建築家は呪われた職業になるのか

高嶋 敏展

 

 

 

東京オリンピックのメインスタジアムの設計コンペのすったもんだはご存知と思う。2012年に総工費約1300億円の予算で国際コンペが行なわれ、ザハ・ハディド氏のプランが採用された。しかし2015年、設計変更した縮小案で2,520億円(最終試算額)という当初予算を遥かにオーバーした実施計画が発表され、さんざんもめた挙げ句に安倍晋三首相の鶴の一声でコンペをやり直し、今に至る。不可解なコンペの経緯や撤回、責任のたらい回し、日本独特の発注システムなど様々な話題が伝えられてきたが、とにかく一般人は建築界に強く不信感を持った。この建築家や建築の専門家への不信感、感覚のずれを身近に感じた事がある。

出雲大社の境内に1963年に建てられた庁の舎ちょうのやという建物があるのだが、当初は宝物館、のちに社務所として使用されている。庁の舎は前の社務所は火災で焼失したことからコンクリートで作られた。建築家・菊竹清訓氏の初期の傑作、日本建築学会賞も取った「名作」として建築の世界では有名な建物だ。何が凄いのかと聞かれると建築の専門家は「建物の構造やコンクリートでは非常に難しい細部のディテール」云々という。これは一般人からは理解しにくい専門領域の話しだ。むしろ、ごちゃごちゃした外観や出雲大社にコンクリートというだけで露骨に嫌う一般人も多い。

しかし、一番問題なのは、この建物が宝物殿として建てられたにも関わらず、完成当初から今日まで慢性的な雨漏りを起こしていることだ。出雲大社に伝わる宝物や文書は歴史的に代え難い重要なもの。宝物殿で雨漏りをするなど言語道断。文化や歴史に敬意や尊敬があれば何が何でも、それらを絶対に守るという発想になるはずだ。新しい工法やデザインを試すより先に設計者がすべき事があると思う。しかし、さらに凄い事に、菊竹清訓氏が1998年に設計した島根県立美術館の雨漏り、それも企画展示室の雨漏りの現場に僕は偶然いあわせた。

さすがに呆れる。

そもそも、美術館や博物館は建物が完成してもすぐには収蔵品を入れない。湿気を逃がすために何年かコンクリートを乾かすという段取りを踏む。企画展示室は借り物の作品を展示している場合が多いから、雨水で借りた作品が傷んだら誰が何と言って責任を取るのだろう。菊竹清訓氏はキャリアを積んでも出雲大社、庁の舎の失敗を活かせなかったわけだが、建築界では今日、巨匠として扱われる。
さて、考えてほしい。

雨漏りはなぜか建築家センセイが設計を行なった建物でよく起こる。僕は美術の専門家として建築の専門家に切望する。建築の専門家は文化財や美術品の展示施設で雨漏りをさせるような建築家を非難し、排除してもらいたい。建築家の尊厳、誇りあるクリエーターとしての地位を守るべきだ。このままでは建築家は一般からの理解を得られず、呪われた職業となるだろう。名作だ、傑作だと建物を褒めるのは自由だが、欠陥建築を褒めた弊害について建築にたずさわる人はもっと謙虚に、真摯に考えてもらいたい。

 

庁の舎(ちょうのや)

http://www.nikkenren.com/publication/ACe/ce/ace1106/bcs.html

 

現在の庁の舎 雨漏りの為にシートがかけられている。右は出雲大社の仮拝殿
現在の庁の舎 雨漏りの為にシートがかけられている。右は出雲大社の仮拝殿
南東側
南東側
南西側
南西側

 

 

 

高嶋 敏展/たかしま としのぶ

写真家、アートプランナー。1972年出雲市生まれ。1996年大阪芸術大学芸術計画学科卒業。大学在学中に阪神淡路大震災が発生。芦屋市ボランティア委員会に所属(写真記録部長)被災地の記録作業や被災者自身が撮影記録を行うプロジェクトを 企画。1995年~「被災者が観た阪神淡路大震災写真展」(全国30か所巡回)、芦屋市立美術博物館ほか主催の「震災から10年」、横浜トリエンナーレ 2005(参加)、2010年「阪神淡路大震災15周年特別企画展」、2012年「阪神大震災回顧展」など多くのプロジェクトに発展する。