確認と予感
「久高オデッセイ第三部 風章」制作ノート02
大重潤一郎
5月7日から4日間、久高島へスタッフの比嘉真人さんと一緒にロケハンに出掛けた。今回のテーマについては、前回書き記したが、「今の島」と対話をしつつ、内容が決まっていくことなので、先行きは誰もわからない。ドキュメンタリー映画の宿命ではある。
今回は、前回の取材で感じたことを箇条書きで記す。2002年から見続けてきた久高島に、日常の積み重ねの上での変化の兆しを感じた。
・自然
かつて遥か遠い東の海の彼方にある神々の領域、ニライカナイ。そこから毎日、太陽が昇りその光はあまねくこの世を照らしている。太古からシマビト達はイノー(礁湖)とよばれるリーフで魚介類の採取生活を送ってきた。浜ではウミガメが産卵し、その砂辺から植物が陸上へと這い上がる。その傍らには古代の先人の生活跡(貝塚)が見て取れる。そこからやがて、畑が集落へと耕地を広げる。森に囲まれた聖地(拝所)に守られて集落は続く。
・トップランナー
シマビトはシマのことを2周も3周も遅れたラストランナーであると思っていた。しかし、 今、トップランナーになる側面を有しているのではないかという想いをぬぐい去れない。それは、過去も現在もそして未来へ向かっても身の丈の生活を自力でやりきっているシマビトへの共感がそう思わせる。
・ある海人
65才の海人が今、青春真っ盛り。今誰もしていない太陽光を活かしたCO2を排出しない仕組みで海の加工物(塩)を作り始めた。そして刀自(妻)との間に赤子を授かった。今島には似た例が他にも生じている。天のおぼしめしのように感じる。
・フボーリーズ
三線と唄と太鼓の久高島出身若手ユニットが誕生している。ネーミングは神聖なるフボー御嶽からとられた。 島の若者が今、島を離れ本島のライブハウスで島のリズムを拡散しつつある。今まで、ありそうでなかったことである。
・島への移住者たち
小中学校にも素晴らしい教師たちが赴任していている。そして、子どもたちも赤子も皆一緒になって放課後から夕方まで仲良く遊んでいる。
・久高島留学センター
今年は13年目になる、久高島の離島型山村留学センター。 日本各地から集まり島の学校に通っています。 今年は、沖縄3名、福岡1名、兵庫1名、埼玉2名、東京5名、千葉2名、宮城1名 。10年前から注目していた、しかし島のもろもろに囚われて心を寄せることが少なかった。しかし、そこの活動が今心を捉える。何より都会から来た子どもたちが島における漁業・農業、そして自然を通じて充実した学校生活を送っていることがいい。指導する坂本さん(センター責任者)に頭が下がる。
・土地について-京都大学・学生の感想文(「久高オデッセイを鑑賞して」から抜粋)
久高島では未だに年間20程度も祭りが催されているそうである-その伝統を守り抜こうという姿勢は圧巻だった。彼らは畑なども神様から授かったものであり、決して自分のものではないと考えている。そんなことを僕が京都や東京で口にしようものならみんな馬鹿にして相手にしてくれないと思う。
(インタビュー:比嘉真人)
大重 潤一郎/おおしげ じゅんいちろう
映画監督・沖縄映像文化研究所所長。NPO法人東京自由大学副理事長。
山本薩夫監督の助監督を経て、1970年「黒神」で監督第一作。以後、自然や伝統文化をテーマとし、現在は2002年から12年の歳月をかけ黒潮の流れを見つめながら沖縄県久高島の暮らしと祭祀の記録映画「久高オデッセイ」全三章を制作中。久高オデッセイ風章ホームページ