神歌のこと

三上敏視

 

 

 

前号で「舞と踊り」ついて書いたが、舞だけでなく歌謡にも神楽では「無我」の世界がある。

「神歌」「神楽歌」などと呼ばれる歌で多くは短歌形式。

舞手が歌ったり、お囃子の人が歌ったりと神楽によって歌われ方は変わるし、そのメロディもいろいろあり、神楽の多様性を示す大事な要素で、「神歌」の歌われないものは神楽ではない、という個人的な基準を私は持っている。

 

ほとんどは神楽をやる人が歌うもので、見ているものは聞くだけなのだが愛知県の「奥三河の花祭」では、この神歌を「うたぐら」とよび、「せいと衆」と呼ばれる観客も歌うことが出来て、これが私の花祭に通う魅力のひとつなのである。

 

先日の3月5日から6日にかけての布川地区の花祭がこの冬シーズンの「霜月まつり」「夜神楽」の神楽の最後で、ここにはもう10年以上毎年通っている。最初は笛を吹かせてもらったりするのが楽しかったのだが、「うたぐら(神歌)」の重要さと歌う楽しさを知ってからはもっぱら歌うのを楽しみにしている。

 

上の句を太鼓を叩く音頭取りが歌って下の句をせいと集が受けて歌うという歌い方は「本方」「末方」が歌い合う宮中の御神楽とつながっている。これを御神楽のことなんてなんにも知らない辺境の常民がずっと伝承してきていたのだ。

 

中には梁塵秘抄とか中世の歌と同じ、あるいは似た歌が歌われる神楽もあるが多くは「個人の思い」を歌うものではなく、「共有する信仰心」みたいな歌がほとんどで、神仏以外に森羅万象を歌ったものもあり、縄文以来のアニミズムの痕跡、片鱗を感じるのだ。

 

以下、布川の花祭のうたぐらを列挙してみよう。花祭も地区によって歌が少しずつ違うし、全国ではまた変わってくる。

でも、遠く離れたところで同じ神歌が歌われていたり、文献に残っていたりするのである。

 

 

式ならば式よと申す いつとても 式よは神の 一重給わな

産土の 北の林に 住む虫は 繁千代の声を 常に絶やさな

産土の お前を飾る おしめ竹  うら先栄え 大和笛竹

産土の 北の林に松植えて  松諸共に 氏子繁盛よ

産土へ 降りつ登りつする神子は  袴を着せて重ね重ねに

伊勢の国 天の岩戸を押開き  花や神楽の 舞を遊ばな

伊勢の国 高天原がここなれば  集まり給え 四方の神々

伊勢の国 二見浦で 引綱は  網重なりて 厚くなるらな

伊勢の国 彼方此方と呼ぶ声は 大社が呼ぶか 鳥が招くか

冬来れば 谷に木の葉が八重がさね 一重に拝む 富士の御嶽を

峯は雪 麓はあられ里は雨  雨にまいでの 時雨なるらな

神道や 千道七道百綱道七つ  中なる道が 神の通う道

山の神 育ちはいずこ 奥山の   外山が奥の さわら木の元

新玉の 年の初めに筆取りて   よろずの宝 今ぞ書きとる

諏訪の海 みなそこ照らすこだま石  手には取れども 袖もぬらさで

七瀧や  八瀧の水を汲み上げて 日頃のけがれを 今ぞ清める

東から 小松かき分け出る月  西へもやらで さよと照らさな

庭中に 七つ釜立沸かす湯は  御前さえ召せば 氷冷や水

三つ舞の 舞出る姿花かとよ 花とさしでて すがた見られる

花の舞 舞出る姿千早振    千早振神は 受けて喜ぶ

尾も白し 頭も白し尾長鳥  濁めて立つは 鴨やおしどり

ありがたや 万の神が入りそめて 入りての後は 神や守らん

湯ばやしの 湯本へ上る湯衣は  丈六尺に 袖が七尺

秋過ぎて 冬の花とは今日かとよ 風ものろ風 八重に咲く花

 

 

 

三上 敏視/みかみ としみ

音楽家、神楽・伝承音楽研究家。1953年 愛知県半田市生まれ、武蔵野育ち。93年に別冊宝島EX「アイヌの本」を企画編集。95年より奉納即興演奏グループである細野晴臣&環太平洋モンゴロイドユニットに参加。

日本のルーツミュージックとネイティブカルチャーを探していて里神楽に出会い、その多彩さと深さに衝撃を受け、これを広く知ってもらいたいと01年9月に別 冊太陽『お神楽』としてまとめる。その後も辺境の神楽を中心にフィールドワークを続け、09年10月に単行本『神楽と出会う本』(アルテスパブリッシン グ)を出版、初の神楽ガイドブックとして各方面から注目を集める。神楽の国内外公演のコーディネイトも多い。映像を使って神楽を紹介する「神楽ビデオ ジョッキー」の活動も全国各地で行っている。現在は神楽太鼓の繊細で呪術的な響きを大切にしたモダンルーツ音楽を中心に多様な音楽を制作、ライブ活動も奉 納演奏からソロ、ユニット活動まで多岐にわたる。また気功音楽家として『気舞』『香功』などの作品もあり、気功・ヨガ愛好者にBGMとしてひろく使われて いる。多摩美術大学美術学部非常勤講師、同大芸術人類学研究所(鶴岡真弓所長)特別研究員。