上海ガニの最期

田 園




子ども時代を思い返すと、重くて真っ暗なイメージに取り巻かれる。とはいえ、悲惨な過去を背負っているのではない。一人っ子政策の申し子として生まれ、経済 上の苦労もなく育てられ、学校に通った。ただそれだけだ。しかし、どうしても重くて、真っ暗で、熱くて、息がつまりそうなイメージから逃れられない。上海 ガニは、生きたまま鍋に入れて蒸されるが、自分の子ども時代はまさに上海ガニの最期だった。

一人っ子の世界は孤独だ。自分だけ子どもで、周りはみな大人という「鬼」。世界は鬼たちに支配されていた。祖母が鬼の親分で、死ぬほど私のことを愛してい た。私の部屋を覗き、外では尾行し、持ち物もすべてチェックした。ある日眠りから覚めると、私は祖母によって服を脱がされ、ジーッと裸体を見つめられてい た。またある朝学校へ出かけ家を振り向くと、暗い窓から祖母の不気味な顔が覗いていた。ジーっと幽霊のように私を見つめる視線。学校から帰って机に向かう 私の背後に、祖母が近づいてくる気配。祖母はあらゆる隙を狙い、私を支配しようと努力していた。学校にいる間も逃げられない。担任の先生にプレゼントをし たり、世間話をしたりしに、教室までやって来る。そして祖母は怒りっぽかった。いったんその意思に従わないと、怒る。猛烈な勢いで爆発し、罵倒し、猛獣の ように低い声で怒鳴り散らす。飼っていた金魚やおたまじゃくしを水槽ごと持ち上げ、全力で地面に叩き落とす。飛び散ったガラスの破片、バタバタと必死にあ がく金魚。金魚の命は、祖母の感情表現の手段に使われた。

祖母なんか死ねばいいのに、と私は思った。しかし、私の世界には祖母しかいなかった。彼女が一所懸命に私を世界から隔離しようと努力したからだ。だから私は 祖母と一緒に遊んだ。祖母のおっぱいやおしりの贅肉は膨らんでいて、水風船のようにポヨポヨして面白い。私はそれで遊ぶのが好きだった。ペットを飼っても すぐ死んでしまうから、私が触れる動物は祖母しかいなかった。だから、夢の中で祖母が死に、悲しくて泣き出したこともある。本当に早く死んでほしいが、死 んだら悲しい。

18歳 になって、母といっしょに暮らし始めた。母は祖母の末っ子で、やはり祖母のような言動をとる。しばらくして、母はやはり私のノート、日記、携帯、パソコン などを覗き始めた。私の反発を物ともせずに堂々と覗き、「私はあなたの秘書みたいね」と嬉しそうに言う。もちろんペットは飼えない。家に友達を連れてきた ら、怒りをぶちまける。「掃除もしてないのに、こんな家を他人にみせられると思ってんのか!」友達と外に出かけても、怒られる。「そんな暇あんの?」「あ んたホモでしょ?先週あの子と遊んだばっかなのに!」
東京で一人暮らしをしている今も、毎日電話がかかってくる。出なければえんえんと呼び出し音が鳴り続ける。

正直言って、疲れる。自分が一人の人間として認められていないと思う時もあれば、自分が祖母や母の期待に応えないと、生きる意味がないのだろうかと思う時も あった。二人とも私のことをとても愛してくれるのだから、その意味ではいい人だ。しかし、二人のことを思い浮かべると、ジンマシンが出てきたりする。もち ろん私も二人を愛しているが、重すぎる愛から解放されたい。でも二人は、私をコントロールすることを生きがいとしているのだから、私がいなくなれば死ぬだ ろう。

祖母の人生は、戦争に翻弄され、母の人生は文革に翻弄されていた。彼女たちは、自分の運命を把握することができなかった。あんなに一所懸命戦ったのに、運命 に挫折してしまった。挫折したが、戦う習慣だけはちゃんと残った。その矛先は私に向かった。彼女たちが祖母、あるいは母という名の戦士になったとき、命賭 けの情熱でより良き子供を創造する戦いに参戦したのである。

日本に来てから、祖母が死んだ。末期がんになっていたので、余命いくばくもないことは知っていた。祖母の死は、母によって秘匿にされたが、すぐ気付いた。そ の日だけ母から電話がなかったのだ。夜になると、とても明るく、清明な夢を見た。私は夢の中で、中華民国時代を生きる青年書生のようになっていた。向こう から祖母が近づいてくる。その姿は年若い少女だった。彼女は泣き出し、さようならと言った。私は言った。「君はもう死んでるよ。だから念仏を唱えましょ う」

ああ、恋人だったのか、と私は納得した。だから祖母は私の部屋を覗き、外では尾行し、持ち物もすべてチェックし、私の服まで脱がせたんだ。時代を越えた恋だったんだな。私の世界を支配していた鬼の親分が、実は心細い少女だった。だとすれば、許してやるしかないな。

歴史は繰り返す。祖母が死んでから、母はますます祖母に似てきた。おかげで私の人生のテーマは相変わらず、「親に反抗すること」だ。でも疲れるから、そろそろやめようか。親に反抗するのは、やはり子どもだ。

小学校三年生の時、30代の自分にメッセージ書いた。その手紙は祖母に見つかり、ゴミとして捨てられたが、メッセージは今でもきちんと覚えている。
「大人になっても、子どもの純粋無垢な心を忘れるな」

うん、忘れてないよ。「田さんは、ホントに子どもっぽいね」とよく言われるような大人(?)になってしまったよ。やはり、私は大人のことが嫌いだった。怒 りっぽいし、暴力振るうし、思い込みが激しいし、打算的で、傲慢で、セクハラで、自分のできないことを全部子どもに任せる。大嫌いだ!でも、大人も大人で 大変なんだな。生きていくことは大変だから、子どもに頼るしかないときもある。

なんだかんだ、私も成長してきた。子どものときは親と会話するとすぐ泣いていたが、20代後半には普通に話せるようになった。今でも子ども時代を思い出すと たまに涙が出たりするが、自分もそこから抜け出す力を持っていると気づいた。親や先生の期待に応えられないと生きる意味がないと思っていたが、自分の人生 はやはり自分のものだと気づいて、失敗も少しずつ受け入れられるようになってきた。

今は一人の人格を持った人間として、私は親を愛している。だからこそ、逃げずに付き合いたい。死も見届けるつもりだ。そしてその後、親のいない世界を楽しもう。わくわくしてきた。

 
 
田園/でんえん
北京出身。畑に囲まれた田舎の寄宿制中学校、北京師範大学第二付属高校、北京映画学院大学卒。そして来日。中央大学大学院で修士号を取り、博士課程に在籍 中。研究分野は宗教社会学だが、その業績はほぼなし。漫画家デビュー歴あり。黒い歴史満載。猛禽保護センター、出稼ぎ労働者の子供のための学校などでボラ ンティアをしていた。中国赤十字社で救命技能認定証をとったが、期限切れている。今は念仏+論語+民間療法+市民農園に情熱を燃やしている。