月と生命
「久高オデッセイ第三部 風章」制作ノート03
大重 潤一郎
撮影を始める前に、ある程度計画を立てておくものの、実際に撮影へ出掛けると新しい出会いがある。そして、出会いを元に新しい思いが生まれる。導かれるように、撮影は少しずつ進んでいる。七月八月の二ヶ月間の間、計三回久高島へ撮影に出掛けた。
「海から島を眺める」
第三部の主なテーマの一つに、
島の東側、太陽が昇る方向から島を眺めた。島の東側には、波打ち際から「
海から見た島は、とても美しかった。
月や太陽は、このような久高島に相対しているのだ。
久高島から眺めた海の向こうにニライカナイなのではないか、と思ってきたが、
「家の発祥」
イシキ浜と呼ばれている浜が、東海岸にある。太古、久高島の祖先が辿り着いた浜であり、
そのイシキ浜から、少し内陸に入った場所に、
その場所にしばらくたたずむ。
家というものを人間が作り始めたことに心を打たれた。「家」
久高島で一番古い住居跡地にたたずみ、日本の古層である「縄文時代」
「生命は月があるところにしか存在しない」
島の東海岸に続いている「イノー」。満月と新月の時は満潮になり、イノーは海水で覆われる。そして、その時期が過ぎると徐々に干潮となり、イノーは姿を表す。また、一日の中にも、二回の干満が繰り返される。
隆起珊瑚礁で形成されている島には、島全体に沢山の空洞がある。その空洞に、潮の干満とともに空気と水が行き来している。
「水の惑星」だと言われている地球は、久高島だけに限らず、地球全体の海水は、月によって干満を繰り返している。それは、まるで地球の呼吸だ。月によって、島が呼吸を連綿としているのだ。
生命は、月のあるところにしか存在しない。
久高島の男性は、昔から海人であり、海と共に生きてきた。
私は、久高島を通して、
この島にいると開かれた場所にいる、
その言葉は、自分の感じていることと呼応している。
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至る9月8日、NPO東京自由大学にて「縄文」
今回、久高島での撮影の合間に、ふと「縄文」
(インタビュー・構成:高橋あい)
大重 潤一郎/おおしげ じゅんいちろう
映画監督・沖縄映像文化研究所所長。NPO法人東京自由大学副理事長。
山本薩夫監督の助監督を経て、1970年「黒神」で監督第一作。以後、自然や伝統文化をテーマとし、現在は2002年から12年の歳月をかけ黒潮の流れを見つめながら沖縄県久高島の暮らしと祭祀の記録映画「久高オデッセイ」全三章を制作中。久高オデッセイ風章ホームページ