ポケットに燕石を

第2章 引き継がれる教え

辻 信行

 

 

 

京都の木嶋神社に立つ三柱鳥居は、対馬の和多都美神社のそれより一回り大きい。鳥居の真ん中の積石は、ここが神座であると同時に宇宙の中心であることを示している。

 

木嶋神社の三柱鳥居
木嶋神社の三柱鳥居

深閑としたあたり一帯は元糺の森と呼ばれ、楠の巨樹をはじめとして、広葉樹林の老木古木が鎮座している。この森に身を置いて空を見上げると、幾千の木々の葉が風に揺れ、くらくらと眩暈がしてくる。まるで宇宙空間に放り出されたみたいだ。

 

木嶋神社の境内は養蚕を始めた秦氏に由来する土地であり、神社の社ではいまも蚕神を祀っている。人間の技術が、信仰を通して自然や宇宙の摂理と結びついていた時代。悠久の時を越えてその息遣いを伝える森の存在こそ、「生態智」と呼ぶに相応しいのではないか。

 

元糺の森
元糺の森

普段以上に強くそう感じるのは、前日に京都大学で開催された鎌田東二先生の退職記念講演会・シンポジウムに参加したからだった。この前代未聞の最終講義について報告する前に、「最終講義マニア」としての記憶を綴りたい。

 

ぼくが生まれて初めて大学に行ったのは、「最終講義」を聞くためだった。7歳の時、都内某女子大学で開催された、母の学生時代の指導教授・A先生の最終講義に参加したのだった。食品化学を専門にしていたA先生は、以下のような話をした。

 

「酸味」という味覚は学習によって後天的に楽しめるようになるものだ、とA先生は仮説を立てた。それを立証するため、まだミルクしか飲んだことのない生後2か月のA先生の初孫に、レモン汁を舐めさせた。すると、凄まじい形相をして泣き始めた。このことから、A先生の「酸味」に対する仮説は立証されたのだった。

 

またA先生は、「見た目で気付かなければ、子供は嫌いな食べ物も平気で食べる」という仮説を立証するため、次のような実験を行った。ピーマン嫌いの子供を10人集め、二つのグループに分ける。一方には普通のハンバーグを、もう一方には細かく刻んだピーマンの入ったハンバーグを食べさせる。するとどちらのグループも、全員残さずハンバーグを食べたという。A先生は言う。「嫌いな食べ物も分からないようにして、どんどん食わせろ!」

 

ここまででも、7歳のぼくには充分刺激的だったが、最後にA先生が言い放った言葉が決定的だった。「これまでは、「赤信号みんなでわたれば怖くない」でも通用しました。しかしこれからの時代、それではダメです。「赤信号一人でわたって胸を張れ!」と皆さんに申し上げ、私の最終講義を終わりにしたいと思います」

 

さっそくぼくは、その日の帰り道にA先生の教えを実践した。近所の横断歩道で、車が接近しているにも関わらず、赤信号を堂々と胸を張って一人で渡ったのだ。すぐに母から叱られたのは言うまでもない。「そういうことじゃない!」と母は言う。「じゃあどういうことなの?」と訊いてみたが、「それが分かるようになってから実践しなさい!」と言う。これにはとてもしょぼくれた。

 

A先生の教えの意味と、その難しさが分かるようになった大学入学後、ぼくは色々な最終講義に参加するのが好きになった。そのほとんどは、縁もゆかりもない教授の最終講義だ。大学教員生活の最後に、目の前の教え子たちにメッセージを託す様子は、赤の他人が見ていても感動的である。はじめまして、さようなら。心の中でそうつぶやきながら、ぼくは最終講義に潜入し続けた。

 

ある法学者は、自分が生まれてから法律学に出会い、研究者として大成していった半生を語った。ある文学者は、いままで訪ねた文豪ゆかりの地をスライドに映してゆき、その旅先での発見を語った。またある文化人類学者は、自分がフィールドワーク先で生活を共にした先住民の智慧について紹介し、今日の社会問題への生かし方を語った。

 

他にもたくさんの最終講義に参加してきたが、大きく分けて三つの型があることに気付いた。①半生語り型 ②研究語り型 ③普段語り型 の三つである。①は自らの半生を語るタイプ、②は自らの研究の軌跡を語るタイプ、③は普段の講義の一環として、普通のことを普通に語るタイプである。しかしながら、鎌田東二先生の最終講義は、そのどれとも言えない、異例尽くしのぶっ飛んだものだった。

 

2016221日(土)。京都大学芝蘭会館稲盛ホールで行われた最終講義のタイトルは、「日本文化における身心変容のワザ」。満員の参加者が見守るなか始まった。

 

冒頭、鎌田先生は法螺貝を奏上。つづいてアカペラで、神道ソング「この光を導くものは」を歌った。歌詞は以下の通りである。

 

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この光を導くものは

この光とともにある

いつの日か輝き渡る

いつか いつか いつの日か

  

あなたに会ってわたしは知った

このいのちは旅人と

遠い星から伝えきた

歌を 歌を この歌を

  

導く者はいないこの今

助ける者もいないこの時

いのちの声に耳を傾け

生きて 生きて 生きていけ

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「この光を導くものは」を独唱
「この光を導くものは」を独唱

そして演台に行って開口一番、次のように語った。

「日本文学、日本宗教の核心にあるのは「うた」です。今日はそのような日本文化の本質について語りたいと思います」

 

次に冒頭の歌について紹介し、これはJR渋谷駅の階段で浮かんできたのだと言う。20秒で出来上がったが、歌うと2分かかる。この歌詞の意味を、当時はそれほど深く理解していなかったが、いまスサノヲを入れて考えると、意味がよく分かるのだと言う。

 

そして鎌田先生は、自らの半生を「とらたぬ人生」であると振り返る。自分で計画してやったことは全てうまくいかなかった。しかし神ながらで、自分のはからいを捨てピンポン玉のように生きることでうまくいったという。

 

いまでも東山修験道の先達として、比叡山の道なき道を登り、バク転をする鎌田先生。生まれた時にへその緒を首に3巻半巻いて出てきたので、おそらく母親の胎内にいるときかバク転していたのだろうと語る。産婆さんが首のへその緒をクルクルッと外し、パンパンと頬っぺたを叩き、鎌田先生は「オニャッ」と猫のような産声を上げた。

 

小学生になって『古事記』と出会い、スサノヲと出会ったことが、人生最大のイベントであった。『古事記』はスピリチュアルケアの書として読むことができる。登場するスサノヲが、その母イザナミと兄カグツチの鎮魂のために歌い続けるからだ。

 

荒ぶる神として知られるスサノヲは、クシナダヒメと結婚し、家を建てた時に次のような歌を詠んだ。

「八雲立つ 出雲八雲垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」

 

この歌は24文字の中に、家をあらわす「八重垣」という言葉が3回も出てくる。八重垣3回で9文字だから、全体の1/3以上が「八重垣」と言っていることになる。八重垣の連呼。このヤエガキ・シュプレヒコールの中に、愛する人を得て家を建てた喜び、母と兄への鎮魂の思いが込められていると言う。

 

鎌田先生はこのスサノヲの歌を踏まえた上で、『古今和歌集』が日本文学の真髄であると語る。そして「紀貫之、凄すぎる!」と絶賛する。古今和歌集の「仮名序」一つとってみても、作者の紀貫之がスーパースターでトリックスターであることが分かると言う。なぜなら「仮名序」こそ、最高の歌の哲学であるからだ。

 

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やまとうたは、人の心を種として、

万(よろず)の言の葉とぞなれりける

世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、

心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出(いだ)せるなり

花に鳴く鶯(うぐいす)、水に住む蛙の声を聞けば、

生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける

力をも入れずして天地(あめつち)を動かし、

目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、

男女のなかをもやはらげ、

猛き武士(もののふ)の心をも慰むるは、歌なり

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鎌田先生は、京都に住まなければ分からないことがたくさんあったと振り返る。たとえば京都の気候はアイルランドと似て、変化がめまぐるしい。世阿弥の『風姿花伝』にみられる繊細な美意識は、そのような気候によって育まれたのだろうと考察する。

 

それに続けて、西行と張り合って自ら東行と名乗り、著書『歌と宗教』で歌合戦をした話、西行に憧れて放浪の旅に出た松尾芭蕉へのオマージュを語った。その上で、「短歌は心を入れる器。俳句は宇宙を入れる器」と述べ、さらには俳句をその字義から「人に非ず皆言う」ワザであり、世界の「界面」を「写す」写界主義であると言う。一方の短歌は、「心(情)」を写す写心主義であると言う。

 

短歌と俳句について語る
短歌と俳句について語る

鎌田先生は自らの肩書きで、宗教哲学と民俗学という二つの学問を併記してきた理由にも触れた。まず宗教哲学というのは、限定された対象を考察する宗教学と異なり、きわめて抽象的な思考で宗教の本質や構造、神仏や超越といった概念を考える鳥の目(鳥瞰的)の学問である。その一方、民俗学というのは、ローカルに根付いている伝承や祭りについて綿密なフィールドワークで迫ってゆく蟻の目の学問である。このマクロとミクロ、両極にある学問を専門にすることで、世界を捉えることができたのだという。

 

講演の最後で鎌田先生は、石牟礼道子の歌や、鶴見和子の歌(たとえば闘病明けに詠んだ<半世紀 死火山となりしを轟きて 煙くゆらす歌の火の山>)は、宮沢賢治の言う「透明な食べ物」であり、「魂の食べ物」であると言った。自分もその魂の食べ物を探し続けて来たし、これからもその探求は続いてゆくのだと結んだ。

 

講演を終えると、再びパフォーマンスの時間となった。スクリーンに「敬愛してやまない比叡山様」という文字と写真が映し出され、その比叡山様に向かって、石笛、横笛、法螺貝を奏上。

 

「敬愛してやまない比叡山様」に横笛を奏上
「敬愛してやまない比叡山様」に横笛を奏上


続いて深緑のサングラスをかけ神道ソングライターに変身すると、歌仲間の曽我部晃さんにバンジョーで伴奏してもらい、エレキギターで「銀河鉄道の夜」を熱唱。このときスクリーンには、宇宙から撮られた地球の衛星写真が映しだされていた。さすが民俗学(比叡山)と宗教哲学(宇宙)を専攻した教授である。それにしても、かつてこのような最終講義をした人がいただろうか?先に挙げた最終講義の三類型でいくと、鎌田先生は半生を語っていたので、①半生語り型 に該当する。と同時に研究の軌跡も語っていたので、②研究語り型 でもある。しかし、鎌田先生が自らの半生や研究の軌跡を語るのはいつものことだし、パフォーマンスも普段からする。よってこれは、③普段語り型 とみることも可能である。そう考えると、最終講義一つとっても、この緑のおじさんがどれだけ型破りであるかが分かる。あるいはこの最終講義は、④歌い語り型 という鎌田先生によって生み出された新しい型なのかもしれない。

「銀河鉄道の夜」を熱唱
「銀河鉄道の夜」を熱唱

休憩を挟んで第二部は、シンポジウム「日本文化とこころのワザ学」が行われ、三人のパネリストが登壇。一人目は島薗進先生(宗教学者/上智大学グリーフケア研究所所長)で「道の思想と日本宗教史」。二人目は河合俊雄先生(心理学者/京都大学こころの未来研究センター教授)で「心理療法とこころのワザ学」。三人目は奥井遼さん(日本学術振興会・海外特別研究員/パリ大学)で「心身変容とアート教育 -フランスサーカス学校の現場から」。それぞれ25分間ずつ発表した。

 

一人目の登壇者、島薗先生は発表の冒頭で、鎌田先生が「紀貫之、すごすぎる!」と言ったことを踏まえ、「鎌田東二、すごすぎる!」と発言。これに倣って二人目の河合先生は、「鎌田東二、やばい!」。三人目の奥井さんはフランス語で、「鎌田東二、オララー!」と叫んだ。オララー(Ouh la la)とは、フランス語で「何とも表現できない」という意味だそうだ。

 

その後のディスカッションに登壇したコメンテーターの広井良典先生(政治学者/千葉大学法経学部教授)は、「3人の先生方がそれぞれ5文字、3文字、フランス語1単語でコメントしたが、私は困っていない。なぜなら今日の服装は鎌田先生に敬意を表して、緑色だから」と述べ、会場を沸かせた。

 

討論のなかで鎌田先生は、学問には「道としての学問」「方法としての学問」「表現としての学問」があると発言。そして、歌でも演劇でも学問はできるはずで、ニーチェの詩やプラトンの対話が学問であったように、わたしは歌でも学問をしていると述べた。

 

そして島薗先生へは、「40年間の付き合いがあり、最も尊敬する宗教学者だ。どうしてこれほど上手く万遍なくバランスの取れた発言ができるのか?すべてをすくい上げて問題を見つける姿勢は、実に円熟・成熟している」とコメント。これに対して島薗先生は、「私はいつまで経ってもみんなに教えを求めている。最後に鶴見和子みたいに大爆発するかもしれない(笑)。そのあたりの頼りなさを鎌田先生が見守ってくれている」と応じた。

 

河合先生へは、「25年間の付き合いになるが、河合先生はずっと変わらずいつまでも子供のように遊んでいる。心理療法家としてとてもいいことだ」とコメント。河合先生は「日本人に大人の男はいないのではないか?鎌田先生の『翁童論』のことを思い出す」と応じた。

 

奥井さんへは、「大学院生から博士論文を書き上げるまで見守ってきたが、本当に成長した。ユーモアを持ちながら本質を提示し、応答する能力とその発表に感銘を受けた。根本的な問いになるが、奥井君は「臨床」という概念について、どう考えているのか?」と質問。奥井さんは、「鎌田先生にはいつも「奥井くんは成長したねぇ」と言われ、嫌気がさしている。もうそろそろ普通に研究者として扱って欲しい(笑)。フランスでもう1年精進したい」と会場の笑いを誘った。その上で、「臨床は実践知ではあるが、開かれてゆく知。より一般的な開かれた理論に向かうものだと考えている」と答えた。

 

シンポジウムの様子
シンポジウムの様子

第二部の終了に際して、鎌田先生はこれまでの謝辞を述べたうえで、「法螺貝を吹きながら京都大学を去ります」と発言。実際に歩きながら法螺貝を奏上し、退出していった。最後まで圧巻の最終講義であった。

 

その後、隣接する山内ホールで懇親会が開催された。「えんの行者」である鎌田先生と結ばれた大勢の人達が参加した。そのなかには、折口信夫の最後の弟子である岡野弘彦先生や京大総長の山極壽一先生、元総長の長尾真先生、陶芸家の近藤高弘さん、占星術師の鏡リュウジさん、放送作家のスティーヴン・ギルさんらの姿もあっ

 

鎌田先生は学問の世界に深く根を張りながら、まさに知のトリックスターとして、縦横無尽に各界を股にかけ、様々なご縁を取り結び、世直しを実践してきたのだった。

 

そのような鎌田先生が立ち上げたNPO法人東京自由大学を、4月から運営委員長として引き継いでいくと思うと気が引き締まる。とは言え固くなって委縮せずに、肩の力を抜いて愉快に跳躍していきたいと思っている。自由大を引き継ぐにあたって、ぼくは26日(土)に行われた「世直し講座最終回:総括・ダイアローグ」で、次のような話をした。最後に紹介させて頂きたい。

 

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TBSドラマ「わたしを離さないで」が放送中です。ご覧になっている方はいらっしゃいますか?ぼくは「冬のソナタ」以来、15年ぶりにテレビドラマをしっかり見ています。カズオ・イシグロの原作に魅かれるものがあったからです。物語は前半、社会から隔離された学校で、提供者を育てますね。提供者とは、臓器提供者のこと。臓器提供者を育てるための学校の話なのですね。そして物語は主人公の女性を取り巻く恋や憎悪といった人間ドラマが展開し、後半では大人になった主人公が、提供を終えて死にゆく友人たちを看取りながら、臓器提供から逃れる道を模索しようとします。

 

これは特殊な世界のことを描いていますが、実は人間社会の普遍性を示しているのではないかと思うのです。なぜなら私たちは、誰しも何かを提供しながら生きているからです。

 

あまり好きな言葉ではありませんが、それはたとえば、「時間」と「労働」です。細かく言えば、「話す」「書く」といった身近な行為も、提供に入るでしょう。東京自由大学もボランティアによって成り立っている団体ですから、ここでなされることも純粋な提供に入るはずです。

 

多くの場合、私たちはそれ相応の対価が払われなければ、提供したいと思わないでしょう。そしてできれば、自分の提供したいものを、提供したい相手に差し出したいと思うでしょう。

 

しかし私たちの身近なところに、その例外である人がいたのです。去年急逝した東京自由大学副運営委員長の岡野恵美子さんです。岡野さんほど無私の精神で、菩薩的で、人々に分け隔てなくすべてを提供した人は珍しいと思います。

 

それは、神田の東京自由大学で行われた催しで、最も多くの参加者が集ったのが、「岡野さんを偲ぶ会」だったことからも分かります。岡野さんの存在が、どれほど貴重なものだったか、私たちは実感を深めました。偲ぶ会では様々な人が歌やスピーチを行いましたが、そのなかで、詩人の長屋のり子さんの言葉が大変印象に残っています。長屋さんは岡野さんを偲んで、「これは奉教人の死だ」とおっしゃいました。

 

芥川龍之介の『奉教人の死』になぞらえたのですね。このときほど文学の力を感じたことはありません。文学・芸術・宗教、大きな括りで「文化」の持つ、死を乗り越える力というものの大きさを思い知りました。

 

東京自由大学はこれまで17年間の歩みのなかで、死を乗り越える文化、そしてその先で、死者とともにあろうとする世界観を探求してきました。そのようなグリーフケア的な文化の探求は、これからも続けて行きたいと思っています。

 

そしてもう一つ、「霊性」の探求も重要な柱です。いま手元に、1993年に刊行された『宗教・霊性・意識の未来』という本があります。鎌田東二、島薗進、吉福伸逸、松沢正博、島田裕巳、岡野守也の各氏が登壇したシンポジウムを元にまとめられた一冊です。鎌田先生はこの本のなかで既に、「道としての学問」「方法としての学問」「表現としての学問」を提示し、いまにつながる思想を明確に語っています。

 

その中でセラピストの吉福伸逸さんの発言に注目したいと思います。「「霊性」というのはおそらく「自由」という言葉に置き換えられることじゃないかという気がするんです」と吉福さんは言うのですね。

 

これに対して鎌田先生は、「自由というのは何ですか」と率直に訊きます。吉福さんは次のように答えます。

 

「「わがまま勝手に思うとおりに生きる」ということでしょうね(笑)。でも、「だれが」わがまま勝手に思うとおりに生きるかという問題が残ります。…そのときそのとき、自分が思うままに、気ままに、ただそのときのまま、やる、ということではない。自分自身と言うのは大きな疑いの対象でしょう?…いちばん最初に直観的に湧いてくる自分の衝動をつかまえて、その瞬間の気持ちをそのまま生きるということで、そのあとで何か考えのようなものが入ってきたときには、それ以降のものは切り捨てるということです」

 

つまり自由とは、最初に直観的に沸いた衝動のままに生きるということ、そしてそれが霊性ということなのですね。この文章を読んだとき、確かにそうだ、とぼくは直観的に思いました。だからこれはきっと、霊性の本質を突いているのでしょう(笑)。

 

このように、霊性を深々とまなざす精神性を大切にするということ、これも自由大学で引き継いでいきたいことなのです。

 

ではこれらの探求を、どのような組織として行っていくのか?そのヒントは「悲しみの共同体」であると思っています。

 

吉福さんは次のように語ります。

「特定のセラピストのあいだでは人間のなかにはある共同体があるという。その共同体のことをわれわれは<悲しみの共同体>と呼ぶわけですけど、いかなる人間といえども、いかに社会的に強い姿勢を取ったり、いかに社会的に理性的な知的な立場にある方だとしても、ある特定の条件下に置かれれば、いかんともしがたい悲しみに包まれてしまうような側面が人間のなかにはある。その悲しみというのは、百パーセントとはいわないまでも、ほぼだれにも共通するそうとう普遍的な部分であって、その部分に触れることによって、数多くの人が日常的に体験する傷、苦しみのようなものをある程度癒すことができる。おそらくそれがみなさんがおっしゃっている霊性あるいはスピリチュアリティと呼ばれるもののひとつの側面ではないか、というふうに思うんですね」

 

この<悲しみの共同体>という言葉は、現在の東京自由大学のパンフレットの中で、<感情の共同体>というより広義な言葉になって、しっかり息づいています。また、3.11直後に主催したシンポジウム「シャーマニズムの未来」で、鶴岡真弓先生が、私たちは「地球の遺族たち」なのだとおっしゃったその言葉とも、近いものだと思うのです。

 

そのような感情を共有するゆるやかな共同体として、東京自由大学はあり続けたいと思うのです。仏教で言えばサンガに近いけれど、しかしどんな一宗一派にも捉われない共同体として。そのためには、知性と感性の両輪が必要です。中庸でバランスを取り、いつも両者の境界に立ちながら、東京自由大学のセカンドステージを切り拓いていきたいと思っています。これからも皆様のご指導ご鞭撻、どうぞよろしくお願いいたします。


 
辻 信行/つじ のぶゆき
東京自由大学理事。横浜生まれ。汽笛の聞こえる里山の近くで育つ。現在、中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程在学中。法政大学沖縄文化研究所奨励研究員。宗教学・民俗学をふまえ、離島でフィールドワークを重ねつつ、様々な「境界」を研究している。