美大生、ベンガルの村で嫁入り修行!

 

 

 

 

第3章

 

1. スカイブルーの列車

 

私たち日本人3人とサンタル族4人は、2台のタクシーに分かれて、コルカタ市内からハウラー駅へと向かった。タクシーは相変わらず人々を蹴散らかし、猛スピードでぶっ飛ばしている。隣ではラボンがぼんやりと外を眺めていた。田舎暮らしの彼の目に、この大都会の雑踏はどう映っているのだろう。

しばらくして、我々を乗せたタクシーは全長705mの大きな橋、ハウラー橋(ラビンドラ・セトゥ)を超え、インド国鉄ハウラー駅に到着。レンガ作りの巨大な駅で、売店も沢山ある。ちょっと東京駅を彷彿とさせるレトロな趣だ。私のインドのイメージとは少し違う、割ときれいな雰囲気の駅だった。ちなみに、ソムナット曰く、一人5ルピーでハウラー駅の床で寝られるチケットが販売されているとのこと。どなたか勇気のある節約バックパッカーが挑戦されたなら、ぜひ感想をお聞かせくださいな。

さて、電車は(意外にも!)ほとんど時刻表通りに出発した。案の定、予約していた席にはオヤジ達が何食わぬ顔でどっかり腰をおろしていたので、グイグイッと押してどいていただく。そしてスカイブルーの列車は、どさくさに紛れて乗り込んで来てしまった物乞いや物売りもろとも、どっこいしょと発車した。

あぁ、私はきっと一生この景色を忘れたりはしないだろう。ちょうど夕暮れ時だっ車窓から見える広い田園風景や、街を離れるにつれて現れてくるいくつもの集落。

夕焼け色に染められた家々からは、晩御飯の支度だろうか、煙が立ち昇っていた。芸術と学問の女神、ソロソティーがほほえむ。手を振れば、みんな振り返してくれる。

ほてった頬をひゅーっと風がなでてゆくのが何とも心地よい。胸がキュンと切なくなるほど美しい世界だった。

一方、車内は賑やかだ。マイク片手にこぶしの効いた歌をデュエットしている男女がいる。なかなかの美声。インドの旅情を絶妙に醸し出してくれていた。

「チャはいらんかねー、チャはいらんかねー」

「あっ、一杯下さい!」

なんて買ってみるのも楽しい。隣に座っているのは、途中の駅から乗って来た家族連れ。その家の2才くらいの女の子は、長旅に飽きたのか、私の服のはしっこをつまんだりいじくったりしていた。お母さんはそのたびに「ごめんなさいねー」みたいな顔で手をひっこめさせるんだけど、またすぐモジモジやり始める姿があまりにも可愛サンタル族のみんなはと言うと、ちょっとした遠足気分でルンルンしていた。特にソムナットは上機嫌で、車内販売のスナックを食べたり、私の語学教師になってくれたりしている。しっかり者でムードメーカー的な彼の性格が見えてきた。

そうこうしているうちに日が暮れた。もう外はまっくら闇でなんにも見えない。吹き込む風も肌寒く感じられるようになった頃、やっと私たちの降りる駅に到着した。

降りたのは私たちだけ。いきなり、暗くて静まり返った場所へ放り出された。ひとっこ一人見当たらない。

しばしの沈黙。そろそろ不安になってきた時、向こうから人影が歩いて来るのが見えた。じーっと目をこらすと‥ あっ!スコールじゃんっ! マイノーの旦那さんで、私も一緒に日本で制作したあのスコールだった!日本にいた時は素っ気なかったスコールだけど、「元気だったかアヤ!まさかここへ来るなんて思ってもいなかったよ!でも、いらっしゃい!」と笑顔で迎えいれてくれた。私も「うわーい!!スコール!元気だよ!私もここまで来ちゃったのちょっと信じられない!」なんて浮かれていた。

その後リキシャ(人力車)をつかまえて、私とリコはシャンパティという地区のゲス

トハウスへ泊まることにした。村入りする前にまず、シャンティニケタンの街を知っておく必要があったからだ。一泊300ルピー。ふむふむ、コールドシャワーだけど、白を基調とした清潔な部屋でいい感じ。サンタル族のみんなとカオリさんは真っ暗闇の中、村へと帰って行った。

大好きな友だちの住む村までもう一歩。明日もいい日になりますように。天井にひっついている巨大なテケテケ(トッケイヤモリ)を眺めながら眠りについた。

 

 

 

2.シャンティニケタン街歩き

 

翌朝、ゲストハウスを出ると、昨晩見えなかったものが見えてきた。街にはメインストリートが一本。透明な朝の光が、巻き上がる砂埃に反射してキラキラと輝いている。鳥のさえずり。通りすがりの人々の視線が痛くて、思わず目をそらす。

まず始めにやるべき事。ヤギをかき分け、かき分け、レンタサイクル屋に行き、自転車を借りること。それからシャンティニケタンで初の朝ご飯にありつくこと。お腹はペコペコだ!このオンボロチャリこそが、私がこの土地で暮らしている間、無くてはならない大切な足となる。

ペダルをギシギシと鳴らし、しばらく進むと、小さな道端食堂を発見。ルチとググニ、チャのモーニングセットを注文した。 ルチとは、ナンをもっと薄っぺらく丸くしたようなものの事だ。ググニは豆の煮込みカレー。どちらも沙羅双樹の葉っぱを縫い合わせて出来たお皿に乗っている。チャは勿論素焼きのヘタレなコップに。ルチとググニはおかわり自由!油っこくなく、ほどよくスパイシーなほっとする庶民の味だ。

さて、腹ごしらえも済んだところで街へくり出すとしよう。地元の人々は猛スピードでチャリやバイクをブッ飛ばしている。車だって大して広くもない道をガンガン突っ込んで来るから、危なっかしいことこの上ない。

ここでシャンティニケタンに関してちょいとインフォメーションを。元々荒野だったこの土地を変えたのは、インドを代表する思想家・詩人のラビンドゥナート・タゴールだ。インド国歌もこの人作。彼は1913年にノーベル文学賞も受賞している。

大通り沿いにはオバケみたいに巨大ガジュマルが一本生えていて、人々からはタゴールの木と呼ばれていた。映画アバターの魂の木そっくり!昔タゴールのお父さんがこの木の下で瞑想し、悟りを開いたとされる神聖な木。その後お父さんは夢の教えに従い、地方のマハラジャと交渉して1ルピーでこの土地を購入。そして息子のラビンドゥナートがタゴール大学を建立し、美しい学園都市に生まれ変わった。と、いうわけ。ちなみにシャンティって平和とか楽園とかいう意味なんだって。

駅に近づくにつれて人がドンドン増え、車やバイクも通行人を殺すんじゃないかという勢いで突っ込んでくる。そんな通り沿いには、魅力的な出店の数々が軒を連ねていた。八百屋、魚屋、くだもの屋、布屋、ビーズ屋、スナック屋、ふとん屋、電気屋、甘味処‥この街で何でもそろいそうだ。

ワクワクした街歩きは午前中で一旦おしまい。午後からはいよいよ村へ行くんだ!と言っても荷物を分けて運んだり、受け入れ先の準備もあるので挨拶のみ。今晩はまだシャンパティに泊まることになった。

 

 

 

3. ジョハール(こんにちは)シアラ村!

 

「お〜い!迎えにきたよ〜!」と、カオリさんの声。バイクの後ろにカオリさんが乗っている。運転しているのはサンタル族のソーメン君。素麺??いえいえ、こっちではポピュラーな男性の名前らしいよ。サンタル族には誕生日を祝う習慣がなく、正確な年齢は分からないけれど、ソーメンは見た感じ大体私と同じくらいの歳だろう。お互いに興味津々でチラチラ様子をうかがっていた。今後私達が良き友になる事を、この時はまだ知らない。彫りの深い立派な顔つき。サンタル族独特の澄んだ目を持ったイケメンだった。  

私たちの自転車に合わせてゆっくり走ってくれるソーメンを追いかけて、道なき道をズンドコズンドコ。牛やヤギを越えてズンドコズンドコ。体はひっきりなしにバウンディングし、おしりへのダメージは計り知れない。

そして、ついに‥ついに!! 来てしまったのだ!! サンタルの故郷シアラ村に大好きなあのママの家が、土色をした小さな集落の一角にあった。

「ババレ〜(Oh my god!!)アヤ!! ほんとうに来たのね〜!!」

相変わらずムッチムチのママにぎゅーっとハグされる。温かなスパイスの香りにつつまれた。明日からママの旦那さんののコマルさんや、次男ゴザルとそのお嫁さんガシュリ。ゴザルとガシュリの子(つまりママの孫)のショコムニと暮らすのだ。前屈運動のようなサンタルの正式なお辞儀で、宜しくお願いしますとご挨拶。

方々に挨拶まわりをしているうちに、日が傾いてきた。「そろそろ帰るね〜!ばいば〜い!また明日〜!」とみんなに手を振りながら、ペダルをこぎ出すのんきな私。そう、この時私はまだこの土地の時間の流れ方を知らなかったのだ。それに加え、東京生まれ東京育ちの私は、本当の暗闇の力をよく分かっていなかった。夕方、村から町に帰ろうとせっせとチャリを走らせる。気付くと見覚えの無い場所に来てしまっていた。え??ここどこ!?後ろを振返ってもドカーンと田んぼが広がっているばかり。だーれもいない。完全に、迷子。行きは道案内について行くのに必死で、道を確認しきれていなかった。ヤバイ…。あれよあれよと言う間に日は暮れてゆく。“千と千尋の神隠し”で千尋が初めてハクと会った時みたいに。

一面の田んぼ。沈みゆく太陽はこの世のものとは思えない程美しくて、黄金の桃源郷を照らしていた。あまりの美しさからか、ピンチな状況からか、なんだか泣けてきた。どっちが街だか分からない。かと言って村に戻る道も分からない。そのうち野犬が吠えだし、昼間ダラダラしていた彼らの時間が訪れた事を告げていた。一番星が輝き、続いてホタルがチラホラ姿を見せはじめた。一晩の戦いを覚悟し始めたその時、やっと人影を発見!チャリにまたがった男性2人組だった。覚えたてのベンガル語と身振り手振りで必死にシャンパティへの道を尋ねる。言葉は返ってこなかったけど、目で「そうか!じゃオレについて来いや!」と言われた気がした。もうここは彼らを信じるしかないのだ。

神様!!どうかちゃんとゲストハウスに戻れますように!!街灯も自転車のヘッドライトも無く、あたりは墨汁を垂らしたように暗い。べっとりと闇が体にへばりつく。ただ数メートル先を走る彼らの気配だけが頼りだ。見失うまいと私は必死でペダルをこぐ。なにせここの人達は走るスピードが速いから。

一体どれくらい走ったのだろうか。ついに彼らはきちんとシャンパティに連れて来てくれた。きっと彼らの帰り道とは違う方向だったはずなのに。私たちは固い握手をして別れた。手のひらに渾身の“ありがとう”を込めて。そして心が通じ合えた事にこの上ない幸福感を覚えながら。

今日も長い長い一日だった。

一度街に戻り、いよいよ明日からは、本格的にサンタル族の住むシアラ村へ。長期滞在への幕開けだ。

 

翌日。朝起きると、リコの様子がおかしい。そう、彼女はついにインドの洗礼を受けてしまったのだ。ハイパー・グロッキーなリコのために、飲み物や食べ物の買い出しへ一人ペダルを漕ぐ。今日もカラッと爽やかな朝だ。シャンティニケタンはコルカタに比べて断然過ごしやすい。物乞いはいないし、無理な客引きもいない。下手に日本語でちゃかしてくる輩もいない。多少のジロジロにはもう慣れっこになっていた。

マーケットに行き、2ℓのミネラルウォーターやクッキーを買い込む。めがねをかけた店のおばあちゃんオススメのクッキーを買った。私はこのおばあちゃんの店が気に入って、この後何度か通ううちに顔なじみになる。

本当は2人で今日村入りするハズだったんだけど、彼女は村でのサバイバル生活に耐えられる体ではないので、私一人で一足先に異世界へ飛び込むことになった。ごめんね、荷物多めに持っていくね。友への裏切りのような罪悪感に後ろ髪引かれつつ、ついに村での生活へ一歩、踏み出した。

 

 

つづく


 

 

 

彩/AYA

東京生まれ、幼少期をフランスのパリで過ごす。祖父が台湾人。3歳の時に画家になる事を決意。

 

東京都立総合芸術高等学校日本画専攻卒。現在多摩美術大学日本画専攻学部在籍。旅とアートを愛する画学生。学生作家として精力的に活動中。特技は指笛と水泳。象使いの免許保持者。時にふらりと冒険に出ることも。HP→http://chacha-portfolio.weebly.com