境界をめぐる冒険

Ⅴ夢という現実/現実という夢

辻 信行

 
 
深夜3時。
激しい悪寒と腹痛で目が覚める。

ついにその時がきたのだ。
入国して4日目。これまで体調万全で、このまま帰国の日を迎えられると踏んでいたが、甘かった。首都デリーからバラナシ(旧称ベナレス)に移動した途端、ぼくの体は変調をきたした。
 
しばらくベッドの上に座り込む。段々と体が火照ってくる。体感38.5度。もう一度ぐったりと横になる。

 漆黒の螺旋を急落下する悪夢にうなされ、「わーっ!」と叫びながら目を覚ますと、手元の時計は朝の5時を指していた。体表から湯気が立つように熱い。体感39.0度。それでも今日は寝ていられない。ぼくは気力だけを頼りに起き上がると、サルビヤの様に赤くなった顔面に冷水を浴びせかけ、千鳥足になりながら着替えて部屋を出た。

まだ夜は明けていない。朦朧とする意識の中でリクシャ―を呼び止め、この街の中心部にあるダシャーシュワメード・ガートへ行くように言った。なぜかリクシャーは右往左往しながらフラフラと道を彷徨う。高熱にうなされた外国人客をいいことに、少しでも多く掠めとろうという魂胆なのか。ようやく到着してこちらを振り向いた運転手の顔を見て、ぎょっとした。片目がつぶれ、鼻は原形をとどめずに曲がり、口元は前歯1本しかない。なんということか。ぼくはまだ悪夢の中にいるのだろうか。それとも、いよいよ地獄に落ちてしまったのだろうか。
 
夢か現実か分からなくなりながら、ぼくはガンジス川の河畔のガート(沐浴場)に座り込んだ。すぐさま四方八方から地元の少年たちが寄ってくる。みな口々に 「俺のボートに乗れ!」と言う。ガンジス川の向こうに上る朝日を見るのに、どうしてそんなものに乗る必要があるのだろう。ボートの浮かぶ川の全景と朝日を 両方眺めるためには、川のこちら側にいる必要がある。

「いくらなら乗るんだ?」と少年たちは言う。「いくらでも乗らない」とぼくは言う。諦めて向こうに行く者もあれば、食い下がって値引きする者もいる。

次第に、ぼくのもとから少年たちが離れていった。すると、さっきから向こうでニヤニヤ笑ってこちらを見ていた20歳ぐらいの青年が、話しかけてくる。

「君は自分を持っている」
「どういうこと?」
「ボートに乗らないからさ」
「それだけで自分を持ってるの?」
「ハハハ。ボートに乗っても良い景色が見える。乗らなくても良い景色が見える。だから君の選択は正解だよ。ここでゆっくり日の出を待つことだね」

ゆっくりなんかしていられない。
朝の祈りを捧げる謎めいた呪文と観光客の甲高い話し声、それを取り巻く商人たちの低いささやき。それらが綯い交ぜになった喧噪のただ中で、ぼくの意識は混濁を深めていた。

そうしているうちにガンジス川の向こうから、白々とした光の塊が、のったり姿を現した。それをじっっと見つめていると、ぼくの熱は徐々に冷めて、腹痛もおさまってくるようだった。

 
 
「そろそろ行こうよ」と青年は言う。
「そんなに見つめていたら、眼が痛くなってしまう」
「どこに行くの?」
「チャイを飲みに行くのさ」

笑顔の下にうさん臭さが漂う彼に連れられて、ぼくは早朝のバラナシを歩くことにした。

火葬場のために町がある、とイギリス人から呆れられたバラナシは、ヒンドゥー教徒にとって、死に場所に最も相応しい憧憬の聖地だ。マニカルニカー・ガートで露骨に火葬された遺体は、灰になってガンジス川に流され、燃え残りは野犬のエサとなる。遠藤周作はその様子を遺作において、とても素朴に書き記している。

 
女たちはそれぞれガートの露店で買った花びらを木の葉にのせて水に流している。石段には大きな傘をひろげ、黄色い布をまとったバラモン僧が祝福を乞いにきた新婚夫婦を祝福していた。遠く南側では、ようやく焼けた、先程の死体の灰を三人の白衣の男が河にスコップで流していた。死者の灰を含んだ水がそのままこちらに流れてくるのに、誰もがそれを不思議にも不快にも思わない。生と死とがこの河では背中をあわせて共存している。

― 遠藤周作『深い河』


 
死者の灰が、ときには死者の体そのものが流れてくる川の水で沐浴し、顔を洗い歯を磨く人々をみて、ぼくは何とも思わなくなっていた。それほどまでに、それらは自然な行為として生活の一部をなしているのだ。

「俺は台湾ゲールズが好きだ」と青年は言う。まるで自分が気の利いたジョークを飛ばしたというような表情で、ぼくの顔を覗き込む。「ゲールズ」とはなんだ?よく分からないが、とりあえずニッコリ笑う。すると彼は、さらに調子にのって、すけべな顔で高笑いする。ああそうか、「ガールズ」だ。

彼はそこかしこに佇むヨニリンガや、ネパール寺院の外壁に施されたカーマスートラの木彫を、丁寧に説明してくれた。乾燥した風土の中に、性のオブジェがあっけらかんと置かれている。ただそこにある、という表現がふさわしい。だから三島由紀夫が蠱惑的な筆致で描いたバラナシに、ぼくはやや違和感がある。

ベナレス。それは華麗なほど醜い一枚の絨毯(じゅうたん)だった。千五百の寺院、朱色の柱にありとあらゆる性交の体位を黒檀(こくたん)の浮彫であらわした愛の寺院、ひねもす読経(どきょう)の声も高くひたすらに死を待っている寡婦(かふ)たちの家、住む人、訪(おとな)う人、死んでゆく人、死んだ人たち、瘡(かさ)だらけの子供たち、母親の乳房にすがりながら死んでいる子供たち、……これらの寺院や人々によって、日を夜に継いで、喜々として天空へ掲げられている一枚の騒がしい絨毯だった。

― 三島由紀夫『豊饒の海(三)暁の寺』


ホットチャイをすすりながら、ぼくが青年と何を話したかは、よく覚えていない。ただ、青年はしきりに“If you are happy, I am happy”と繰り返していた。なぜぼくにそんなことを言ったのだろう。彼は「台湾ゲールズ」にも同じことを言ったのだろうか。

バラナシでもデリーでも、ぼくはインドの男性に随分よくしてもらった。街を歩けば微笑みかけられ、電車に乗れば席をゆずられ、チップを出せば掌に熱烈なキスを受けた。かなり気味悪く、時に恐怖すら感じた。特に夜の街は強烈だ。ぼくは堀田善衛の書き残した次の一節に、痛いほど共感する。

夜だからとはいえ、町に「女」がほとんどいないことだ。どれもこれも、男だ。男、男、男……。男ばかりの世界というものが、どんなに異常なものであるかは、 軍隊で経験ずみな筈だが、軍隊などの強制組織ではなくて、都会の日常――そこで眼につく人間がことごとく男であることの異常さ、しまいには、そこを絶えざる流れのように歩いているものが、「男」ではなく、男根が歩いている、という気がして来るのだ。息苦しくなって来る。

― 堀田善衛『インドで考えたこと』



彼らは街中を歩いている時でさえ、隙あらば股間に手を伸ばし、なにやら位置を直している。初対面でも3分経てば「おまえ、セックスは好きか?」と聞いてくる。それがこの国では、不思議と自然に感じられるのだ。

熱が下がっている頃合いを見計らって、ぼくはオールドデリーを散歩した。歩きながら、ぼくは自らが「病原菌」なのではないかと思い始めていた。インドは、表面的にはカオスでありながら、実は精巧でシステマティックな秩序から成り立つ身体なのだ。そこへ無防備に侵入した外国人という病原菌は、すぐさま免疫に よって締め出されてしまう。インドに行って体調を崩すのは、病原菌にかかったからではなく、自らが病原菌であるためではないか。

昼間は下がっている熱も、夜になると再び上がりだす。高熱にうなされながら、ぼくはめくるめく幻想の世界にまどろんでいた。もしかすると三島の『暁の寺』も、インドでうなされながら見た夢の世界だったのかもしれない。

ぼくは一本の細い道を歩いていた。
峠を越えた向こうへ、どうしても行かなくてはならないと思った。そこには家がある。帰るべき家があるのだ。時間も空間も突き抜けて、ぼくの意識はもっと遠く、もっと深くへ行こうとしていた。

 <つづく>

 
 
辻 信行/つじ のぶゆき

東京自由大学理事。横浜生まれ。汽笛の聞こえる里山の近くで育つ。現在、中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程在学中。法政大学沖縄文化研究所奨励研究員。宗教学・民俗学・比較文学をふまえつつ、様々な「境界」を研究している。