―空のふち―

 

桑原 眞知子

 

 

 

今年の始め、広島『9条の会』で若き政治学者の大井赤亥さんからお話を聞く機会があって、第二次大戦中イギリスのコベントリーであった惨劇を初めて知りました。

赤亥さんの講演の後、テレビで偶然ヒトラーとチャーチルの攻防戦を描いた『鷲とライオン』というフランス制作のドキュメンタリーを見ました。破壊されたコベントリー大聖堂を視察するチャーチル。空爆で大打撃を与えることを「コベントリーする!」というドイツ語の動詞ができたと驚くような解説がありました。

 

現在、コベントリー大聖堂には広島の被爆記録も一緒に展示されてるそうです。

幼い頃、アメリカ生まれの母の影響で姉と日曜学校に通ってました。天使や幼子イエスやマリア様を描いた美しい小さなカードをもらうのが楽しみで、メンコの札と一緒にコレクションしてました。

大人になって時々訪れる世界平和記念聖堂は、広島の中で一番落ち着く場所。心が疲れると聖堂の空気に包まれ、気持ちが落ち着くまで座ります。魂が光に手を伸ばしているのを感じます。春になると、毎年聖堂近くに住む友人が構内の垂れ桜の写真を送ってくれます。

私と同じ8月6日生まれの聖堂の建設には、世界中から多くのサポートがありました。品々が寄せられ、ドイツからもパイプオルガン・平和の鐘・聖櫃も寄贈されました。

 

彫刻家の石丸勝三さんが前年から準備を始めて、「聖堂記」の修復に入りました。一文字一文字、精魂込めて彫られました。

世界平和記念聖堂
世界平和記念聖堂
聖堂記
聖堂記

碑文―『この聖堂は、昭和二十年八月六日広島に投下されたる世界最初の原子爆弾の犠牲となりし人々の追憶と慰霊のために、また万国民の友愛と平和のしるしとしてここに建てられたり

而して此の聖堂により恒に伝へらるべきものは虚偽に非ずして真実、権力に非ずして正義、憎悪に非ずして慈悲、即ち人類に平和をもたらす神への道たるべし

 

故に此の聖堂に来り拝するすべての人々は、逝ける犠牲者の永遠の安息と人類相互の恒久の平安のために祈られんことを 昭和二十九年八月六日』

 

 

ぼくのあたま       四年 河合賢治(広島市舟入小学校)

 

    ピカドンで ぼくのあたまは はげた

    目も おかしくなった 二つのときでした

 

    大きくなって みんなが 「つる」とか「はげ」とかよんだ

    また 「目くさり」といった

 

    ぼくは じっとがまんした

    なきそうだったが なかなかった

 

(「原子雲の下より」)―原爆と戦争展

 

存在の本質を問う宗教の対立により存在を脅かされたり、政治の対立により命より大切なものが「富と領土」だったり、利害が絡んで敵になったり味方になったり。「生成流転」、人生は短い。

 

ステンドグラスからこぼれ落ちる光を手の平ですくいながら、小さなことを積み重ねてできている日常をいとおしく思います。

 

  

 

桑原 真知子/くわはら まちこ

広島県生、空見人。多摩美術大学絵画科油画課卒業。広島大学文学部考古学科研究生修了。草戸千軒町遺跡にて、遺物の漆椀の図柄の模写や土器の復元を行う。シナジェティクス研究所にてCG担当とモジュール作成などを経て、現在は魂を宙に通わせながら作家活動を行っている。