気功エッセイ

第一回 気功ワンダーランドへの参入!!

鳥飼美和子

 


 
1980年になっていただろうか、サントリーのウーロン茶だったかウイスキーだったか、中国で撮影された魅力的なCMが放映された。優雅に舞うスリムで清楚な少女たち、しなやかでゆっくりした不思議な動き、そのCMに魅了されて太極拳を始めた人も多いと聞いている。CMの影響ではないが、私も舞踏をやっていた関連で太極拳を少しかじったが、どっぷり浸るところまでは行かなかった。一般的な日本人の中国イメージは、たとえばジャッキーチェンのカンフー映画、NHKの『シルクロード』、ベルトルッチ監督・音楽:坂本龍一の映画『ラストエンペラー』などから、神秘の国・中国という感触があり、親近感を覚えるという人がアンケートで70パーセント以上はいたという。現在と比べるとあまりの格差に驚いてしまう。それだけ中国は激変した。そして日本人も??

 
私が気功と決定的な出会いをしたのは1988年から1989年である。そのころの私は、踊るということを諦めて「何か」を探していた。心理学、民俗学、人類学、宗教学とくに仏教、シュタイナーの人智学などなど、次々 と興味ある本を読み、学習会に行き、独学の日々だった。そのとき人智学の会で津村喬先生の気功のレクチャーを受け、あ、これだ、私がこれまでやっていた踊りと同じ、身体の内的な世界を探究するものだと直感した。内界には森羅万象、宇宙がある、と。

1989年春分の頃、初めての中国研修とシンポジウムの旅に参加した。題して「神秘学と科学」、それまでさして行きたいとも思わなかった中国への初めての旅は、その後の私の人生の大きなターニングポイントとなった。そのシンポジウムにはシュタイナー研究の高橋巌先生、そして鎌田東二先生も参加されて、日中の神秘学と科学についての学術とともに人間的な交流が行われた。シンポジウムの仕掛人・関西気功協会の津村喬先生は、そのころ草の根的な健康運動としての気功普及からシ フトチェンジし、「気」で世界を語り、気と哲学や宗教、先住民文化から未来科学まで、様々な分野を縦横に結び付け、論考を発表していた。

時はまさに「気」の学問がうぶ声をあげていたとき、この分野の先駆者である哲学者・故湯浅泰雄先生が主催された日中の国を代表する学会レベルでの「日中国際シンポジウム―気と人間科学」が行われたのが、その4か月前の1988年11月のことだった。湯浅泰雄先生には2000年12月に東京自由大学にも登場していただき「日本の身体観と身体技法」というお話をいただき、ニュースレターのも寄稿いただいた。湯浅先生の提唱された「人体科学」のベースには哲学があるのだが、中国の、それも政府に近い学者たちの研究はどうしても「気」を物質として研究するものが多い。それによって超能力研究の物質的解明に注目が集まってしまう傾向があったように感じる。

それに比して、関西気功協会という一民間団体が、津村氏のセレクトと人の縁によって集った学者や気功家・中医師・科学者たちの集いは、北京の郊外のお寺の会議室で行われ、かなり自由な発言が可能であり、さらに深い研究と実践を共有できる環境であった。私はといえば、そのシンポジウムで取り上げられる内容に興味津々のオブザーバーで、気功の研修も本場の先生から習えるというのでこちらもワクワク。旅立つ前に不思議な夢を連日見て、心身ともに離陸していた。

その時のシンポジウムの講演の題を列挙してみるとどれだけ豊かな内容だったかが分かる。日本側の報告者はシュタイナー研究の高橋巌先生「ヨーロッパ神秘学とアジ ア」、建築家の渡辺豊和先生「日本における超古代人の地理感覚」、心理学者で易の研究家でもある定方昭夫先生「ユング心理学と易」、そして鎌田東二先生「日本の神秘学 の伝統の概略」。

初めて間近で聴いた鎌田先生の講義は、神秘学の概論というより、御自身の実体験を語り、鬼気?迫っていた。鎌田東二という方の学問はライブなのだ!と実感したのである。

中国側は題名だけあげると「易経、仏教と医家気功」「人類の内求法と外求法の認識」「天人合一を論ず」「実相真理と未来科学」「気功と人体潜在能力」「命運の科学観」など。

中国側でこのシンポジウムをコーディネートした王濾生先生は科学工学者であり、仏教者でもあり、気功の講習のときも「仏学」を徹底して解かれた。手当たり次第に仏教を学んでいたそのころ、入門書も読まずに超難解な廣松渉×吉田 宏晢『仏教と事的世界観』を読んでみたり、まったくの無手勝流だった私の仏教理解は、中国の気功と仏学で整理されたのかもしれない。しかし、これもオーソドックスではないが…。

 
その頃の中国は、まだまだ街には自転車が溢れ、服装は人民服、ホテルはすぐに水が止まったり、トイレが詰まったり、お寺の宿坊の備え付けのタオルは雑巾かと思うほど使いこまれており、従業員の少女は赤いほっぺで無愛想、でも素朴だった。そんな環境でも、なぜか心は満ち足りていた。

休み時間には桃の花が咲いた裏山への散策、どこからともなく、かわいい歌声が聞こえる。わらべ歌だろうか? 現在はNPO気功協会の代表で、沢山の本を出している気功家・天野泰司さんと連れ合いの純子さんのカップルが、妖精のような不思議なハーモニーで唄っていた。まるで桃源郷だわ、と思ったものだ。

食事はもちろん中華料理、円卓を囲んでの歓談はシンポジウム以上に?盛り上がっていた。通訳は、中健次郎さん。若き日の中さんの世界の旅の冒険談で私たちは大いに笑い、感動した。現在、日本を代表する気功家として活躍中の中さんは、昨年、身体の探究講座「体と魂の声を聴く~救急医療の現場から」でビックリするお話を聞かせてくださった東大病院の矢作直樹先生や、2002年の知の遺産「鈴木大拙」や霊性学講座の講師で、熊野合宿でもお世話になった宗教学者・町田宗鳳先生とも親交が深いという。

関西気功協会主催の「神秘学と科学シンポジウム」兼気功研修はその後1991年まで3回行われた。シンポジウムに参加した日本側のパネリストには、文化人類学の上田紀行先生、宗教学の正木晃先生、精神科医の加藤清先生、情報学の西垣通先生な ど錚々たるメンバーだった。また、気功や中国医学、太極拳やヨガなどを手掛かりに、オルタナティブな生き方や、生命哲学を求めた先輩たち、友人たちと一機に出会ったのもそのころである。中国の不便な宿舎に集い、気功をしたり、散策したり、交流しながら学び合う時を持ったのだ。

思えば、あの時期にその後の私の活動や探究や人間関係のリソースが養われていたと言っても良いかもしれない。

初めての中国で、新しいものにクラクラするほど出会い、夢心地で帰国して2ヶ月半後、天安門事件がおこった。それからの中国の激変、そして日本におけるバブル期の最後。1990年代前半の気功ブーム、オウム真理教事件によるヨガの凋落、阪神淡路大震災、関西気功協会解散、いくつかの活動を経て1999年に東京自由大学誕生へ。

さてさて、1990年代の「気功ワンダーランド」漫遊は晴れのち曇りのち嵐となるのであった……。

続く?!

 

 


鳥飼 美和子/とりかい みわこ
気功家・長野県諏訪市出身。立教大学文学部卒。NHK教育テレビ「気功専科Ⅱ」インストラクター、関西気功協会理事を経て、現在NPO法人東京自由大学理事、峨眉功法普及会・関東世話人。日常の健康のための気功クラスの他に、精神神経科のデイケアクラスなどでも気功を指導する。
幼いころ庭石の上で踊っていたのが“気功”のはじめかもしれない。長じて前衛舞踏の活動を経て気功の世界へ。気功は文科系体育、気功はアート、気功は哲学、気功は内なる神仏との出会い、あるいは魔鬼との葛藤?? 身息心の曼荼羅への参入技法にして、天人合一への道程。
著書『きれいになる気功~激動の時代をしなやかに生きる』ちくま文庫(2013年)、『気功エクササイズ』成美堂出版(2005年・絶版)、『気功心法』瑞昇文化事業股份有限公司(2005年・台湾)