アースフリーグリーン革命あるいは生態智を求めて その11   

鎌田 東二

 

 

 

16、阪神淡路大震災と東京自由大学

 

本日、2015117日は、阪神淡路大震災から20年の節目の日だ。各所で記念式典が行なわれた。NPO法人東京自由大学でも、本日の催し「世直し講座第9回目 身体の未来―からだの知り方」(講師:内田樹氏)の冒頭で、講師・関係者・受講者を含め80名で黙祷を捧げた。

 

受講者は皆、「世直し講座」に身体論が必要なことが今日の講座で身に沁みて理解できただろう。「身体の未来―からだの知り方」とは、世界の知り方であり、社会の知り方だ。そしてそれは、つまるところ、「いのちの知り方」を身に沁みてわかり、腑に落ちて生きるとうことである。

 

内田樹さんは言う。武道とは、「生きる力を高めるための生存戦略」であると。そのためには、危険を察知する能力や野生の直感知を練り上げてゆかねばならない。そうでなければ、「居るべき時に、居るべき場所に行って、なすべきことをなす」ことができないからだ。

 

内田樹さんは神戸在住で、1995年、阪神淡路大震災が起きた当時、芦屋に住んでいたという。その頃、精神科医の加藤清先生も同じ芦屋に住んでいた。そして、大重潤一郎さんは神戸に住んで、大阪に事務所を構えていた。その日その時刻、大重さんは大阪の事務所にいた。もちろん、大阪でも激しい揺れだったが、建物の倒壊はなかった。

 

急ぎ、神戸の自宅に向かったが、電車が途中から動かない。そこで、住吉辺りからだろうか、神戸に向かって歩いた。高速道路がへし折れ、ビルも民家も倒壊し、粉塵が上がり、どこもかしこも無秩序な瓦解した世界。それは黙示録的な終末世界のようだった。

 

大重さんは、その中を歩いて、神戸市中央区北野のわが家まで帰った。それからはしばらく、奥さんや息子の生さんと避難所暮らしだった。

 

その阪神淡路大震災を体験して、大重さんは猛然と「光りの島」の編集に取りかかり、完成させた。震災で廃墟のようになったアスファルトからタンポポが芽を吹き出す。花好きの大重さんはそのタンポポを見逃さなかった。この地面の下には縄文時代から続いているいのちが埋蔵されている。大重さんの野生の感覚、生命感覚はそう告げた。それを取り戻すのだ!

 

「光りの島」は大重さんにとって、廃墟となった神戸と裏表になり、つながっている。「光り」といえばポジだが、しかし、「光りの島」は無人島で、その意味ではネガともいえる。新城(アラグスク)島という沖縄県八重山諸島の石垣島の向かいにある無人島。

 

その島に、わたしも二度渡ったことがある。一度は石の聖地の写真家の須田郡司さんと。入島する前に、二人で褌一丁になって禊をして入った。二度目はアカマタ・クロマタの祭りの日に佐藤善五郎さんに案内されて渡った。確か、喜納昌吉さんも来ていたように記憶する。

 

ともかく、主演(出演者はただ独り)の上條恒彦がアラグスク島に入っていく。そしてこの島の光と風に晒され、見えないモノを視、聴こえない声を聴き、「いのちの帰趨」に触れていく。「光り」に満ち溢れてはいるが、人には満ち溢れていない。無人島の寂しい島。その島に渡った「わたし」は「いのちの根源」である「母の声」を反芻する。

 

大重さんは、どんな気持ちで、阪神淡路大震災が起こったこの1995年に集中的に「光りの島」を作ったのか? その2年半後にわたしたちは初めて出逢い、198888日には神戸メリケンパークで「神戸からの祈り」という鎮魂供養のコンサートイベントを行なった。その前後に、生田神社や酒蔵などでコンサートやシンポジウムを何度も開いた。

 

その動きがそのままダイレクトに東京自由大学の活動に流れ込んでいる。そこで、19981125日に書いた「東京自由大学設立趣旨」には「組織形態、運動体としてはNPO(非営利組織)法下のボランタリー・スクール法人として運営および活動をしていきたいと準備している。また地震など、災害・事件時のボランティア的な互助組織として機能できるように行動したい。自由・友愛・信頼・連帯・互助を旗印に進んでいきたい。」と結んだのだ。だから、「地震など、災害・事件時のボランティア的な互助組織として機能できるように」ということと、「自由・友愛・信頼・連帯・互助を旗印に進」むということは、阪神淡路体震災の教訓を肝に銘じた言葉だったのである。

 

大重さんもわたしも東京自由大学設立発起人で、今はわたしが理事長、大重さんが副理事長であるが、その二人三脚は「神戸からの祈り」から続いている。「久高オデッセイ」の監督と製作者との関係もその時からの二人三脚の延長である。弥次さん喜多さんの縁だ。弁慶義経の縁だ。今生のえにしというものは、どうしようもなく、はからいを超えている。

 

その大重さんが201519日付「沖縄タイムズ」朝刊社会面にドーンと大きく紹介された。


そこに、「余命一年」と記されていた。脳内出血、17回の肝臓癌手術。肉体的にはこれ以上ないほどのダメージを受けながらも、「久高オデッセイ第一部 結章」(2006年)、「久高オデッセイ第二部 生章」(2009年)の二作を発表し、「久高オデッセイ第三部 風章」もクランクアップした。そして映像も2時間50分までに編集作業できている。これをさらに2時間半に縮め、ナレーションと音楽をつけて、この夏には一般公開できるまでに仕上げ、社会発信する。

 

それは、大重監督の「いのちの静かな雄叫び」である。「余命一年」と宣告されながらも、それにめげずに彼はそのいのちの結晶体を「久高オデッセイ第三部 風章」として遺して、「風=霊魂」となって「この世」から「あの世」へ、あるいは、高良勉の言う「その世」へと消えてゆくのか? めぐっていくのか?

 

阪神淡路大震災から20年。大重潤一郎と出逢って17年余。その中の社会の動きの中で、わたしたちが発信してきた「NPO法人東京自由大学」と「久高オデッセイ」とは兄弟姉妹の間柄である。この兄弟姉妹縁を大切に全うしたい。そんな思いを込めて、わたしは201513日付徳島新聞朝刊に次の記事を寄せた。

 


徳島新聞朝刊201513日掲載「阪神淡路大震災から20年」

 

1995117日に阪神淡路大震災が起きて今年で20年になる。そこでさまざまな記念行事が予定されているが、この20年で日本はどう変わったのだろうか?

バブルがはじけて「経済成長」がストップ。デフレが進行して「失われた10年」とか「失われた20年」と言われた。

またアジア金融危機が起こった1998年には年間自殺者数が前年の24391一人から一挙に32863人と増え、その後も2011年まで年間3万人を超えた。2012年以降は27000人ほどに下がってはいるものの、2014年度の『自殺対策白書』では15歳から39歳までの死因の第一位が「自殺」だ。深刻な事態である。

また1997年には神戸で連続児童殺傷事件があり、「心の闇」が問題視されたが、動機の見えない殺傷事件が止むことはない。

国税調査によると、日本は、1970年に65歳以上の高齢者が71%を超えて「高齢化社会」に突入し、37年後の2007年に215%を超える「超高齢社会」となり、世界一の少子高齢化社会を驀進している。推計では、20年後の2035年には65歳以上が334%となり、1/3が高齢者となる。

振り返ってみれば、ドネラ・H・メドウズらが『成長の限界—ローマ・クラブ人類の危機レポート』(ダイヤモンド社)を刊行したのが1972年のことであった。ローマクラブは、世界人口、工業化、汚染、食糧生産、資源消費の5つの指標を挙げて21世紀には資本主義的なグローバルシステムは終焉するという「成長の限界」を予測し、その中での「人類の選択」を迫った。以来、地球環境の保全を担保しながらどのように持続可能な開発や産業を構築するかを探究する「サステイナビリティ(持続可能性)」がキーワードになった。

放射能やPM25を含め、地球環境の「汚染」度はますます深刻になっている。様々なレベルで自然環境と社会環境の破壊は進み、そこに住む人々の心の破壊や関係の破壊も顕在化している。

そうした中で「経済成長」を国家戦略の第一義に掲げて「強い日本」を取り戻そうと企図するアベノミクスは完全に歴史とシステム全体を読み違えている。「経済成長」はもはや幻想である。「強い日本」はすでに妄想である。激変する諸環境の中で「持続可能」な社会構築を考えようとする場合、経済成長と防衛・安全保障強化を最優先する「強い国作り」をしようとしても、いずれそれは内部からも外部からも崩壊していくに違いない。

21世紀最大の危機はいうまでもなく地球環境の破壊の進行である。温暖化もその一つの指標であるが、そればかりではない。気象変化、海流変化、生態系変化が「想定外」に進む。そうした中で、人間の側からすると、破局的な「自然災害」(実際は「自然現象」にすぎない)が起こる。地震も火山噴火も豪雪も竜巻も台風も海面水位変動もこれまで以上に起こってくる。疾病も然り。鳥インフルエンザだけでなくパンデミック(爆発的感染)となりうる疾病の流行も起こり得る。

正月早々、暗い話で恐縮だが、私は「スパイラル史観」という歴史の大局的な見方を提示し、現代は中世のような多極化した分裂的な「乱世=武者の世」に突入したという「現代大中世論」を主張してきた。それが正しいかどうかは別として、広範囲に進行する混乱と破壊を超えて、したたかにしなやかにたくましく生き抜き創造していく力をどう体得・体現していくかが鍵であり、自助・共助の多様なかたちを模索する挑戦的な取組みを展開していかなければならない。

私自身は、阪神淡路大震災後、1998年に「神戸からの祈り」と「東京おひらきまつり」という創造性を結集し共助していく新しい「祭り」を起こす取組みを始め、1999年には「東京自由大学」というボランタリーで共助的な市民大学を友人たちと創った。世界とか国家とかの改革や変革だけでなく、自分たちの周りの「中間領域」をどう変え、活性化できる「中間者」となるか、それが「持続不可能性」の現実をも視野に入れた「持続可能な社会づくり」の最大の鍵であると思っている。

 

大重潤一郎、俺たちの仕事はまだまだこれからだよ!

 

 

 

鎌田 東二/かまた とうじ

1951 年徳島県阿南市生まれ。國學院大學文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科神道学専攻博士課程単位取得退学。岡山大学大学院医歯学総合研究科社会環境生命科 学専攻単位取得退学。武蔵丘短期大学助教授、京都造形芸術大学教授を経て、現在、京都大学こころの未来研究センター教授。NPO法人東京自由大学理事長。文学博士。宗教哲学・民俗学・日本思想史・比較文明学などを専攻。神道ソングライター。神仏習合フリーランス神主。石笛・横笛・法螺貝奏者。著書に『神界のフィールドワーク』(ちくま学芸文庫)『翁童論』(新曜社)4部作、『宗教と霊性』『神と仏の出逢う国』『古事記ワンダーランド』(角川選書)『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』(岩波現代文庫)『超訳古事記』(ミシマ社)『神と仏の精神史』『現代神道論霊性と生態智の探究』(春秋社)『「呪い」を解く』(文春文庫)など。鎌田東二オフィシャルサイト