アースフリーグリーン革命あるいは生態智を求めて その8
鎌田 東二
13、NPO法人東京自由大学の「ボディワーク:滝行」
ワークショップと「継続の力」
このEFGの連載原稿を、新幹線で熱海から京都に帰る電車の中で書き始める。このような形で京都に帰るのは何回目かだが、本日のNPO法人東京自由大学の「身体の探求コース自然を体感する」滝行ワークショップを終えたほとんどの参加者は、「滝」に打たれた後は、温泉に打たれてゆっくりと身心をほぐして帰る。わたしはその「湯行」部分をカットして、そのまま湯河原駅から1駅先の熱海まで行って、そこで新幹線に乗り換えて京都まで帰ろうとしているのだ。
この奥湯河原での「白雲の滝」ワークショップも丸12年継続した。その「継続の力」で、今は東京自由大学の「夏の風物詩」ともなっているし、「知的財産」ならぬ「地的財産」ともなっている。また、「心的財産」ならぬ「身的財産」ともなってきた。これは自由大学の特色としてアピールできるものの一つであろう。
今の東京自由大学のHPには次のように募集案内が出ている。
ボディワーク 水を体感する・滝行
日付:(2014年) 7月6日(日)
集合: 10:00 JR湯河原駅
場所: 神奈川県奥湯河原 天照山・白雲の滝
滝行先達:
鎌田東二(京都大学こころの未来研究センター教授)
佐々木雅之(土笛奏者)、海野直宏(新体道指導者)
協力: 天照山神社(奥湯河原)
参加費: 一般 5000円、会員・学生 4500円 (交通費・温泉等自己負担、各自弁当持参)
定員: 15名
コーディネーター: 佐々木雅之・鳥飼美和子(東京自由大学運営委員)
(※ 要予約。参加申込は定員に達した場合、あるいは日付の10日前に締め切ります。)
過去の東京自由大学のカリキュラムを遡って確認してみると、第1回目は、2002年6月30日、大祓の日であった。ということは、2014年の今年度は13年目のボディワーク:滝行で、これまで多く、1年に7月と9月に開催してきたので、もう20回を超える回数を重ねてきたことになる。「継続は力なり」というが、本当にそのとおりだ。
朝10時に熱海駅の一つ手前の湯河原駅で集合し、タクシーと滝行先達の佐々木雅之さんの車に分乗して、天照山神社登り口のところまで行く。そこから徒歩で30分弱山道を登ると、天照山神社に到着する。
登り口のところで、みなさんに挨拶。滝行先達のデザイナーで縄文土笛奏者の佐々木雅之さんと新体道師範の海野直宏さんとわたしとボディワーク:滝行担当の鳥飼美和子さんがそれぞれの思いや観点などを伝える。佐々木さんは、「登り口の鳥居を抜けるともう聖地なので、すでにもうそこから禊が始まっていると思ってください。」と聖域天照山と禊と滝行の接続について注意を喚起する。わたしは、自分の心を見つめ、体をチェックし、自然の気を探知することの3点セットを提起する。
天照山神社について、正式参拝。神道大成教の奥宮の天照山神社のご神前で、7・5・3の15の数で太鼓を鳴らし、二拝二拍手一拝の後、祓詞、大祓詞の奏上、般若心経を一緒に読経、そして佐々木雅之さんの土笛と奴隷に合せて石笛・横笛・法螺貝の三種の神器を吹いて、音霊奉納。年に一度のこの音霊奉納の合奏がわたしの身心を調律する聴診器とも測定器とも調整器ともなっている。それが終わって、一人ずつ神前に進み出て拝礼。
全員が終わって再び7・5・3の15の数の大太鼓の響き。
正式参拝が終わって道着に着替え、禊作法の指導と滝場と滝行での注意点の話。そして、会の先達による新体道式体ほぐし。それから、いざ、出発。「お立~ち~!」「受けたも~」の合図とともに。
15分ほど登って、滝場の手前に鎮座する天照山神社奥宮で法螺貝奉奏と二拝二拍手一拝と祓詞奏上。そして、いよいよ滝場へ。今回は18名が入滝。
滝場で、禊作法の川面凡児式鳥船の行。その途中で、振魂。そして、雄健(おたけび)。「生魂、足魂、魂溜魂」。次に、雄詰(おころび)。手刀を作って眉間から振りかざしつつ、「国常立尊~! イエ・エイッ、イエ・エイッ、イエ・エイッ!」。最後に、天津息吹3回。天地から天然の純気をいただき、その気を天地にお返し、充満させる。
禊作法が終わって、先達のわたしから滝に入り、微声で祓いの詞と般若心経を唱える。
そして一人ずつ滝に入って、打たれ、祈り、出る。滝に入る時と、滝から出る時に、滝に向かって拝礼をする。経験者が先に入り、初心者は後にする。
参加者と担当者の全員が入り終えると、それまでお世話をしていた海野先達と佐々木先達が入る。海野先達の滝行作法は新体道風。天空に両手を広げ、栄光のような構えや動きをする。佐々木先達のそれは佐々木流で、動きと歌が入る。最後にもう一度わたしが締めの行として法螺貝を抱いて入り、滝の中で法螺を立てる。いっぱいに水を吸っているので、音もわずかでかすか。だが、音は出る。
ワンサイクルが終わって、再び法螺貝奉奏、二拝二拍手一拝、祓詞奏上、鳥船、雄健、雄詰、息吹。奥宮のところに戻って二拝二拍手一拝。そして、山道を下って、神社に戻る。
神社に戻って、着替えをし、泥のついた足袋や履物を洗ったりしてから、神社の境内でみんなで輪になって昼食。お腹が空いているので、ありがたく、おいしくいただく。わたしは、小田原駅で買った鰺の押鮨と伊右衛門茶。食べながら、順番に滝行の感想を一人ひとり言う。
毎年、その一人一人の言葉を聞くのが楽しみだ。東京自由大学の名物は、講師を膝を交えてじっくりと直に質疑応答など話ができることだが、それだけではない。講座終了後、「神田オープンカフェ」と称して、参加者有志が一人3分で自由に感想や表現ができる交流の場を設けている。ルールは一つ。話をしている時は、質問をせず、ただひたすら聴くことに徹すること。これをわたしは、「他者の畏敬と傾聴の行」と呼んでいる。これを15年近くやって来たことが、心を練り、耳を練る行となっていると思っている。わたしの眼はどうしようもない「節穴」であるが、耳は結構聞いていないようで、人の話をきちんと聞いている。それもこれも、この「神田オープンカフェ」での「畏敬と傾聴の行」のおかげだ。
一人一人の話は珠玉の甘露である。尊く、貴重で、心に沁み通る。最後に、佐々木雅之先達が、「今日は、参加者一人一人の姿が涙が出るほど美しく見えた。」と感想を述べてくれたことにみんな感極まった。東京自由大学のボディワーク::滝行13年目にして、滝行先達の佐々木雅之さんから出た言葉として重みと美しさがあった。
わたしは、1998年、早稲田大学大隈講堂で大重潤一郎監督の映画『光りの島』を上映し、シンポジウムをした後の懇親会で佐々木雅之さんと初めて逢って、そこで彼が縄文の土笛を作って吹いていることを知り、その懇親会で急遽コラボ演奏したことが一等最初の出逢いであった。その後、わたしたちはコラボレーションを重ね、2001年に春秋社から『元始音霊 縄文の響き』と題するCDブックを出したのだった。
その出会いと転換と、また佐々木さんのお父さんが神道大成教の祭儀部長職の役員を務めていることが縁となって、飯田神道大成教管長さんとお会いし、天照山神社と白雲の滝をお借りして2002年6月30日から、天照山神社の正式参拝と白雲の滝でのボディワーク:滝行をさせていただけることになった。ちょうどその直前に、わたしは春秋社から『平山省斎と明治の神道』と題する神道大成教の創始者についての本を出したのだった。これもみな、佐々木雅之さんとの出逢いの結果である。
そんな話をした後、昨日、鎌倉市大船にある鎌倉芸術館での「3・11と音楽」の催しの話をした。その冒頭で、福島の詩人の和合亮一さんと作曲家の新実徳英さんの対話を、わたしがコーディネーターとなって行ない、その後、「つぶてソング」全17曲の合唱を松原混声合唱団のみなさんで歌ったのだった。トークも合唱もすばらしかったと多くの聴衆の方々が言ってくれた。
わたしも一番前で(奈落の底のような一番ドン付きの指揮者の真下で)観ていて、大変深く揺り動かされた。言葉の力、歌のちから、合唱の力を。
和合さんは、震災後、避難所にいたが、原発事故もあって家族を移動させた後、独り福島に残った。その時の恐ろしいまでの孤独と緊迫の中で、「言葉にすがるような気持ちで」140字の字数制限のあるツイッターに、それまで書いてきた「詩がグルグル回る感覚」の中で、つぶやきとして、「つぶて詩」を発信し始めたのだった。
放射能が降っています。
静かな静かな夜です。
この震災は何を私たちに教えたいのか。
教えたいものなぞ無いのなら、
なおさら何を信じればよいのか。
屋外から戻ったら、
髪と手と顔を洗いなさいと教えられました。
私たちには、それを洗う水など無いのです。
放射能が降っています。
静かな静かな夜です。
(「放射能」2011年3月15日)
あなたはどこに居ますか。
あなたの心は風に吹かれていますか。
あなたの心は壊れていませんか。
あなたの心は行き場を失っていませんか。
命を賭けるということ。
私たちの故郷に、
命を賭けるということ。
あなたの命も私の命も。
決して奪われるためにあるのではないということ。
(「あなたはどこに」2011年3月18日)
このツイッターに発信された「つぶて詩」に、「福島の手の中に」という福島讃歌の福島市に依頼された和合亮一さんの詞に曲を付けてすでにコラボレーションをしていた実績のある新実徳英さんが読んで、すぐ「これは歌える。歌になる」と「予感」し、「歌にするしかない」と思って、自らピアノを弾いて歌い、それをyou tubeに投稿して、「つぶてソング」が広がっていったという。心を打つ共働だ。
司会を進めながら、思わずわたしは言った。「演題の机に貼られている和合亮一さんと新実徳英さんの姓を見ていると、『和合して新しい実となる』と読めますね!」と。二人が共作することを運命づけられているかのような名前のスパーク。そして二人の絶妙・絶大なる表現力。やむにやまれぬ、すばらしいコラボレーションだと思う。
トークと合唱の中で、わたしは心を深く動かされながら、多くの学びを得た。その一つが、指揮者の清水敬一さんの指揮だった。指揮台の清水さんの動きと表情は、まさしく舞踏そのもので、土方巽の暗黒舞踏を見ているのか、グレン・グールドの歌う演奏を聴いているのか、というようなダイナミックなものだった。それだけで十分にパフォーミングアートとして成立するような。清水さん、凄いぜよ!
これが、鎌倉での「新日本研究所」(代表:島薗進、副代表:金子啓明)の最初の催しとなった。芸術の力と光。それは「公共・交響財」であり、霊性の基盤だと思った。宗教は教義レベルで差異と排他性を生み出すことが多いが、芸術は作品レベルで「国境」も「民族」も「性別」も「年齢」も「宗教」も超える。越境する力がもっとも強いものが芸術・芸能である。
そんな昨日の鎌倉芸術館での話を滝行オープンカフェで語り、最後に「東山修験道」と日本の滝行文化のことを語った。
自然の前でヒトがいかに小さくひ弱であるか、それを自覚することがわが「東山修験道」の眼目であると。そして、それは、次のような「東山修験道」の「教義」となっている。
1、 自己の小ささを心の底から知って、そのことに心から感謝する。
2、 自己のひ弱さを心の底から知って、そのことに心から感謝する。
3、 そして、そんな小さくひ弱な自己を生かし支えてくれている自然と関係性に心からの感謝を捧げ、畏怖畏敬する。
4、 こうして、等身大の身と心と知を練磨し、何があっても動じない不動心を養い、臨機応変力を高め、応変的に社会貢献する。
参加者のみんなの感想を聞きながら、この13年間の実践の持続する価値と力を思った。衒わず、思い上がらず、一喜一憂せず、たんたんとおのれが信じる道を歩みつづけること、これ以外のどのような道もないのだ。
今後とも同朋として、仲間として、「同行二人」(弘法大師空海の四国遍路)ならぬ「同行多人」で行こうよ!
「楽しい世直し」とは、そんな「同行他人」ならぬ、「同行多人」のワザと実践なのである。
先号でわたしは書いた。
「世直し」とは、
1 創造性の煥発
2 友愛ネットワーク
3 万類共和
4 多元コミュニオン
5 多様・共在・協働
6 奇人変人・山賊海賊・よそ者・若者・馬鹿者(変わり者)の活用・活動
である、と。
NPO法人東京自由大学の「ボディワーク:滝行」は、そんな「楽しい世直し」になっているのではないか、そんな確信が芽生えた今日だった。
滝行仲間は、「同じ釜の飯を食った仲」にも似た、「同じ滝の水を浴びた仲」となり、「メル友」よりももっと濃い「滝友」となる。それを音読みすると、「リョウユウ」となる。「たきとも」にせよ、「リョウユウ」にせよ、「良友」である。そんな「友=共=伴」を増やし、「滝行混声合唱団」のよき滝波動を自由自在に展開していくことが「楽しい世直し」の一道程となるであろう。
先は長い。たんたんと往こうぜ!
鎌田 東二/かまた とうじ
1951 年徳島県阿南市生まれ。國學院大學文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科神道学専攻博士課程単位取得退学。岡山大学大学院医歯学総合研究科社会環境生命科 学専攻単位取得退学。武蔵丘短期大学助教授、京都造形芸術大学教授を経て、現在、京都大学こころの未来研究センター教授。NPO法人東京自由大学理事長。文学博士。宗教哲学・民俗学・日本思想史・比較文明学などを専攻。神道ソングライター。神仏習合フリーランス神主。石笛・横笛・法螺貝奏者。著書に『神界のフィールドワーク』(ちくま学芸文庫)『翁童論』(新曜社)4部作、『宗教と霊性』『神と仏の出逢う国』『古事記ワンダーランド』(角川選書)『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』(岩波現代文庫)『超訳古事記』(ミシマ社)『神と仏の精神史』『現代神道論—霊性と生態智の探究』(春秋社)『「呪い」を解く』(文春文庫)など。鎌田東二オフィシャルサイト