KapiwとApappo

郷右近 富貴子
`Kapiw`とは、カモメの事。
高校時代を釧路で過ごした姉にとって、空を見上げたらきっといつも、自由に飛ぶカモメを見ていたからなのか、「カモメは海にいるけれど、山のカモメもいるんだよ」と、ばあちゃんが言っていたって。
そして、`Apappo`とは花の事。
花の中でも、Cirayapappo=福寿草が好きで、春一番に雪の中から黄色い花を咲かせる花。しかも、毒があって強そうでなんかいいなあ・・・と。阿寒湖での暮らしが長い私にとって、春はいつも待ち遠しいもの。あ!春が来たぞ!!っと、この花を見るとウキッと嬉しくなる。
アイヌ語でペンネームを書く事がなんとなく流行っていたその昔に店にある旅ノートに一言書いてはそれぞれによく使っていたペンネーム。
私達の姉妹ユニットが結成されたのは、ヒョンなキッカケからだった。
夏休みの帰省で東京から姉が帰ってくる事を知った母と母のお友達が、釧路の老舗ジャズ喫茶「ジズ・イズ」にてコーヒーを飲みつつ、マスターとの話の中で、「せっかくだし、二人のライブをやったらいいと思うのさ」なんて話をしているうちに、日取りや時間がトントン拍子で進み、アレヨアレヨという間に、二人の初ライブをやる!!という話になった。
ユニット名も何にも決まっていない中で、すぐに頭に浮かんだそれぞれのペンネーム、「Kapiw&Apappo」がライブタイトルとユニット名になった。
あれからもう四年…
ユニット名もそのままで、なんだか発音しずらく、「あ!カピパラさん!」とか「あの、タピオカさんだったよね?」なんて言われては、笑いのネタになったりしているけれど…笑。
阿寒湖アイヌコタンに育った二人にとっては、アイヌの歌や踊りは暮らしの中にある、いつも身近なものだった。
私達がまだ幼少の頃、コタンには昔からのウポポやユーカラを語ることのできるフチも何人か居て、昔からアイヌの唄や物語が好きだった母は、そんなフチを自宅に招いては、そのフチの語る唄や物語を録音していた。
そんな昔のテープの中には、フチの声の後ろで騒いだり遊んだりしている幼少の頃の二人の声がはいっていたり、山へ山菜を採りに行けば、いつも一緒に行っていた「弟子シギ子」おばさんの唄うウポポが森の向こうから聞こえてきたりしていた。
阿寒湖の夏季シーズンを締めくくるお祭り「まりも祭り」には、全道各地からたくさんのアイヌウタリが集まって、各地の踊りを競演し、コタンの子供達も、ここぞ!とばかりに真剣に踊った。夜の懇親会では、本当に楽しそうに踊ったり歌ったりしている各地のウタリの笑顔があふれていた。
大人になってからも、シギ子フチの家へ遊びに行けば、夜も更け酔いもまわった頃になると、いろんなウポポを聞かせてくれては、笑ったり泣いたりした。
アイヌのウポポやリムセは、コタン育ちの二人とって、いつもそばにあったお守りのような、心の支えのような、、、
それから二人が阿寒湖を離れたり帰ってきたりしながら、それぞれに歩んできた人生の中で経験してきたアイヌとしての自分それぞれに向き合ってきたウポポの世界。
私自身にとっては、あまり向き合うこともなく、当たり前のようにただただ日々そばにあるものだった。ところがその事が ”Live” を前にして自分に降りかかり、私はどうして良いかわからず、不安に押しつぶされそうになっていた。
初めてその事に「向き合う」自分がそこにあった。
姉の存在がおおきく立ちはだかり、初めての「LIVE」というプレッシャーで、身の置き場がわからなくなっていた。
そんな私を察してか、姉がポツリと言ってくれた言葉
「フキが歌いたい歌を歌えば良いんじゃない?心のままにさっ」
背伸びをしても、しがみついても、不安しか残らないけど、
自分を育んでくれた大切なウポポを等身大のその時の歌で精一杯歌う。
…そんな決意で臨んだ初ライブ
2011年8月21日 at 「ジズ・イズ」
ここで…
ライブを終えた翌日 に自分のブログに載せた記事を、以下に紹介させて頂きます。
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2011年8月22日 (月)
秋の風とジスイズの夜
その日、私は何だかフアフアした足取りで
姉の運転する車に乗り込み 釧路へ向かった。
どうしようもない不安感と落ち着かない想いが
交錯して 姉と楽しい道中を送りたかったのに
冷たく当たってしまっていたりした。
真っ先に向かったのは紫雲台
お祖母ちゃんの眠るお墓へ
いつもより少し上等なお花を買って
二人で家族分の線香を上げた。
かもめが沢山飛んでいた。
婆ちゃんに「歌ってくるよ」と伝えたら
何だか少し 気が楽になった。
ジスイズヘ向かう前に
姉が「少しだけ…」と言って、
細い路地に入っていった。
ガタガタの道を下ったり登ったりして
行き止まりになった。
「ここ好きなんだよねー。」と姉が言って
車を降りて少し下ると、
岬の突端のようなところ
大きな海と、紫雲台、線路、あぜ道
かつて姉が過ごした高校時代の風景
とっても気持ちのいいところだった。
予定よりちょっと遅れてジズイズに着くと
椅子が一点を向いて並べられていて
その一点に、大野一雄さんの「百年の椅子」が置かれていた。
ぐぐぐっとまた、緊張の糸が張り詰めてしまった。
慌ただしくリハーサルを終え、
ハラハラ落ち着かない中で窓から入り口を覗くと
知っている顔が沢山…
姉の顔を見たら、こみ上げてきそうだったけど
相変わらずボケたりするから、救われた。
時間が来て・・・
入口へ行くと…座れずにあふれる人、人、
はややぁ~っとおもいながら、
お客さんの間を抜けて 前へ…
Img_0001 「百年の椅子」を中心に二人で立ち、顔を上げると…
本当に沢山のお客さん…
張り詰めた空気の中で姉の声が響いた。
カラカラ カムイシリ カワ……
神の国からカムイが降りてきた…
空気がちょっと変わった気がした。
姉の声が、どこまでも遠く響いているように聞こえた。
緊張で喉が締め締めつけられそうだったけど、
声を重ねた。
今まで、姉の歌は知っているし聞いてきたつもりだったけど
こんなに真剣に姉の歌う声や息遣いを意識したことはなかったと今思う。
そしてそこに、自分の歌を重ね歌うことが心地良く、本当に楽しかった。
「ウコウク」という、言葉の意味が初めてわかった気がした。
母やシゲ子フチの顔を見ると、たじろいでしまいそうだったけど
精一杯 声を重ねた。
来場して下さったお客さんに、感謝の気持ちでいっぱいになった。
「娘たちの晴れ舞台」と言って、マスターは喜んでくれた。
やんちゃな6人の子供たちを見て、「孫たち」と言って、撫でてくれた。
アイヌ模様の帽子をかぶってくれていた。
・・・反省点?! も、色々あるけれど(笑)
沢山、勉強になりました。
とても 楽しかった。
 
本当に、ありがとう!!な出来事でした。
I yayray kere
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初ライブから、もう4年が過ぎようとしていますが
実は、初ライブに向けて奮闘する私たち姉妹を、カメラを担ぎつつ
子供達にモミクシャにされながら、天然姉妹に翻弄されながら撮り続けた
物好き?!な監督さんが、来春あたりにドキュメンタリー映画を公開予定!
タイトルは「KapiwとApappo」
またまた、身の置き場のない状態で穴があったら入りたい!と、初ライブ前の
自分が甦りそうですが・・・
ご縁がありましたら、ご覧いただければと思います。

 

 

 

郷右近 富貴子/ごううこん ふきこ

幼少よりアイヌ舞踊などを習いつつ阿寒湖アイヌコタンで育つ。3児の母。アイヌ料理屋ポロンノを家族で経営しつつ、阿寒観光汽船「アイヌ文化ギャラリー船」にて、アイヌ語り部として、ムックリやトンコリなどを演奏し、アイヌ文化を紹介している。姉・床絵美と’Kapiw&Apappo’というユニットで音楽活動を行っている。民芸喫茶ポロンノホームページ