「宮崎の神楽せり歌取材」

三上 敏視

 

 

神楽は一年中どこかでおこなわれているが、祭全体が呪術的芸能を伴って行われ、神仏習合やまた古くからの自然信仰、祖先崇拝、シャーマニズムなどの要素を含む神楽は、だいたい11月から2月あたりまでの冬場に行われるものが多い。

霜月祭系神楽という表現もされるこれらの神楽はもともと冬至祭をベースにしていると考えられ、「御霊殖ゆ」の冬に行われるので神楽仲間は「今年の神楽」という言い方をしないで「今シーズンの神楽」という呼んだりする。

 

さてその今シーズン、これまで11月第2の土日から6週末のうち5週末をその霜月祭系の夜通し神楽に行ってしまった。11月第2土日が「奥三河・御園花祭」、第4土日が「宮崎・高千穂秋元神楽」、12月第1土日が「宮崎・椎葉不土野神楽」、第2金土が「長野・遠山下栗の霜月祭」、そのあと土曜日にそのまま「東京花祭」へ、そして第3土日の先日「宮崎・西米良村所神楽」と、例年の倍くらいではないだろうか。

 

「御園花祭」は毎年多摩美の学生を連れて行くレギュラー日程だけど、これまでここに書いててきたように、6月に「せり歌についての聞き取り調査」で宮崎を周ったので、その仕上げとして実際の神楽を再訪したというわけである。6月に歌そのものはどんな歌なのか知ることが出来たけど、「せり歌が歌われなくなったけど、また復活させましょう」と言われたところもあったので、実際に神楽の中で歌われている場面を確認したかったわけだ。

 

まずは高千穂秋元神楽。神楽の多くは前半が神事的、後半が祝祭的(宴会的)という構成が多いので、せり歌が出せるのは氏神はじめ招いた神々が登場したあとの後半になる。

 

「まだ出ないのかなあ」と気になり始めたのが朝の5時頃、6月に歌ってもらった人たちにリクエストしたのだけれど、なかなか歌ってくれないのである。高見さんにも来てもらい、4人でなんとか歌い始めたら、やっぱり本当はせり歌が歌いたかったようで、肩を組んで輪になり「ヨイヨイサッサ、ヨイサッサ!!」と一緒にせることが出来た。一回だけでも何年かぶりのことなので一安心。

撮影:白石ちえこ
撮影:白石ちえこ

ちょっと寝っ転がって神楽を見ていたら40分くらい後に再び女性たちだけでせり歌が始まった。今度は7人いただろうか。この時、宮崎県の観光課の仕事らしいのだが、河瀬直美監督が撮影に来ていて河瀨さんもその輪の中にいた。お母さんたちに少し火がついたのかなという感じ。

せり歌は歌いたいけれど、観光客もいるしちょっと目立つのも恥ずかしいという感じがあるのだろう。だからだんだん下火になってきたわけで、70代80代のおばあさんたちが元気だったり、酔っ払った男たちが揃ってたらせり歌も出やすいのかもしれない。今シーズンは宮崎の神楽仲間に「せり歌が出たら携帯でいいから動画撮っておいて」と頼んでいたのだが、高千穂も浅ヶ部では別の地区の「ほしゃどん(神楽をする男性たち)」がやって来てせり歌で盛り上がっていたそうだ。

 

椎葉では「ごやせき」などと呼ばれるせり歌がまだ健在で、高千穂で「せる」という表現がここでは「せく」になっているようだ。6月は嶽之枝尾で素晴らしい歌声を聞かせてもらったのだが、嶽之枝尾が直前に保存会長さんが急逝され、神楽は中止。それで同じ日程で行われる不土野というところの椎葉神楽を見た。

 

ここではけっこう早く23時過ぎから歌が出てきた。口火を切ったのは長老格のおじいさん、なかなかよい声でいろいろ話もしてくれた。女性陣はここでもなかなか歌いはじめなかったけど、朝方近くなってからかなり盛り上がった。不土野はかなり山奥の集落で、中心部の上椎葉の仲間が送ってくれた動画ではなんとマイクを使っておばちゃん、おばあちゃんたちが「ごやせき」を歌っていた。嶽之枝尾と似ている所あり、違う所あり、椎葉ではせり歌はいろいろなタイプがあるようだ。そして一人ひとりが自分のメロディーを持っていたりするらしい。貴重な「生きた古謡」と言えるだろう。

撮影:三上敏視
撮影:三上敏視

そして西米良の村所神楽。ここでは「囃し歌」と呼んでいる。前々回に書いたように、ここも最近出ていないうことで6月に長老の中武雅周先生を訪ねて、どんな歌をいつどのように歌うのか取材したら先生はすでに若手の女性たちに声をかけ練習会をしてくれて、その時は神楽の中心メンバーも太鼓と笛を鳴らしてくれた。なので、ここはさぞ盛り上がって復活するだろうと見るのを楽しみに来たのである。

村所神楽も前半が「神神楽」、後半が「民神楽」となっていて、囃し歌が出せるのは「民神楽」になってから。配られたプログラムにもこのことが書いてあって囃子歌の文句もいくつか載っていたのだが、日付が変わってもなかなか民神楽にならないのである。結局四時過ぎくらいに民神楽になったので、6月に練習に来ていた人たちに「囃さんですか?」とリクエストしてもなかなか囃子が出ない。

結局「荒神」のときに、ずっと酔っ払って乱入を繰り返していたおじさんが酔いながら囃し始めたので、「出ないなら出しちゃえ」ということでおじさんの横に突入。紙を見ながら囃しのタイミングを見ていたら地元のお母さんたちや氏子のおじさん、そして練習会の若手も一人集まってきて、5時ちょっと前に囃すことが出来た。

雅周先生がいたらもっと出てきたろうけど、先生はとっくに帰ってしまっている。

せり歌、囃し歌の衰退の一つの理由はやはり「目立ちたくない」という人が増えたせいなのかな、とここでも思った。歌い始めればカメラも向けられるし。だから練習会に来ていた娘さんの中には恥ずかしがって来なかった人もいたのだと思う。

雅周先生によれば「酔っぱらいが囃しを出すことはあっても、みんなで揃って歌うことがなくなったからねえ」ということだったのだが、今回は短かったけどなんとかみんなで囃すことが出来た。お母さんたちはやはり同じ思いだったらしく、自分たちで囃し歌のプリントを作り、その最後には「みなさんのご協力をお願いします」と書いてあった。なので終わった後「ありがとうございました」とお礼を言われてしまった。今夜の囃しがきっかけできっと来年からはもっと囃しが出ればいいなと思った。きっと出るだろう。

ここまで三ヶ所を訪ねてみて、せり歌もいろいろな形があることがわかった。高千穂ではどこへ行ってもほぼ同じメロディーだが、椎葉は人によって変わることもある。そして村所ではみんな揃って歌うのが本来らしい。今シーズンはこのあと2月に諸塚神楽を訪ねる。南川神楽と戸下神楽だ。「婦人会に声をかけてみます」と言ってくれた南川神楽で果たしてせり歌(ここでは「ぜぎ歌」と呼ぶ)が出るか。

出なかったら口火切り役をするつもりで行くつもりなので、次回良い報告ができるようにと祈っている。神楽は冬至祭と正月が合わさったような感じなので、個人的にはもう5回正月を迎えた気分だけど、みなさんにとって良い年になりますように。今年もよろしくお願いします。(三上敏視)

 

 

三上敏視がビデオを上映しながら神楽の紹介、解説をする『お神楽ナイトvol.17』が2月12日(水)に東中野の「ポレポレ坐」で行われます。今回のテーマは「神楽せり歌」。諸塚から戻った翌々日なので撮りたてホヤホヤの映像も紹介できます。詳細はhttp://za.polepoletimes.jpを見てください。

 

 

 

三上 敏視/みかみ としみ

音楽家、神楽・伝承音楽研究家。1953年 愛知県半田市生まれ、武蔵野育ち。93年に別冊宝島EX「アイヌの本」を企画編集。95年より奉納即興演奏グループである細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニットに参加。

日本のルーツミュージックとネイティブカルチャーを探していて里神楽に出会い、その多彩さと深さに衝撃を受け、これを広く知ってもらいたいと01年9月に別冊太陽『お神楽』としてまとめる。その後も辺境の神楽を中心にフィールドワークを続け、09年10月に単行本『神楽と出会う本』(アルテスパブリッシング)を出版、初の神楽ガイドブックとして各方面から注目を集める。神楽の国内外公演のコーディネイトも多い。映像を使って神楽を紹介する「神楽ビデオジョッキー」の活動も全国各地で行っている。現在は神楽太鼓の繊細で呪術的な響きを大切にしたモダンルーツ音楽を中心に多様な音楽を制作、ライブ活動も奉納演奏からソロ、ユニット活動まで多岐にわたる。また気功音楽家として『気舞』『香功』などの作品もあり、気功・ヨガ愛好者にBGMとしてひろく使われている。多摩美術大学美術学部非常勤講師、同大芸術人類学研究所(鶴岡真弓所長)特別研究員。