アースフリーグリーン革命あるいは生態智を求めて 20

沖縄と第2回「大重祭り」

鎌田東二

 

 

 

今、宮古島にいる。宮古島の神の島の離島「大神島」はわが沖縄体験の原点だ。1988年、わたしは初めて沖縄を訪れ、宮古島出身の友人のSさんに案内してもらって、一緒に宮古島の各所を廻った。そして共に「神の島」大神島に渡った。 

大神島では一人禊をしたが、その夜、Sさんのおじさんの家でみんなで泡盛を楽しく飲んでいた時、突然、Sさんが暴れ出した。なぜか、彼はおじさんに殴りかかった。それを止めようとして二人の間に入った時、Sさんの振り上げた右腕がわたしの顔面にもろ当たり、かけていた黒メガネが吹っ飛び、実に華々しく鼻血が噴き飛んだ。当時住んでいた神奈川県川崎市に戻って地元の病院で鼻を診察してもらったら、鼻梁陥没骨折していた。

その「事件」が、わが沖縄初体験であった。

 

以来、沖縄の痛みはわが「鼻」の端(はな)で感じ続けている。そしてその痛みが消えることはないが、その痛みをほぐすことは難しく、今なお、政治的にも文化的にも人間関係的にもこじれにこじれてしまう。そんな中で、どうやって、協働で未来を創ることができるか。それが問われている。わたしはいつも未来に向かう「楽しい世直し」をやっていきたい。それを第一に考える。

 

宮古島に来る前の721日・22日・23日、沖縄県那覇市と南城市久高島の2ヶ所で第2回目の「大重祭り」が行なわれたので参加した。『久高オデッセイ』三部作の映画監督大重潤一郎(19462015)は、2015722日に他界した。だから今年2017年の命日の722日は、仏教で言えば3回忌に当たるのだ。

 

昨年に引き続き、主催してくれたのは沖縄映像文化研究所で代表者は『久高オデッセイ第三部 風章』の助監督の比嘉真人さん。その比嘉真人さんが全体と大重映画上映のことを担当し、ライブパフォーマンスをSUGEEさんこと杉崎任克さんが担当し、総務事務や会計を関真理子さんが担当してくれた。次の世代の人たちが大重さんの遺志を大事に思って継承してくれることに心から感謝と敬意を表したい。

 

このところ、中国峨眉山行きや、帰国後すぐに奈良県吉野郡天川村の天河大辨財天社の例大祭詣でなどが重なり、体調もよくなかったが、721日の朝8時過ぎに家を出て神戸空港へ向かい、一路神戸からスカイマークで那覇へ飛んだ。新幹線で東京に行くよりも安い1万円ちょっとの代金はありがたい。しかも神戸空港は瀬戸内海の海と六甲の山が向かい合っていて、大重潤一郎さんと一緒に、1998年に「神戸からの祈り」を行なったところなので、ここを通るたびに大重さんとのことを思い出すのだ。フライト直後、神戸の街や、淡路島や、沖縄の島々が飛行機の中からよく見えた。食い入るようにそれを見つめた。

 

沖縄本島の上空からの写真
沖縄本島の上空からの写真
沖縄の島々
沖縄の島々
沖縄の島々
沖縄の島々
沖縄の島々
沖縄の島々

飛行場についてすぐにソーキソバを食べて腹ごしらえをしてから、モノレールで県庁前で降りて、会場のゲストハウス柏屋の位置がよく分からないので、そこからタクシーで会場の柏屋に行く。タクシーの運転手さんも初めてだとかで、2人で探しながらようやく行き着く。

 

15時過ぎに到着し、15時半から主催者の比嘉真人さんの挨拶があり、故大重潤一郎監督の映画『風の島』(1996年製作)と『ビックマウンテンへの道』(2001年)をまずは参加者みんなで鑑賞する。この2つの映画も懐かしくも思い出深いものがある。

主催者の沖縄映像文化研究所代表の比嘉真人さんの開会挨拶
主催者の沖縄映像文化研究所代表の比嘉真人さんの開会挨拶
ドキュメンタリー『風の島』の一部
ドキュメンタリー『風の島』の一部
ドキュメンタリー『ビックマウンテンへの道』の一部
ドキュメンタリー『ビックマウンテンへの道』の一部

2本の映画上映後、40分ほどのトークを、建築家の真喜志好一さん、画家の坪谷令子さん、俳優・ダンサーのJUN AMANTOさんと行なう。また途中から、鹿児島からわざわざ車イスで中村弘美さんが参加してくれたので、挨拶してもらった。中村さんは、1970年に大重さんが桜島の東部の黒神地区で処女作「黒神」を撮影していた時、隣に住んでその様子を見ていたことのある貴重な生き証人である。それぞれから、各人各様の大重潤一郎監督との出会い、大重さんの人となり、作品、思いなどについて訊く。大重さんの像が断片的にだが浮かび上がり、参加者のイメージを膨らましていく。

 

21日のスケジュールは、以下の通りであった。

 

721日 那覇柏屋

15:00〜大重映画上映

『風の島』『ビックマウンテンへの道』

ライブ

18:0018:10  オープニングSUGEE&JUN AMANTO

18:2018:40  アマムYUKI

18:5019:20  趙博

19:3019:45  SUGEE(ゲスト真喜志亮)

19:4520:05  小嶋さちほ

20:1520:30  JUN AMANTO

20:4021:00  鎌田東二

 

SUGEEさんとAMANTOさんのオープニングジョイント
SUGEEさんとAMANTOさんのオープニングジョイント
アマムYUKIさんの歌とサンシンと舞
アマムYUKIさんの歌とサンシンと舞
趙博さんの歌
趙博さんの歌
SUGEEさんと小嶋さちほさんと舞
SUGEEさんと小嶋さちほさんと舞
JUN AMANTOさんのダンス
JUN AMANTOさんのダンス

それぞれに見ごたえ、聴きごたえのあるパフォーマンスだった。一言でまとめることはできないが、みな味が違う。多様で、個性的。インパクトがある。自由だ。いのちだ。そこには文化も政治も、涙も笑いも、喜びも悲しみもある。わたしは、法螺貝と石笛奉奏の他、「虹鬼伝説」「なんまいだー節」「銀河鉄道の夜」「この光を導くものは」の4曲を歌った。喉よ張り裂けよと思いつつ。前夜祭のイベント終了後、大事な石笛を置き忘れて、柏屋から宿泊先のマルキまで歩いて2往復する羽目になったが、夜の国際通りを歩くのは久しぶりで、暑い暑い沖縄の夜の熱を感じた一夜だった。

 

22日の朝7時半に柏屋の前に集合して車に分乗し、祈りを捧げる拝所ヤハラヅカサに出発した。そして8時半から、小嶋さちほさんたちと共に大重潤一郎監督の命日を久高島を眺望できるヤハラヅカサで祈った。さちほさんたちが花輪を捧げてくれ、それを祭壇のようにストーンサークルで囲い、ヤハラヅカサと久高島に向かって祈る。そしてそれぞれに祈りを込める。一人一人の祈りと思いを。

聖地ヤハラヅカサ
聖地ヤハラヅカサ
ヤハラヅカサで祈りを捧げる
ヤハラヅカサで祈りを捧げる
左手前方に久高島を望みながら祈りを捧げる
左手前方に久高島を望みながら祈りを捧げる
斎場御岳のある安座間港
斎場御岳のある安座間港

その後、10時にフェリーで安座間港から久高島に向かう。港の拝所と久高殿で祈りを捧げて、会場と宿所になっている久高島宿泊交流センターへ着いたのは1050分頃。

 

11時から、

『久高オデッセイ第一部 結章』(2006年製作)

『久高オデッセイ第二部 生章』(2009年製作)

『原郷ニライカナイへ~比嘉康夫の魂』(2000年製作)

『久高オデッセイ第三部 風章』(2015年製作)

をぶっ続けで見て、40分ほど参加者全員の感想を聞いた。それぞれに興味深い感想やコメントが続いた。この事後のシェアーの時間も大変貴重だ。

久高島宿泊交流センターの舞台に飾られた大重祭りの写真とお供え
久高島宿泊交流センターの舞台に飾られた大重祭りの写真とお供え
会場の久高島宿泊交流センター(開始前)
会場の久高島宿泊交流センター(開始前)
開始直後
開始直後
『久高オデッセイ第一部』
『久高オデッセイ第一部』

722日のライブは以下の通りだった。

 

722日 久高島

19:0019:10 オープニングMC 神田亜紀

19:1019:30  アマムYUKI

19:4020:00  趙博

20:1020:25  SUGEE

20:2520:45  小嶋さちほ

20:5021:10  鎌田東二

21:1021:20 全員によるセッション

 

久高島ではすべての演奏はアンプラグドで完全アコースティックで行われた。が、隣ではバーべキュ―大会で盛り上がっている。それも、祭りの醍醐味か。

 

アマムYUKIさん
アマムYUKIさん
YUKIさんに合わせてカチャーシを踊る
YUKIさんに合わせてカチャーシを踊る
趙博さん
趙博さん
小嶋さちほさん
小嶋さちほさん
ドントの「波」を合奏
ドントの「波」を合奏

命日の夜が、各者の熱演で盛り上がる。わたしは「神ながらたまちはへませ」「神」「君の名を呼べば」「フンドシ族ロック」の4曲を歌った。そして最後に、大重潤一郎監督に捧げる鎮魂歌「見上げる空に」をみんなで合奏してもらう。

 

神道ソング321曲目「見上げる空に~大重潤一郎に捧ぐ」

 

見上げる空に 星が一つ

あれはあなたの 示すいのち

輝き渡り 愛を伝えて

この世の限りと 生きて往った

 

わたしはあなたの 星を受けた

だからいつも 迷わず行ける

さみしくないよ 夢といるから

この世を限りと 咲いて往った

 

(間奏)

 

青い海は すべてを包む

青い空は みんなを抱く

輝き渡る 愛といのち

この世の限りと 満ちて往った

この世を限りと 生きて往った

この世を限りと 咲いて 散った

 

映画上映会の時、地元の西銘さんといろいろ話すことができた。また、鹿児島純心大学教授の尾曲さんや桃山学院大学教授の松尾さんともいろいろと話をすることができてよかった。「祭り」の共同性を強く感じる夜。「大重祭り」と命名できたよかったとしみじみ思う。

 

NPO法人東京自由大学では、故山尾三省さんを顕彰して「三省祭り」を行なってきたが、その延長線上に「大重祭り」がある。山尾三省さんは大重潤一郎監督作品「ビックマウンテンへの道」のナレーションを務めてくれている。この2人の「生態智」思想家の出逢いとコラボレートが「ビックマウンテンへの道」に結実している。その縁結びに関わることができたのも何かの縁である。

 

わたしはすべて「縁」で動いてきた。自分の意志というものはない。「縁」しかなかった。大重潤一郎とも「縁」しかなかった。「縁」がここまでわたしたちを導いてきた。そしてその「縁」を「大重祭り」としてもっと大きなものに解き放とうとしている。これからどうなるか、さらに「縁結び」していきたい。現代の「縁の行者」として。

 

2017724日 鎌田東二拝

 

 

 

鎌田 東二/かまた とうじ

1951 年徳島県阿南市生まれ。國學院大學文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科神道学専攻博士課程単位取得退学。岡山大学大学院医歯学総合研究科社会環境生命科 学専攻単位取得退学。武蔵丘短期大学助教授、京都造形芸術大学教授を経て武蔵丘短期大学助教授、京都造形芸術大学教授、京都大学こころの未来研究センター教授を経て、201641日より上智大学グリーフケア研究所特任教授、放送大学客員教授、京都大学名誉教授、NPO法人東京自由大学名誉理事長。文学博士。宗教哲学・民俗学・日本思想史・比較文明学などを専攻。神道ソングライター。神仏習合フリーランス神主。石笛・横笛・法螺貝奏者。著書に『神界のフィールドワーク』(ちくま学芸文庫)『翁童論』(新曜社)4部作、『宗教と霊性』『神と仏の出逢う国』『古事記ワンダーランド』(角川選書)『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』(岩波現代文庫)『超訳古事記』(ミシマ社)『神と仏の精神史』『現代神道論霊性と生態智の探究』(春秋社)『「呪い」を解く』(文春文庫)『世直しの思想』(春秋社)『世阿弥』(青土社)『日本人は死んだらどこへ行くのか』(PHP新書)など。鎌田東二オフィシャルサイト