最近のこと
大重 潤一郎
先週は2週間ぶりに東京へゆき、順天堂病院での診察があった。そのため、羽田からタクシーでお茶の水へ向かった。ところが、東京の変わり様に毎回驚かされる。ビルが 大手町、神田界隈あたり、昔からのビルがほとんどなく、新しい超高層ビルだらけになった。タクシーの運転手さんに聞いた所、3.11以 降、従来いた会社は新しい耐震基準の建物に引越し、古い建物は新しい耐震基準の建物を再建したらしい。それにしても、神田お茶の水界隈の地元の家庭家族は どこへ行ったのだろう。以前、「未来の子どもたちへ」というナショナルトラストのために映画を創ったときも、多摩丘陵にいた動物たちはどこへ行ったのだろ うと、同じ感懐を持った。超高層ビルの中には、マンションとなってから、横の長屋ならぬ縦型の長屋になりつつあるとどこかで聞いた記憶があるが、それは一 部の人だけで、ほとんど多くの人たちは行方知れずだ。つまり、家庭・家族は見えないのだ。山尾三省さんが言い残した「お茶の水の水が飲めるように」という 言葉を、お茶の水の堀端に面した順天堂病院からいつも思い返している。経済だけが突っ走って、人の生活が見えないのだ。
肝臓癌が肺にも転移したために、ラジオ波による手術ではなく、最近、ネクサバールという分子標的薬での治療に変わった。その結果、癌が半減してきたが、身体 の調子は悪く、いつも考えないことを思うようになった。いまは、インドで言われる「林住期」にあたるだろうが、緑に囲まれた環境で静かに暮らし、猫のよう に人知れず姿を消すことを思ったりもする。その中で、思い出す映画がある。アメリカのダルトン・トランボ監督による「ジョニーは戦場へ行った」だ。両手両 足眼耳口の機能を失い、観察材料にされつつ、看護婦と交信する映画であった。その映画を始め、世界各地で起きた戦争にまつわる様々な記憶が蘇る。例えば、 インパール、あるいは南洋に於ける絶望的行軍、沖縄での民間人を巻き込んだ地上戦、南京虐殺など次から次へと記憶が渦巻いていく。いま、日常生活の中でテ レビや新聞を見ていると、そのことはほとんど語られることなく、政治経済が一人歩きしている状態だと感じる。 人間は背中に闇を抱えて生きてゆくしか選択肢はないのだろうか。身体の厳しさに加え、そういう思いを抱いているのが現状である。
ところで、昨日は嬉しいことが3つあった。朝から久高島へ行った神田亜紀さんとこころさんら3名が事務所へ見えた。そのあと、テレビ界の鬼才と言われた秋場 武男カメラマンと八田プロデューサーが、突然現れ驚かされた。そのあと、高橋あいさんより、久高オデッセイ第一部助監督を担ってくれた渡村マイさんの結婚 式の報告があった。これは、まさに沈み込みがちの私を奮起させるものであった。この勢いをもって、私は今週から久高島二週間のロケに突入したい。私は 予々、若いときから思いつづけてきたことが一つある。「幸せは求めない、不幸せでなければいい。」このスタンスで身体の痛みに負けずに頑張って行きたいと 思う。
2014.06.22記
大重 潤一郎/おおしげ じゅんいちろう
映画監督・沖縄映像文化研究所所長。NPO法人東京自由大学副理事長。
山本薩夫監督の助監督を経て、1970年「黒神」で監督第一作。以後、自然や伝統文化をテーマとし、現在は2002年から12年の歳月をかけ黒潮の流れを見つめながら沖縄県久高島の暮らしと祭祀の記録映画「久高オデッセイ」全三章を制作中。久高オデッセイ風章ホームページ