ポケットに燕石を

プロローグ

辻 信行

 

 

 

納屋のなか、(たるき)の上の、雛鳥がひしめいてる燕の巣まで、

なん回もよじ上っては、熱心に探したものだった。燕たちが

雛の盲をなおすため、海辺から運んでくる不思議な石を。

燕の巣でこの石をみつけた者は、果報者とされていたのだ。

― ロングフェロー

 

 

「いまは、見に行っちゃいけないよ!」電話口で母が強く言う。

わたしが近所の祖父母の家に遊びに行っているとき、わが家の目と鼻の先でそれは起こった。わたしと年齢の近い小学1年生の女の子が、駄菓子屋で買いものを済ませ、家に帰ろうと道路をわたった瞬間、猛スピードで走ってきた黒のセダンに跳ね飛ばされた。地面に叩きつけられた女の子の頭から鮮血が流れだす。あたり一面はみるみる血の池と化した。黒のセダンはそのまま逃走。血だまりの中には女の子がお父さんに頼まれて買ったスルメの燻製が散らばっていた。

 

駄菓子屋の夫婦がすぐに通報し、救急車とパトカーが駆け付ける。しかし彼女はすでに息絶えていた。警察によって綿密な現場検証が行われ、犯人は翌日逮捕された。

 

わたしが事故現場を見たがるに違いないと直感した母は、ショックが残ってはいけないと、もう事故の後片付けも済んだ頃に電話した。だからわたしが言いつけを破って駆け付けたとき、すでに道路の血糊はきれいに洗い流され、警察の現場検証もほとんど終わっていた。

 

翌日の朝刊の地方面には、事故の一件が事務的にほんの数行書かれているだけだった。それからしばらく、女の子が亡くなった場所には絶えることなく菓子やぬいぐるみ、花束の供え物があった。しかし一年二年と経つうちに、菓子とぬいぐるみは見かけないようになり、花束は一輪挿しに変わり、最後には何も供えられなくなった。

 

そんなある日の早朝、パトカーのサイレンとヘリコプターの旋回音に起こされた。テレビをつけてみると、わが家の近くのアパート前で、興奮した記者が何やら実況中継している。チャンネルを回してみると、そのすべてで同じように記者たちが口角泡を飛ばしていた。誘拐された少年が見つかったのだという。数日前に発生した小学2年生の誘拐事件の監禁場所として、そのアパートが使われたのだ。

 

この事件を伝える記事は次のようなものだった。

 

 

4月20日、横浜市の路上で横浜市神奈川区のクリーニング店勤務のAさん(30)の長男で小学2年のT君(7歳)が下校中に車で連れ去られた。その後、自宅に3000万円を要求する電話があり、Aさんは指定された銀行口座に792万円を振り込んだ。すると何者かによって、現金自動受払機(ATM)から計296万円を引き出された。犯人との電話での連絡回数は48回に及んだ。神奈川県警が身代金目的誘拐事件として捜査中、兵庫県警が神戸市北区の有馬温泉で不審な男を任意同行。持っていたプリペイド式携帯電話の番号が強迫電話でAさんが教えられた番号と一致したため、元タクシー運転手のM(37歳)を緊急逮捕した。

 

4月25日午前3時26分、Mの供述からT君を110時間ぶりに横浜市神奈川区B町のアパートで無事保護、一緒にいたクリーニング取次ぎ業のH(55歳)も現行犯逮捕した。犯人の2人は犯行の約1ヶ月前の3月中旬からT君の誘拐を計画し、3月21日、犯行に使ったプリペイド式携帯電話を横浜市内のコンビニで購入。Aさんの自宅を下見するなど入念な準備をしていた。2人にはそれぞれ約600万円と約120万円の借金が消費者金融などにあった。現金の受渡しに使われた口座は届け出の住所や名義人が実在しない架空口座だった。

 

 

誘拐犯が自分の携帯番号を脅迫相手に伝え、その携帯を持って逃走し続ける。いまでは考えられないこの間抜けな犯行は、当時の社会でも一笑に付され、ひと月と経たないうちに人々の話題にのぼらなくなった。

 

わたしはそれから、T君が監禁されていたアパートへ頻繁に出かけて行くようになった。もうすっかり警察やマスコミ、野次馬もいないその静かなアパートの前を、行ったり来たり繰り返した。ある時はアパートの階段をのぼり、T君が恐怖に怯えながら監禁されていたその部屋を覗き見た。

 

友達を連れて行ったこともある。もちろん彼らも事件のことは知っている。けれどここがその監禁現場なのだと言っても、「あっ、そう。」と言うだけで、それ以上の興味は示さない。それからもう15年ほど経ったいま、そういえば一緒に監禁部屋に行ったね、なんて言ったところで誰も思い出さない。誘拐事件についてもあまり覚えていないようだ。

 

そのアパートは住民が減り続け、6年前に取り壊された。アパートの存在も事件のことも、いまではわたしだけが見た夢のようであり、自分一人が異次元に迷い込んでいたかのようだ。

 

こうしてわたしの少年時代の記憶では、一瞬にして死を迎えた少女と、何日間も死の恐怖に怯えながら生き延びた少年とが、セットになっている。この二つの記憶は脳内で通奏低音のように鳴り続け、ふとした瞬間に思い出される。それは洞窟の奥深くで発した声が複雑な反響を繰り返し、だんだん小さくなりながらいつまでも残響し続けているのとよく似ている。

 

T君の監禁されていたアパートを皮切りに、わたしは誰かの生が途切れたり、その危機にさらされた場所へ、フラフラと出かけて行くようになった。あるときは交通事故現場、またあるときは自殺の飛び降り現場、そして暴力団の発砲事件現場まで。そこで何をしたというのではない。祈りを捧げたり、何かの声を聞いたりしたというのでもない。ただそこに身を置き、周りを行ったり来たりうろついて、なにかを得たような気になると、納得して帰ってきた。

 

いったいなにを得たのだろう。それは自分でもよく分からない。しかしそういう時間が、ひどく大切だったのだ。わたしは学校の友達に放課後の遊びに誘われても、ほとんど断わる少年だった。集団生活に身を置き、他人に合わせた言動をとることは、朝の9時から夕方4時まででもう十分だ。そのあとは、自分一人で探し物をしていたい。家のなか、里山の木々のあいだ、人々が究極の異郷へと旅立った、見知らぬ場所で。

 

思春期の鋭敏な感受性がそのピークに達する年齢を14歳とするならば、わたしは人より早く14歳になり、人より遅く14歳から脱したような気がする。この年齢特有の生への倦怠と死への憧憬を強く抱え込みながら、わたしは自らの精神を形作る青々とした毒素を、少しずつ昇華させていったのだ。

 

この年頃の少年たちがする遊びとして、かつてヨーロッパには「鳥の巣あさり」があった。声変りの始まった少年たちは、数人の仲間と森にでかけ、鳥の巣がありそうな木によじ登る。運よく巣を見つけたら、その中から卵を得て戻ってくるのだ。これに女の子が関わることは、許されなかった。そして少年たちは、手慣れた先輩や大人たちから、鳥の鳴き声、生態、見分け方などをよく教え込まれたという。

 

いうまでもなく、これには性的なアナロジーがある。鳥の巣あさりをマスターした少年たちの次なる関心は女の子へと向かうのだから、この遊びはイニシエーションでありエチュードなのだ。女の子と性的な関係を結ぶための、そしてその先に待っているであろう結婚や家庭生活を築くための。

 

このなんともチャーミングで、同時に少年の油断ならない凶暴さと性への憧憬を孕んだ遊びにおいて、燕はとても大切な鳥であった。その繁殖能力の強さもさることながら、「燕石(えんせき)」という神秘のヴェールに包まれた石の存在が、燕の神話的超越性をより一層高めたのだ。

 

博物学者・南方熊楠の「燕石考」は、ヨーロッパ・中国・日本など、古今東西の燕石に関する伝承を紹介し、その起源と発展が、自然科学的な要因に求められると論じてみせた。そのなかで熊楠は、この石には少なくとも三つの効能があると言う。

 

①燕石は、眼病をいやす薬である。

②燕石は、下痢を止める薬である。

③燕石は、安産をもたらすお守りである。

 

つまり燕石は、人間の身体から何かを「取り除く」ときに、的確な役割を果たすというのだ。それは眼に入ったゴミをすぐに取り除き、早く取り除かれすぎる糞はしばらく留め、母胎に宿った赤ん坊は、早すぎも遅すぎもしない絶妙なタイミングで取り除く。

 

日本にも燕石の伝承は古くからある。『竹取物語』で、かぐや姫が自らに求婚した中納言に求めた「燕の持たる子安の貝」が、この燕石である。実在するかどうか分からない燕石の存在を、信じて疑わない人々は多かった。彼らのなかには、燕の雛鳥の目が傷ついた時、親鳥が海岸からくわえて持って来るとして、わざと雛鳥の目を傷つけ燕石を得ようとした者までいたのである。

 

この石をもたらす燕は、きわめて両義的な鳥とみなされた。春を告げる鳥として早春にはたいへん好まれるが、そのほかの季節は湿気を求めて移動するため、その先々で疎まれる。また、下から見れば白くて美しいが上から見れば真っ黒で、おまけに食と性に対する底なしの貪欲さから、薄汚い鳥とみなされたのだ。

 

燕そのものが両義的であるように、燕石そのものも両義的で、いつも薬になるとは限らなかった。燕石は母鳥が巣にいないとき、最初に生まれた雛が大地に触れる前に取り出して来なければ、効力を失ってただの石になってしまうと伝えられたのである。

 

思春期をとうに過ぎてしまったわたしたちは、懐かしさに駆られて鳥の巣あさりのような遊びをしてみても、あまり有意義でないかもしれない。また、日常生活のなかで燕石やそれに代わる何物かを探し出そうと躍起になるのも同様である。

そうではなくて、鳥の巣あさりが持つ神話的思考と、燕石そのものが孕む両義性とを抱えながら、手垢にまみれた日常を見つめ直してみることならできる。それによりわたしたちは、目の前の「現実」が一つの脆弱な物語に過ぎず、そんな「現実」に逃げ込んでとりすますことが想像力の枯渇を招き、ときに単純な二元論に服従することになると気付くかもしれない。

 

わたしたちは国語辞典で「まがいもの」としか説明されない、「燕石」という神話的宝物をポケットに入れ、日常の世界を歩いてみることにしよう。そんな逆説的な行為によって、もしほんの少しでも見慣れた風景が変わるならば、わたしたちは燕石の持つ魔力を信じて始めていいのかもしれない。


 
 辻 信行/つじ のぶゆき
東京自由大学理事。横浜生まれ。汽笛の聞こえる里山の近くで育つ。現在、中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程在学中。法政大学沖縄文化研究所奨励研究員。宗教学・民俗学をふまえ、離島でフィールドワークを重ねつつ、様々な「境界」を研究している。