「流れに流されて見える風景」vol.

高嶋 敏展

 

 

 

ドキュメンタリー映画の巨匠、姫田忠義氏の幻の著書「ほんとうの自分を求めて」を復刻するプロジェクト。姫田忠義さんの事務所の押しかけ女房の今井千洋、出雲在住で独立独歩のデザイナー石川陽春、僕という不思議なトリオの挑戦は続く。

復刻までの波瀾万丈、抱腹絶倒、奇々怪々、支離滅裂なる日々を書き留める。

 

今回はこの本の復刻に関わる「死」について書かなければならない。

これは避けられぬ事だが、心が重く塞いでしまう。

今井千洋と石川陽春と僕の3人で始めたプロジェクトだったが、その一人、今井千洋は2011年の12月に突然亡くなった。

彼女はその年の春に元民映研の今井友樹と結婚式をあげたばかり。

その後、体調を崩して民族文化映像研究所の仕事も辞めていた。

今井友樹と相談をして、しばらく連絡するのを控えていたので出雲の僕たちはとても心配していた。

再び連絡ができたのは数ヶ月後の事。

それも石川陽春が体調を崩して、穴を空けそうな切羽詰まった仕事をダメ元で彼女にできないか相談のメールを送ったことからだ。

それは映画のスケジュールを小さなマスに組むだけのものだが美しく仕事をする必要があった。それも大至急で。

彼女はたまたま体調が良く、引き受けてくれた。

その仕事は凛として美しく、彼女の才能と実力を感じさせた。

僕らは彼女に年明けに出雲に来てもらい、お礼代わりにまとまった仕事をお願いする事にした。

彼女も丁度、仕事を再開しようと考えていたので、社会復帰のきっかけになると喜んでいた。

彼女の技術は交通費を払っても十分におつりがくる。

そんな事より彼女に久々に会える事や結婚のお祝いをしてあげたい事やあれこれで出雲にいる僕たちはうきうきとはしゃいだ。

殺風景な石川陽春事務所に彼女のために仕事用の椅子を買おう。画家のビンセント・バン・ゴッホのように椅子にひまわりの花でも飾って出迎えるかとニヤニヤした。

そう石川と話していた日の午後に彼女は亡くなった。

あまりに理不尽な運命に僕は悲しみ、怒り、憤り、それから神社や寺院を訪れた時も心の中では手を合わせない事にした。

「ほんとうの自分を求めて」を何とでもして作りたいと思った理由は彼女の仕事を残したかったからでもある。

姫田さんには彼女の弔いの意味でも本を完成させたいと伝えた。

姫田さんはその頃、民映研の一線から退いていた。

持病の肺気腫が悪化して酸素ボンベを使う生活となり長男の大さんと同居をはじめていた。

2013年の222日、僕は姫田さんの自宅を訪ねた。

77年に本に登場する以降の話しをインタビューさせてほしいとお願いするためだ。

「ほんとうの自分を求めて」は魅力的な本だけれど1977年に出版した本のために情報が古くなっているところがある。

また、姫田さんが映像作家として大躍進をとげるのはこの本以降の話しだ。

新潟のダムに沈む村を追いかけた「越後奥三面」、焼畑を記録した「椿山」、山口の滅んだ技術の復興「周防猿回しの記録」、フランスのコレージュドフランスとの共同作業など日本のドキュメンタリー映画史に残る仕事を次々に手がけていく。

本をただ復刻するのではなく増補版として本を出したい。

これは今井千洋ともずっと暖めていたアイディアだった。

ただ、クリエ・ブックスはシリーズとして当初から本の発行を考えていたので、いずれシリーズの中で姫田忠義のインタビューで本を一冊編みたいと僕らは考えていた。

そこで「ほんとうの・・・」では未発表かあまり知られていない対談などを入れる予定だった。

今井千洋は姫田さんの対談などからいくつか候補を探していたようだが、それは彼女の死によって何であったのかわからない。

今井千洋の死によって姫田さんのインタビューも今すぐやらねばという気持ちになった。

この日、姫田さんは体調もよく、僕の話しを嬉しげに聞いてくれ、インタビューの話しも快諾してくれた。

姫田さんは僕と会ってくれた3日後の225日に緊急入院して、それから医療系の療養施設に移り729日に亡くなられた。

この姫田さんの死によって「ほんとうの自分を求めて」は完成に導かれるのはとても皮肉なことだ。

完成した本を姫田さんに手渡せなかった自分の力不足が悔しくてならない。

姫田さんは人と話しをするのが大好きだったけれど、気管切開をして自分の声をこの時、無くしてしまった。

僕は親族以外で姫田さんの声を聞いた最後の人間ということになる。

そして「その後のほんとうの自分を求めて」を聞く機会は永遠になくなってしまった。

 

 

 

 

高嶋 敏展/たかしま としのぶ

写真家、アートプランナー。1972年出雲市生まれ。1996年大阪芸術大学芸術計画学科卒業。

大 学在学中に阪神淡路大震災が発生。芦屋市ボランティア委員会に所属(写真記録部長)被災地の記録作業や被災者自身が撮影記録を行うプロジェクトを 企画。1995年~「被災者が観た阪神淡路大震災写真展」(全国30か所巡回)、芦屋市立美術博物館ほか主催の「震災から10年」、横浜トリエンナーレ 2005(参加)、2010年「阪神淡路大震災15周年特別企画展」、2012年「阪神大震災回顧展」など多くのプロジェクトに発展する。