気功エッセイ 

第4回 1990年代半ば「心の世界」も波乱万丈!

~「人間滅亡的人生案内」を入り口として~

鳥飼美和子

 

 

 

2014年正月、平成も四半世紀を過ぎて26年となった。私は今年還暦を迎える。

 

九州小倉で正月を迎え、東京に戻る飛行機の中で読んだ機内誌に、正月にはそぐわない書籍が紹介されていた。深沢七郎著の『人間滅亡的人生案内』、1971年に刊行されたものの復刻だという。1967年から69年に雑誌『話の特集』で連載されていた人生相談だが、そもそも人生相談に答えるのが深沢七郎というのがすさまじい。まずこの作家から前向き?な回答が出てくるはずがない。ゆえに人間滅亡的!!人生案内である。彼は自ら人間滅亡教教祖を名乗った。

処女作の『楢山節考』が中央公論新人賞となり、選者の三島由紀夫が絶賛して、一気に有名になった。二度も映画化されている。しかし、その後の彼の作品は、奇作、怪作が続く。『風流夢譚』で皇室を侮辱したと怒った青年が出版社の社長を襲うという事件も起こった。そのため一時筆を折って放浪したり、埼玉にラブミー牧場なるものを開いたり、今川焼屋を始めたり・・・。作詞作曲してギターで歌を歌ったりもしたとか。さらに人間滅亡教である。

 

ある若者の相談に、彼は答える。「人間には本物なんかありません。みんなニセモノです。どんな人もズウズウしいくせに、ハズカシイような顔をしているのです。どんな人もゼニが欲しくてたまらないのに欲しくないような顔をしているのです。人間は欲だけある動物です。ホカの動物はそのときだけ間に合っていればいいと思っているのに人間だけはそのときすごせるだけではなく死んだ後も子供や孫に残してやろうなんて考えるので人間は動物の中でも最もアサマシイ、不良な策略なども考える卑劣な、恐ろしい動物です。だから、本物などある筈はありません。」と。「生れることは屁と同じ」だから深刻に悩むことなどない、ボーってして生きるが一番という。「生きることは楽しむことか、努力することかなどと考える必要はありません。なんのために生れてきたのか誰も知らないのです。それは知らなくてもいいのだとお釈迦さまは考えついたのです。彼は3千年前菩提樹の下で悟りをひらいたと言われていますがその悟りとはそのことなのだと私は思います。此の世は動いているものなのだ──日や月やが動いているのだから人間の生も死も人の心の移り変りも動いているものなのだ、そうして、人間も芋虫もその動きの中に生れてきて、死んでいく、そのあいだに生きている──動いている、誕生も死も生活も無の動きだという解決なのです。だから、幸福だとか、退屈だとか、と考えることがいけないのです、否、そんなことは考えなくてもいいことなのです。否、考える必要がないのです、否、幸福だと思うとき、退屈だと思うとき、それは意味のない動きだからどちらも同じなのです。そんなことは考えなくてもいい、もし、考えても区別したりすることは出来ません、どちらも無という意味のない動きなのだから。」

 

ここまで来ると大乗仏教か老荘思想かとも思う。しかしそんな風に評価されるのも彼は嫌いだろうな。彼を貫いているのは「下からの人間平等論」だといわれている。松岡正剛氏は「肯定的アナーキズム」と評した。こんな破天荒な作家は今の文壇にはいない。いや、彼ははじめから文壇になんているつもりはかなったのかもしれない。彼がいたのは人間という生物界。それ以上でも以下でもなく。彼が一番活躍?!した1960年代から1970年代は政治も文化も熱い時代、そして経済としては高度成長期だったが、彼はそれを背景としながらそれに与しなかった。それは人間滅亡という預言的人生だったのではないか。

 

深沢七郎について長く書きすぎてしまった。それは、なぜか今、深沢の国家も人間の真善美も愛も信じない、徹底した人間滅亡教に惹きつけられてしまったからだ。

いまこのエッセイで書こうとしている1990年半ばから立て続けにおこったこと、それは自然と人間の「破壊」であった。もちろん世界では絶えず大小の戦争があり、日本でも災害や事故は起こり続けてきた。しかし、それまで曲がりなりにも平和な世を生きていると安易に思っていたのだ。

 

 

1995年の1月、阪神高速道路は断裂し、ビルは倒れ、まるで空襲のように神戸の街は燃えていた。3月には地下鉄霞が関駅で毒ガス・サリンに人は次々に倒れた。1997年には14歳の酒鬼薔薇聖斗を名乗る少年が連続殺人をおこし、中学の校門に殺した子の首を置いた。2001年にはニューヨークの超高層ビルがまるでSF映画のように倒れた。報復戦争が始まり、第2次大戦後初めて日本は平和維持軍という名で出兵した。2011年には千年に一度?といわれた地震がおこり、東北を見た事もない津波が襲い、安全だと国家的に進められていた原発は大事故を起こした。

ここまで書くと、もう人間滅亡教に入信したくなる。現実におこったことの重大さ、そして自分は衝撃を受けながらも、いつしか直接被害を受けていない者の軽薄さで深沢が指摘した通り「自分のことしか考えない」生活に没入している。それが人間だ、というのが深沢の人間滅亡教の入り口だが、そこからウネウネと何も考えない肯定的?!アナーキズムにまで行きつくにはよほど覚悟の旅路が必要な気がする。こころはあまり信用できませんよ、人間のこころは一見高貴なものも結局は欲ですからね、というのが深沢の意地悪で鋭いところだ。

 

 

1995年の衝撃から、こころの危機が指摘されるようになった。地震や火災がもたらした破壊、オウム真理教という奇怪な集団による無差別テロ。苦しみ悲しみには理不尽さに対する怒りが内包され、PTSDを引き起こす。酒鬼薔薇聖斗事件は神戸の震災の影響があるという見方もある。

こころの救済、それが宗教の意義であるとすれば、オウム真理教という教団はどのような救済を目指したのか、なぜ宗教を標榜しながら破壊的集団となっていったのか。宗教という人間に特有のこころのシステム、高貴にも醜悪にも変容する宗教を一度多角的に、徹底して考えてみなくてはならないと、企画したのが「宗教を考える学校」であった。

 

「宗教を考える学校」は「天河曼荼羅Vol.7」として1996年一年をかけて行ったものである。

「天河曼荼羅」実行委員会は精神世界の六本木といわれた奈良県吉野の山奥、天河大辨財天社の財政的危機に際して、天河の歴史的、精神史的意義を見なおし、さらに広い視野で宗教的文化に関する催しを行い、側面的に天河を支援するという目的で活動していたのである。切迫した思いでつくった「天河曼荼羅Vol.7・宗教を考える学校」の案内チラシには以下のような趣旨が記されている。

 

宗教を考える学校趣旨:

「二十世紀末を迎えて、世界はいよいよ混迷の相を深くしている。その混迷の根っこには、資本主義・社会主義を問わず、近現代の産業文明の抱える構造的問題(自然と人間の相克構造)があり、それに加えて、宗教と民族・人種の問題が大きく横たわっている。これらの問題は複雑にして巨大で入り組んでいる。しかしこれへの解決なしに二十一世紀の未来はない。

「天河曼荼羅」では、一貫して固定化し権力化した宗教や宗教的思想に対して批判意識を向け、「超宗教への水路」を追求してきたが、この道もまたけっして生やさしいものではなく、さまざまな歴史的屈折や困難を抱えている。宗教を超えるとは、宗教性の根底に降りてゆくことであり、そこで宗教性を支える霊性の岩盤に向き合うことであると私たちは考えているが、そうした「超宗教へ水路」をより確かなものとするためにも、宗教に対して研究的にも実践的にも深くかかわってきた講師を迎えて、一年かけてじっくりと宗教にまつわる諸問題に取り組んでみたい。そして、宗教と文明の未来に向けて探究とその供え(備え)を始めたい。

ただし、各講師はそれぞれ独自の視点とアプローチを持っており、必ずしも「天河曼荼羅」の根本姿勢と同調するものではない。むしろ、異質な視点や他者性に対する開かれを通してこそ「超宗教の水路」をより明確に自己意識化し、相対化し、その可能性を掘り下げることが出来ると考える。なお、この講座は私たちの探究と学びの姿勢をはっきりさせるために「学校」という呼称をあえて用い、各講師には事情が許すが限り、自分の講座以外の講座にも出席・参加していただき、共に学び共に考え共に探究していきたいと思っている。基本的には、たとえ立場も思想も異なっていたとしても、講師も受講者も共に学びの徒であると認識している。」

 

この「宗教を考える学校」の司会進行は、天河曼荼羅実行委員会の委員長であった鎌田東二先生が行った。今、ふりかえってみると、趣旨も学びのスタイルも東京自由大学の先駆となるものであるのがよくわかる。東京自由大学が小さくとも内容としては総合大学であるのに比して、まさに専修大学であった。趣旨には、宗教の諸問題の解決なくしては二十一世紀の未来はない、と言明しているが、二十一世紀が十三年過ぎた今、解決とはほど遠いのが、これまたよくわかる。

深沢七郎的にいうなら、宗教も人間の欲の現れである。いかなる欲であり、いかなるものを招来するのか、霊性の岩盤とは何であるのか、1996年の探究の内容については次回に譲ることにしよう。

 

新年の祝いの時期に逆行し、滅亡教に彩られてしまったが、紆余曲折、アップ&ダウン、スピ系でも癒し系でもない私の気功遍歴には、還暦の年はバブル崩壊スタートがふさわしいとも言えよう。

  

 

 

鳥飼 美和子/とりかい みわこ
気功家・長野県諏訪市出身。立教大学文学部卒。NHK教育テレビ「気功専科Ⅱ」インストラクター、関西気功協会理事を経て、現在NPO法人東京自由大学理事、峨眉功法普及会・関東世話人。日常の健康のための気功クラスの他に、精神神経科のデイケアクラスなどでも気功を指導する。
幼いころ庭石の上で踊っていたのが“気功”のはじめかもしれない。長じて前衛舞踏の活動を経て気功の世界へ。気功は文科系体育、気功はアート、気功は哲学、気功は内なる神仏との出会い、あるいは魔鬼との葛藤?? 身息心の曼荼羅への参入技法にして、天人合一への道程。
著書『きれいになる気功~激動の時代をしなやかに生きる』ちくま文庫(2013年)、『気功エクササイズ』成美堂出版(2005年・絶版)、『気功心法』瑞昇文化事業股份有限公司(2005年・台湾)