隠岐島前神楽 蘇る巫女の歌声

三上 敏視

 

 

 

7月23日に行われた隠岐・焼火(たくひ)神社の例大祭に行ってきた。ぼくは行かなかったが東京自由大学の合宿でもお世話になった神社である。

隠岐に初めて行ったのは98年で、由良比女神社の例大祭で隠岐島前(どうぜん)神楽を見たのだが、その時境内を行きつ戻りつするお神輿のお囃子として延々と演奏された「道中神楽」を聴いて、そのグルーヴのかっこよさにノックアウトされたのだった。現地で最初の神楽を見たのがこの時の隠岐島前神楽で、この出会いがなかったらその後の神楽フィールドワークに広がらなかったかもしれない、僕にとって重要な体験だった。

なぜ最初に島前神楽に行ったのかと言うと、渡辺雄吉という写真家の『神楽』という写真集があり、その中の解説で「巫女の甲高い歌声が神憑りの雰囲気を持つ」と書いてあったからである。神楽のことを知ろうとした時に書店には神楽の本がなかったので神田の古書店を探して回ったのだが一般向けの解説書はほとんどなく、専門的な学術書ばかりで困っていたところにこの写真集を見つけて助かった。そのあともこの本がガイドブックになってくれた。

さて、明治維新の神憑り禁止まで隠岐島前神楽は社家による宗教芸能団体で、巫女の神憑りをしていたのだからそのような歌声は当然といえば当然だが、それまで知っていたアイヌの女性による歌もとてもシャーマにスティックだったので、神楽の歌も聞いてみたかったのである。ただ、この時は渡辺氏の言うような歌声を聞くことは出来なかった。

そしてこの年は神社が改修中だったので焼火神社に行ったのは翌99年が最初。細野晴臣さん、中沢新一さんも一緒だった。その時に社務所で島前神楽をたっぷり見ることが出来て、四分の三拍子があることもこのとき気がついた。中沢さんはこの時の様子を「芸能の一歩手前にあって、シャーマニックトランスから半歩だけ見せるもののほうへ歩み出た状態が、なにかの条件で保存されてしまったよう」と表現している。

 

「巫女の神憑り的歌声」が気になり訪ねた隠岐だったが、そのリズムや男性の神歌、演目の楽しさ、そして隠岐の自然豊かな風土などに魅了され、すっかり巫女の歌のことは気にしなくなっていた、というか諦めていたのだが、なんと今回、それに出会うことが出来たのである。

焼火神社では例大祭に隠岐島前神楽が奉納され、社殿の神事で一番、神事が終わったあとに社務所で数番演じられるのだが、今年は社務所では出雲から斐川神楽が来て奉納することになり、島前神楽は社殿で「巫女舞」と猿田彦の舞である「先祓い(先祓能)」そして赤ちゃんが無事育つように巫女が抱いて舞う祈祷の「舞い児」の三番が奉納された。

 巫女舞はいろいろな巫女さんの舞を見てきたが、ここ数年は若い美香さんという人が舞っていて、彼女は島外の学校へ行っていたのだが神楽がやりたくて島の郵便局に仕事を見つけ帰ってきたという人だ。隠岐島前神楽は巫女が正式メンバーとして古くから存在しているという日本では数少ない神楽のひとつで、これには中世のあり方が遺っていると考えられる。だから巫女舞以外の時は囃子方のひとりとして並び手平鉦を擦るのだが、今回彼女の声を初めて聞いたと言ってもいいくらい大きく聞こえ、それがよく通る「甲高い」声だったのである。

とくに母親や祖母が巫女さんをやっていたというわけではないらしいから、かつての巫女の歌を一度も聞いたことがないかもしれない。たぶん僕が最初に隠岐に行った頃は幼児だっただろうから物心ついてからの島前神楽では聞いていないはずだ。これにはとても驚き、感動して焼火神社の松浦宮司にもそのあと熱く語ってしまったほどである。

どうしてこうなったか宮司さんは知らないらしい。今回、神楽衆とはあまり話をする時間がなかったから情報収集はしていないが、かつての巫女の「何か」がのりうつったのかもしれない。かつて神憑りをしていたわけだから不思議ではない。それほど見事な堂々とした声の出し方である。

 

この時の「先祓い」をYouTubeにアップしたので見てほしい。社殿での「先祓い」は初めてのことらしく、初めて見る人には動で見いいことかもしれないが、神殿に向かって舞うのでいつも見るのと逆の方向からのアングルになっている。いつもは幕があってそこから出るのだが、幕が手前にあり幕の裏から見ている感じになっている。

神楽に女性が正式メンバーでいることが珍しく、そして神歌以外にこのように歌うことはもっと珍しい。ひょっとしたら唯一かもしれない。貴重なものである。隠岐島前神楽は数年前にかつての神憑りに関係する「注連(しめ)行事」を復元して彼女が巫女だったが、そこでの歌はこういう声は出していなかった。もしこれから「注連行事」をする機会があるのなら、是非この声で神歌や祭文を歌ってもらいたいと願うばかりである。

 

島前神楽には美香さん以外にも有望な若手がいて、小桜錬くん、類くんの兄弟は格別だ。錬くんを初めて見たのが4歳の時ですでに間違うことなく複雑お囃子の太鼓を叩いていた。それが今高校二年生である。この「先祓い」も舞は錬くんで声変わりもして言い立ても見事なものである。本当に神楽が好きで島外の高校へ行かず、神楽のために島に残っている。お母さんは「一度は外に出して視野を広めてほしい」と言っているがそのお母さんもまた神楽が大好きで兄弟が神楽をしていることが嬉しくてたまらないようだ。

 

 

日本中で神楽は後継者難の悩みを抱え、隠岐も例外ではないが、美香さん、錬くん、類くんの存在は本当に頼もしいもので、これからもぼくの隠岐通いはつづくのだろうと思う。

「焼火神社」撮影   伊藤智恵
「焼火神社」撮影 伊藤智恵

 

 

 

三上 敏視/みかみ としみ

音楽家、神楽・伝承音楽研究家。1953年 愛知県半田市生まれ、武蔵野育ち。93年に別冊宝島EX「アイヌの本」を企画編集。95年より奉納即興演奏グループである細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニットに参加。

日 本のルーツミュージックとネイティブカルチャーを探していて里神楽に出会い、その多彩さと深さに衝撃を受け、これを広く知ってもらいたいと01年9月に別 冊太陽『お神楽』としてまとめる。その後も辺境の神楽を中心にフィールドワークを続け、09年10月に単行本『神楽と出会う本』(アルテスパブリッシン グ)を出版、初の神楽ガイドブックとして各方面から注目を集める。神楽の国内外公演のコーディネイトも多い。映像を使って神楽を紹介する「神楽ビデオ ジョッキー」の活動も全国各地で行っている。現在は神楽太鼓の繊細で呪術的な響きを大切にしたモダンルーツ音楽を中心に多様な音楽を制作、ライブ活動も奉 納演奏からソロ、ユニット活動まで多岐にわたる。また気功音楽家として『気舞』『香功』などの作品もあり、気功・ヨガ愛好者にBGMとしてひろく使われて いる。多摩美術大学美術学部非常勤講師。