浅草雑芸団と私

三上敏視

 

 

 

浅草雑芸団という大道芸のグループがある。

もともとは「ガマの油売り」や「バナナの叩き売り」などの大道芸、口上芸の芸人だった坂野比呂志の弟子の上島敏昭が立ち上げた「坂野比呂志大道芸塾」の実演隊として作られたグループで、現在も「春駒」「飴屋踊り」「願人踊り」「大神楽の曲芸」「阿呆陀羅経」などの大道芸を実演している。

 

 

 

田中泯主演の映画『ほかいびと~伊那の井月』(監督・北村皆雄)では上島がやはり大道芸の「鉢叩き」の役で出演している。

上島さんは小沢昭一の仕事の手伝いをしていたこともあり、小沢さんの弟子の一人とも言えるが、小沢さんは『日本の放浪芸』の中で、金のために、生業として大道芸を持って放浪している芸人に惹かれていてこのように書いている。

 

 

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一昨年、「日本の放浪芸」というレコードを作ったら。私が「民俗芸能」「郷土芸能」の愛好者、物識りであると誤解なさる向きがあって私は閉口している。

私が関心を持ったのは「大道」「門付」など放浪性のある諸芸についてであった。近頃はそういうものも「民俗芸能」の中に入れるようになって来たらしいが、私の中では、はっきり分けられている。私がいま関わりを持つのは金をとってナリワイとする職業芸だ。芸をやることに世渡りが、大げさにいえば生き死にがかかっているもののことだ。

だから芸を金にかえるのではなく、例えば農民が、祈るとか祭るとか祝うとか楽しむとか……の目的でする芸能は、私にとってはオヨビではない。それらの芸能は純粋無垢で、私には息がつまる。……はっきりいえばオモシロクナイ。金をとる、ややドス黒い世界の方に私は魅かれるのだ。

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ちょっと意地を張っている感じもあるがこれは小沢昭一の芸能観の中心を貫いている。

そして彼は大道芸や門付芸の多くはもともと呪術的なものであり、神の代理人めかして祝福や祈禱を芸能に仕上げた、漫才や浪花節は呪術に見切りをつけて芸能に徹したとしている。浪花節の母型は山伏祭文が芸能化した「さいもん」で内容は祭文の「サ」の字も消え失せたが、それでも法螺貝と錫杖は離さなかった、とも言っている。

 

この呪術の世界を神楽は今でも持っているのだが、かつて山野を跋扈した修験山伏の芸能が農村に定着してしまったのが彼には面白くなかったようだ。しかしこの『日本の放浪芸』の本では旅芸人スタイルの「伊勢大神楽」の取材をしているし、土佐の「本川神楽」を訪ねている。その理由を「ところが本川村の神楽は、今持って修験者の手によって行われていると聞き、これは私ごのみのタブラカシ……といって悪ければ呪力のつよい芸能が見られるのではないかと期待して、はるばる来たぜ本川村という次第であった。」と書いている。

実際は彼が期待したほどの呪術性は本川神楽にはなく、「いまや村人は祈太夫を必要とはしない。もはや舞太夫は舞太夫のままで、神楽を”保存”すればよさそうである。村人の求めているのは、情緒としての神楽なのだから」ということになったのだが、神楽の後に保存会の会長で石槌山の修験者に個人的に祈禱をしてもらってこの取材を終えている。

 

小沢昭一が求めた呪術性の実感できる神楽はもうないという判断は当たっているといえるが、いや、まだまだ残っていると言えるし、逆に芸能そのものが無くなってしまいそうなのが「金のための」大道芸や門付芸である。わずかに残っていたとしても小沢が言うように「民俗芸能」「郷土芸能」になってしまっているものも多いし情緒としての大道芸にもなっているだろう。

 

さて、浅草雑芸団に話を戻すが、ここに私は10年前くらいから正式メンバーではないがかり出されている。だいたいお囃子担当で口上芸や踊りといったメインの芸能はやれないのだが。

参加した経緯ははっきりした記憶はないが、その前に猿回しの村崎修司さんの門付けドサ周りに上島さんと一緒に行き、「お金ください」と地べたに土下座したのがきっかけだろうか。それはまた貴重な体験だった。

 

神楽を見て回って、人と神との交流や、見える世界と見えない世界が混沌とする呪術的な祭り空間が大好きな自分は小沢さんとは感覚がだいぶ違うが、この大道芸と神楽の中の芸能というものがほぼ同じところから出ているというのがよくわかる。神楽が寺社の祭礼の中で発達してきたとすると、そこは(今でもだが)敷居は高く勝手にはやれなかっただろうし、ちゃんとした修験山伏も関わっていたのだろう。でも「自分たちもやりたい」あるいは「これを金にしたい」と考えた時にニセの山伏になったものもいるだろうし、ニセの巫女もいただろうし、それが祭文語りになり、歩き巫女になり、ある意味ではどんどん零落していきながら、しかし、旅先では「聖」のような「宗教者」の一種としての受け入れもされていたのだろう。

 

小沢さんは呪術性はなくなってしまったと言ったが、情緒としての浅草雑芸団も正月に向島七福神を祝福芸の春駒で門付けをして受け入れられているし、雑芸団のニセの獅子舞も道行く人にとっては「子供の頭をかじってもらいたい」という呪術的存在に変身する。小沢さんが呪術性を捨てたといった漫才もまだ祝福芸として門付けをしているところがある。呪術性の需要はそれなりにまだあるのだ。

そして神楽の呪術性もまだまだあり、「形式的」でも呪術的な祭文を唱え所作をして舞を舞い、それを見るものと共有すればそれなりの意味が立ち上がってくると私は考えている。

岩手では黒森神楽、鵜鳥神楽は今でも門打ちの巡業を続けているし、神楽以外の鬼剣舞や鹿踊も門打ちをする、他にもいろいろなスタイルで門打ちが盛んに行われているのだ。東北地方に門打ちが多いのは興味深いが、神楽や芸能の中に門打ち以外にも笑いを取る「狂言」や偽三番叟などの「もどき」といった「大道芸人的スタイル」が残っているのにも関係してくるのだろう。

東北地方をはじめ、全国の「神楽さんたち」、宗教芸能者の姿を見て、浅草雑芸団で大道芸を「する側」に立ってみると神楽の歴史もまた見えてきそうなのである。

 

神楽は決して「神聖な神事芸能」だけではないのだが、この誤解を解くのはなかなかむずかしい。

 

 

 

三上 敏視/みかみ としみ

音楽家、神楽・伝承音楽研究家。1953年 愛知県半田市生まれ、武蔵野育ち。93年に別冊宝島EX「アイヌの本」を企画編集。95年より奉納即興演奏グループである細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニットに参加。

日 本のルーツミュージックとネイティブカルチャーを探していて里神楽に出会い、その多彩さと深さに衝撃を受け、これを広く知ってもらいたいと01年9月に別 冊太陽『お神楽』としてまとめる。その後も辺境の神楽を中心にフィールドワークを続け、09年10月に単行本『神楽と出会う本』(アルテスパブリッシン グ)を出版、初の神楽ガイドブックとして各方面から注目を集める。神楽の国内外公演のコーディネイトも多い。映像を使って神楽を紹介する「神楽ビデオ ジョッキー」の活動も全国各地で行っている。現在は神楽太鼓の繊細で呪術的な響きを大切にしたモダンルーツ音楽を中心に多様な音楽を制作、ライブ活動も奉 納演奏からソロ、ユニット活動まで多岐にわたる。また気功音楽家として『気舞』『香功』などの作品もあり、気功・ヨガ愛好者にBGMとしてひろく使われて いる。多摩美術大学美術学部非常勤講師。