自治会という名の地方の闇

高嶋 敏展

 

 

あまり書かれない地方のリアルな暮らしを紹介したい。

通信と交通と流通、これらの発達によって地方は格段に便利になった。

どこで暮らしてもたいして変わらぬ生活が得られるようになったけれど、都市と地方では決定的に違う事が存在する。

僕が初めて都会を訪れた時、驚いたのはモノの多さだった。

書店が7階もあるビルでフロアにびっしりと本が詰まっていて、上の方にカフェまであった。デパートの中には美術館まであって生まれて初めて印象派の絵、本物のルノワールを見たのもこの時。

今は巨大な書店が地方にもあり、カフェにはタリーズが入っているし、島根県の美術館でもモネやクールベが常時飾ってある。

ローソンもファミリーマートもない地方で育ったので、通りで隣り合って商売をするコンビニにはびっくりしたが、今は島根にもローソン、ファミマ、セブンイレブン、24時間スーパーにドン・キホーテまである。

そしてAEON MALLにいけば無印良品やユニクロの服が買える。スタバのラテも楽しめる。ましてアマゾン、楽天の買い物なら都会でも地方でも届く時間はたいしてかわらない。

かつての田舎の若者達が持っていた都会へコンプレックス、あこがれは今、ほとんど感じない。その気になれば東京ディニーランドで遊んで、渋谷のハスカスで買い物をする事もできる。格安チケットを探してビジネスマンのように日帰りする事だって可能だ。

また、身近に都会の大学へ進学して帰って来た者も、都会で働いて帰ってきた者もいくらでもいる。

今、身の回りで都会という世界はさほど珍しくなくなった。

それにも関わらず都市生活へのあこがれが吹き出る出来事が今年おこった。

僕は今年の4月から単年度で地域の自治会の自治会長というものになった。

なったと言えば聞こえは良いが、仕事が多い順番に年寄りどもが取り決めてわざと僕になるように根回しされた結果だった。

都会でイメージする町内会と地方の自治会とはかなりイメージが違うと思う。

まず、やたらに行事が無駄に多い。

運動会、文化祭、お祭り、川掃除、学校行事やなんぞかんぞ。
かつてはこれに選挙という魔物がついて回った。

しかも、これらの行事に飲み会が必ずセットでついている。

 行事を維持するために若者はボランティアとしてのかなりの負担を強いられる。僕の自治会は参加が17軒と比較的小さいが半分は高齢化で子供がいない老人ばかりだ。この17軒から消防団員を2名だせと決められている。

自治会長は自治会の運営以外に兼務で健康づくり委員だの交通安全協会代議員だの中学校教育振興会代議員だの環境福祉生活委員だの兼務が5つとか6つとか重なり、4月5月は週末など会合がやたらに重なる。そのすべてが内容繰り越しのシャンシャン会議であった。議案を承認するだけでろくに意見も求められないし、言った所でもみ消される。

次に地方に生きるには思わぬお金がかかる。自治会では様々な寄付や出費を強制される。

たとえば神社の氏子になることが義務づけられ、赤い羽共同募金では地域の負担として寄付を自治会に一人当たりいくらと金額を決めて迫ってくる。消防団への負担金など不可思議なものもある。

ちなみに神社の立て替えで我が家は3年間で45万円を自治会として取り決めて寄付させられた。これは強制であった。

Iターンの事例などでテレビ番組などみても違和感があるのは田舎暮らしにお金がかからないとアピールする事が多いけれど大間違いだと思う。

自治会長に要求される能力は根回しによる調整と相談する順番を把握すること。

新しい事をやるというのが何より難しい。変化は陰口や不満の火種になる。

そう、すべては年功序列で事は民主的には決して決まらない。

さらに悪循環なのは「今まで通りが」が何年も続き、自治会長ものど元過ぎれば熱さを忘れるので、とにかく無難にこなして次の自治会長にパスをする。

つまり因習は維持されるが誰も改革しないし、しようものならツブされる。

あげく地域の若者人口は減っているにも関わらず、昔と同じ負担を強いるので若者は絶対に帰ってきたくないし、帰っても来ない。

都会から移り住んだIターンの多くが数年で挫折する理由のかなりの割合がここらあたりの地域のコミュニティーの問題ではないかだろうか。

では、どうするか?

僕は地方のコミュニティーとはあえて距離を取る事をオススメする。

市町村と交渉してゴミの収集場所を確保する、上下水道の負担について行政を挟んで地域と協議するなど必ず一定の距離を取る。

一人で暮らす覚悟がないなら田舎には来ない方が良いし、一人なら都会の方がきっと幸せに過せると思う。

地域に生きるという事は無条件で地域のコミュニティーへの参加が義務づけられる場合が多い。家を借りるにも自治会参加が条件というものかなりある。

地方は疲弊しているが僕には身から出たサビと感じる場合が遥かに多い。

都市に生きる人は「足るを知る」事が大切であるし、地方に生きる人は、ある瞬間に勇気と覚悟をもって地域を自分たちで変えるべきだと思う。

 

 

 

 

高嶋 敏展/たかしま としのぶ

写真家、アートプランナー。1972年出雲市生まれ。1996年大阪芸術大学芸術計画学科卒業。

大 学在学中に阪神淡路大震災が発生。芦屋市ボランティア委員会に所属(写真記録部長)被災地の記録作業や被災者自身が撮影記録を行うプロジェクトを 企画。1995年~「被災者が観た阪神淡路大震災写真展」(全国30か所巡回)、芦屋市立美術博物館ほか主催の「震災から10年」、横浜トリエンナーレ 2005(参加)、2010年「阪神淡路大震災15周年特別企画展」、2012年「阪神大震災回顧展」など多くのプロジェクトに発展する。