす掛け声)が、手拍子が、タクサを揺らすその音が、辺りに響き渡り、

 

その様子を、ピンネシリが静かに見守っているような…

その時の、何とも言えない熱いものは、今もじんわりと心を温めてくれる。

もう一つ、今もなお思うのは、
丸木舟がひっくり返るんじゃないか…というあの緊張感。
それは、今も変わらない(笑)。

無事に、マリモを送り終えたあとは、貸し切り遊覧船へ。

まりも祭りだけの、特別貸し切り!しかも、ボッケから乗れる!!
子供の自分にとっては、もうVIPな気分この上なく、この船に乗るという事が、もしかしたら、一番楽しみだったのかもしれない。

船内では、浪々とウポポを歌うおじさんや、踊り歌を歌って、彼方此方で手を叩いて喜んで踊っている人や、爆睡している人…酒盛りをしてフラフラな人etc…
船に乗っているのは皆ウタリ。

このまま、みんなと何処かへ行けたらいいのに…

そんな事を思いながら、船が岸に近づくのを、寂しく思っていた。

 


今年で64回を迎えるまりも祭り。
私の子供の頃からは、だいぶん変わり、観光センターはなく、花火も上がらない。何が一番変わったかといえば、ボッケへ行かない…。だから、あのVIP船に乗れない!!

それでも、今もなお全道全国各地から、沢山のアイヌウタリが集まり交流をし、子供達と共にアイヌ衣裳を着て松明行進を歩く。
今、3人の子供の母親となって、こうして一緒にまりも祭りに参加できる事。それは、本当に幸せなこと…。

時代と共に形が変わっていく事は否めないけれど、
あの頃にボッケで感じていた熱いものは、今も冷める事なく、秋の風と共に思い馳せてしょうがない。

 

 

まりも祭り(ホームページ):今年度のおしらせ

 

 

 

 

まりも祭り©郷右近富貴子
まりも祭り©郷右近富貴子

 

 

 


郷右近 富貴子/ごううこん ふきこ

幼少よりアイヌ舞踊などを習いつつ阿寒湖アイヌコタンで育つ。3児の母。アイヌ料理屋ポロンノを家族で経営しつつ、阿寒観光汽船「アイヌ文化ギャラリー船」にて、アイヌ語り部として、ムックリやトンコリなどを演奏し、アイヌ文化を紹介している。姉・床絵美と’Kapiw&Apappo’というユニットで音楽活動を行っている。民芸喫茶ポロンノホームページ